たまには本だなを片付けようとして作業していたら、ふと、若い頃の作詞ノートが目にとまった。
なにげに、パラパラ見てみる。
それは昔の自分の日記帳みたいなものだ。
屁理屈満載の歌詞、意味のわからない支離滅裂な歌詞、バカな歌詞、能天気な歌詞、暗い歌詞・・・・などなど、その歌詞を書かれた時の自分の色々な心理状態がそこに綴られている。
そこには歌詞の定番「ラブソング」もあるのだが・・。
いやあ、若い頃に書いたラブソングってのは、今読むと本当に恥ずかしい。
とってもじゃないが恥ずかしくて人には見せられないし、見られたくもない歌詞もある。
読んでて、「やめてくれ~」って感じで、最後まで読めないことも、しばしば。
「恋は人を詩人にする」という類の言葉(定説?)があったように思うが、きっと、恋をしてラブソングの歌詞を書いてた時の自分は、詩人気取りで書いていたのだろう。
だいたい、詩人気取りで書いた歌詞ってのは、どうにも鼻もちならない表現や言葉があったりするが、それは若い頃に私が書いたラブソングの歌詞にも当てはまる。
よくこんな歌詞を書いたものだ・・ってぐらい。
気取って書いたつもりはなくても、後で読むと、けっこう気取ってるような出来になってたり。
以前にも書いたことがあるが、「詩人」という言葉は、その人本人が自ら宣言するものではなく、他人に呼んでもらう尊称のようなものだと私は思っている。
自らが自らを「詩人」と形容してしまうと、・・・例えば「僕は詩人だよ」なんて言ってしまったら、台無しだと思うし。
で、気取れば気取るほど・・そうやって書いたラブソングの歌詞は、後で口に出して読んでみると、恥ずかしい・・・。
でも
書いてた当時は、将来の自分がどんな思いで読むかなんて考えもせずに、その時の「熱」のまま書いていたんだよなあ。
だいいち、そんなこと考えながら書いていたら、更にろくでもない歌詞になっていたかもしれない。
よく考えたら、ラブソングというのは、元来恥ずかしいものなのかもしれない・・などとも思ったりする。
メロディに乗って歌われるぶんにはよくても、熱烈なラブソングであればあるほど、歌詞だけを読むと、しかもそれをセリフとして口にしようものなら・・・やはり恥ずかしいものではないだろうか。
世の中の多くのラブソングが。
特に、失恋ではない、「うまくいってる恋」「これからアタックする恋」に関するラブソングは。
・・そんな気がする。
まあ、それを歌う人のキャラにも左右されるんだろうけど。
「愛してる」という言葉がj自作曲の歌詞にあったら、今の私ではちょっと恥ずかしいなあ。
ストレートすぎて。
昔・・十代の頃、半分冗談で、歌詞の中に「愛してる」という言葉を入れた歌を作って、弾き語りでテープに録音したことがあったが、後でそのテープを聴いてみたら、「愛してる」の部分だけ口を少しモゴモゴさせて、しかも他の部分よりも小声で歌ってたのが分かった(爆)。
当時も相当恥ずかしかったと見える(笑)。だったら録音などしなきゃよかったのにね~。
ともあれ・・
そういう歌詞がサマになる人もいれば、ならない人もいるのだ。
特にそれが自作曲となると、なおさら。
若い頃・・・勢いにまかせて、後で読み返すと恥ずかしい「愛の詞」を書いたりした経験は・・皆さんにはないだろうか?
なお、写真は、高校の時に作った「弾き語りによる、自作曲アルバム(?)」カセットで、確か第7作目(・・・だったと思う)のジャケット。
サインペンで、ぶっつけ本番で描いた、やっつけジャケット。
このテープには20~30曲くらいの自作曲が入っていた・・と思う。
もちろん、他の自作曲テープとの「曲のかぶり」は無し。
そんなテープは、多い時には月に2本くらい出来あがることもあったから、よく言えば創作欲旺盛、悪く言えば乱作・大量生産で自作曲を作っていた時代だった。
そのペースを今考えると、少し信じられないくらいだ。