時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

先週、芝居「ガラスのメカ」を観て来ました。

2006年09月03日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)
先週、「ガラスのメカ」という芝居を観に行った。

出演者の1人に知り合いがいて、その人に何度も熱心に誘われた。
その人は5月のGWにも別の芝居に出ていて、その時も熱心に誘われたのだが、その時はどうしても都合がつかなくて行けなかった。
今回は仕事の都合がついたので行けた・・ってわけだ。
もっとも翌日、仕事にしわよせはきてしまったのだが、芝居が面白かったので良しとしよう。

声優さんには、「声優である前に自分は役者である」というスタンスの人は多い。
事実、AR(アフレコ)現場よりも舞台での方が生き生きしている人は多い。
舞台では顔を出せるし、体全体でキャラクターを表現できる。
その点、ARでは声のみでの芝居になる。
そういう意味ではARの方が難しいのかもしれない。
もっとも、いくら声だけでの芝居でも、マイクを前についついポーズをとりながら声入れをしてしまう人は多いし、それはまたある意味自然でもあるのだろう。
キャラクターに自分を同化させようとすると、ついついそうなってしまうのだろう・・というのは分かる。

私は少年時代は漫画家志望だったのだが、漫画を描いてて、キャラクターのアップのコマになると、ついつい今描いてるキャラクターと同じ系統の顔をしながら描いていたりしたもんだった。

例えば、キャラクターが「ビックリ」したような表情をしてるコマを描いてる時は、ついつい自分も「ビックリ」した顔をしながら描いている。
声優さんの声入れも、それに通じるものがあるのだろう。
「役になりきる」とはそういうものなのだろう。

声優さんが、AR現場よりも舞台での方が生き生きしているように見える・・というのは、根底に「顔を出したい」という気持ちがあるからだと思う。
ブラウン管に顔を出せるようになれば、活動の幅も広がる。

事実、顔出しが出来るようになってから声優から俳優へと転進していった人は多い。そこからまた新たに活動の幅が広がるチャンスもやってくる。バラエティ番組とか、司会者とか。
また、俳優という「くくり」になると、ギャラも違ってくる。
このへんも大きいだろう。

ただ、このギャラがあがる・・という点に関しては良し悪しがある。
安いギャラの方が、仕事が来やすいケースは多い。
特に低予算の番組だったりすると、そうだ。
ギャラの高い声優さんを何人も呼ぶくらいなら、その予算を別のセクションにまわしたい・・制作側にはそんな思惑もでてくるだろう。
予算には限りがあるから。

だが、ギャラがあがるということは、ランクがあがるということでもある。

プライド(格)をとるか、実をとるか。
これは大いに悩みどころなのではないだろうか。
どっちが良いかは、私は声優や役者になったことがないのでわからないが・・。


話がそれてしまったが、「ガラスのメカ」。
中々面白かった。

主役の役者さんが、長~~~いセリフを絶えず言いながら何分にも及ぶ激しい立ち回りを演じ、しかも立ち回りの間、セリフが途切れたり つっかえたりすることもなく、その場面を演じきった姿には本当に感心した。
本当は息が相当きれてるはずなのに、そんな様子を客に感じさせなかった点も、スゴイ。見事だった。

芝居って、面白いよね。ライブだし。出演者と客の一体感もあったりする。
このへんは、音楽のライブと同じだなあ。
なにより、パフォーマーの生き生きした姿を見るのは、楽しい。
観に行くと何かパワーももらえることもある。







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