コミックを読んでて、1コマに、あるいはページそのものに、詩を感じることがある。
コミックだから、そこに描かれているのは、間違いなく「画」なのだが、読んでるとその画が「詩」に思えてくる・・そんな感じ。
そういうことは、さほど多くはない・・・というより、めったにないだけに、余計に印象に残る。
私が読んできたコミックの中で、「詩」と思えた実例としては・・・
とりあえず、すぐに思いだせるのは「巨人の星」の終盤あたりの数ページ。
それと、「あしたのジョー」の、あの伝説的なラスト1コマ。
あれらは、読んでて、描かれてるのは「画」でも、内容的には「詩」だった。少なくても私にとっては。
ジョーの場合は、ピンポイント的に「ラスト1コマ」と指定できるから、思いだせる人は多いだろう。
巨人の星の場合は、ラストが近付くにつれ、各回の1ページ1ページが、どんどん「詩」になっていった。
衝撃的だったし、インパクトも大で、心に深く染み込んできた。
他には、石ノ森章太郎先生の「リュウの道」の終盤もそうだったように思うし、水木しげる先生の貸し本時代のいくつかのコマも。
つげ義春先生の作品なんて、「詩」を感じさせる作品の宝庫だ。「初茸がり」「ねじ式」、その他多数。
主な特徴としては、登場人物のセリフがなかったり、極端に少なくなっていた点。
コマ割りも斬新で、もはやそこには通常の「コマ割り」という概念を逸脱していた。
どちらかというと、1枚絵のイラストを見せられてる感じ。
余分なセリフや説明は不要で、ただ画の内容、コマ割り演出、背景処理、構図で、読者に訴えかけてきていた。
そこには、描き手の強い思い入れがあり、読者にビシビシ伝わってくるものがあった。
まさに、コミックの力・・・というものを感じた。
アートの域に達していたようにも思うし、と同時に・・やはり「詩」だったのだ。
ああいう「詩」を感じさせてくれるコミックには、そう頻繁にはお目にかかれないと思う。
今、「詩」を感じさせてくれるコミックって、どれぐらいあるだろう。
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