大学といえば短大でなければ4年制。
大学時代の1~4年生を表現する言葉に、こんな表現があった。
1年 奴隷(あるいは、パシリ)
2年 人間
3年 天皇(貴族・・・という表現もあった)
4年 神様(5年以上在籍している人も含む)
これは主に大学の体育会系の1~4年生の存在感や扱われ方を指した表現だった。
私が大学時代に最初に入ったクラブは音楽系のクラブではあったが、多分に体育会系の空気の影響があった。
やがて、私は友達の誘いなどもあり、そのクラブをやめ、新規の音楽サークルに移籍した。
そのサークルは体育会系の影響はなく、一応先輩後輩の区別は常識的にはあるものの、妙な堅苦しさはなかった。
もちろん先輩のことは「さん」づけで呼んでいたし、挨拶も普通にした。これ、当たり前だよね。
でもサークルに移籍してからは、1年奴隷・2年人間・3年天皇・4年神様・・・という身分(?)というか扱われ方の違いはあまり感じなかった。
でも、体育会系で4年間を過ごす人も多いわけで。
そういう人たちは前述の「扱われ方」の違いを体感していた人は多かったのかもしれない。
1年はパシリみたいに先輩に使われ、2年でやっと普通の扱いになり、3年になると権力者みたいな存在になり、4年になると絶対的な存在・・・・そんな感じの部もあったのではないか。
私など、大学に入学したころは、4年生というのは、すでに社会的な地位のある存在にも思えていた。
でも。
大学4年生というのは、就職予備軍。
大学で「神様」であったとしても、翌年どこかの会社に入社してしまえば「新人」。
「神様」として大学で我が世を謳歌した人も、翌年どこかの会社の新入社員になれば、ペーペーの平社員になる。
その扱われ方や存在感は、トップからいきなり下層に変わるようなもの。
極端なくらい落差が激しい。
そのギャップにとまどう人は多くてもおかしくない。
学生気分が抜けない・・・という言葉があるが、それはそのギャップからくるものもあったはずだ。
大学4年の頃の私は、学校に行くより、バイト先にいることのほうが多かった。
バイト先では、私と同じ大学出身の社員が何人もいて、その中の一人Nさんは社会人1年生だった。
つまり、前年は大学で「神様」身分だった人だ。
だが、その会社ではペーペーの平社員。
学生時代のNさんは、体育会のクラブにいて、しかもそのクラブではそれなりの存在だったらしい。
でも、会社では上司によく注意される日々。
1年という月日がたっただけで、天と地の差の身分。
そんな毎日に、けっこうストレスがたまっていたのであろう。
ある時、Nさんは「風邪をひいた」ということで会社を休んだことがあった。
ところが・・・
Nさんが会社を休んだ日、私の後輩が授業で大学に行ったら、Nさんが大学にいて、しかもNさんが学生時代に所属していたクラブの練習にOBとして来てて、後輩たちを指導していたらしい。
私の後輩は、その光景を目にしてしまった。
つまり・・・
Nさんは、仮病を使って会社を休み、母校にクラブのOBとして行き、後輩たちを指導していたというわけだ。要するに「ずる休み」。
そのことを後輩から聞いた私。
その話は、私以外のバイト仲間数人にも伝わった。
そのバイト仲間数人・・・とは、私を含めて皆同じ大学の学生。つまり、Nさんの出身大学の、現役の在学生。
バイト仲間数人同士だけで話しあい・・・バイト先の上司には、そのことは内緒にしておいてあげることに。
ちなみに・・・会社でのNさんの直属の上司Uさんもまた、Nさんと同じ大学出身。
つまり、UさんはNさんの大学の先輩でもあった。
だが、その「ずる休み」をもしUさんが知ってしまったら、いくら同じ大学の後輩社員であったとしても、社員としての立場上、Uさんは見過ごすわけにはいかなかっただろう。
この一件などは、前年まで大学4年生として「神様」扱いされてた人が、翌年社会人になり「新人」になって、一気に身分の違いが心理的にのしかかってきたのではなかったか。
新人というのは、まだ仕事に慣れないうちは、「パシリ」みたいな仕事もやることになる。
大学では、パシリは1年生がやらされることが多かった。
大学でいえば、4年生「神様」が翌年1年生「奴隷」に落とされたようなものかもしれない。
大学4年生が「神様」として扱われるのは・・・それは翌年「1年生」に戻ってしまう前の、免罪符的な扱いなのかもしれない。
ある意味、紙一重みたいな存在なのかもしれない。
今もしいばってる大学4年生がいたら・・・その人が翌年どこかの会社に就職してしまったら、1年生に逆戻りになるのだ・・・と思って、下級生はその立場を謳歌させてあげればいいのかもしれない・・なんて、今となっては思ったりする私。
いずれ多くの「神様」もそうなるのだから。
ただ・・・大学4年「神様」が社会人になってもペーペーにならない方法もある。
それは・・自ら会社を立ち上げることだ。
そうすれば、少なくてもその会社内でペーペーになることはない。
営業上で、ビジネス相手に謙虚になることはあるにしても。
学生時代に輝いていた人が社会人になって「学生時代の輝き」を失ってしまう場合もあれば、逆に学生時代に輝けていなくて、輝いている学生をうらやましがっていた人が社会人になって輝く場合もある。
その一方で、学生時代に輝けなくて、社会人になっても輝けない場合もあれば、学生時代に輝いていた人が社会人になっても輝く人もいるのだろう。
その「輝き」というのは、その人がいる環境や人間関係によるものも大きいのだろう。
とりあえず、今いる自身が充実していると感じられれば、その人は輝いているのだと思う。
他人からどう見えようと。
当時は文化系クラブでさえ、完全縦社会だったそうですね。
私が学生だった頃、或る店でOBに当たる先輩に出会いました。
そのOBは、歴史研究が大好きな御方で、所属していたクラブも、そのようなクラブだったにも関わらず…、
「文科系でも、当時は下級生にとっては本当に苛酷だったよ。
どういうわけか発生練習があり、それ極めて厳しい事はもちろん、僕らの時代は、
1年生、エタ・
2年生、農民
3年生、武士
4年生、天皇
OB、歴代天皇
そして1年生は2年生と話すことしか出来ない。
3年生・4年生・OBと対話したり、話しかけられる事は全く無かった」と。
だんぞうさんが最初に所属された音楽クラブも、そういう完全縦社会だったのでしょうね。
さて社会人になると、同じ大学卒業生であれば、いわゆる「学閥」として、いろいろな面で有利ですね。
OBOGは後輩たちに、後輩たちはOBOGに、それぞれ人情をかけたくなる。
それは普通の感情ですよね。
私は残念ながら、その恩恵にこうむったことは無いのですが…。
運動部なら我わかるんですが、音楽系の文化部でも体育会系だったのには、少し戸惑った覚えがあります。
エタ・、農民、武士、天皇、、、そういう例えもあったのですね。
武士の上がいきなり天皇になるってのが、跳ね上がってますなあ。
私のいたサークルでは、1年生でも平気で3年や4年生とも話してました。
私が入学した時に新たに立ち上げられたサークルだったから、関係性が緩やかだったのかもしれません。