これは信濃川に会いに行った時に、川べりの土手に立って写した写真だ。
このへんの信濃川は、中流。
少年の頃に見た時は、川幅が相当あったように感じたが、今の私が見ると、思ったほどではなかった。
もっとも、さすがに下流のほうはかなり川幅はあるみたいだけど。
この写真を撮った時に私が立ってたこの土手は、私が幼い頃にはなかった土手だ。
昔はこの土手がなかったので祖母の家の横から川べりになんなく歩いていけたのだが、今では新たにこの土手があるので、そうおいそれとは川べりには行けなくなっていた。
まあ、行こうと思えば行けるのだろうが、少なくても気軽には行けない感じ。
公共工事のための土手なのか、それとも何か事件でもあったのかな。
川自体は、大昔は「暴れ川」と言われたらしく、よく氾濫したそうだ。
でもその後分水が作られ、暴れることはなくなったらしい。
この写真には橋が写っているが、それは小須戸橋。
その辺りには、川が渦を巻いている個所があるらしく、この辺に住んでた子どもたちは親に「あの渦には近づくな」とよく言い聞かされていたらしい。
その渦に巻き込まれて悲劇につながってしまった事件が昔はあったのだろう。
昔の子どもたちは、信濃川でよく泳いで遊んでいたらしい。
水も今よりもきれいだったそうな。
それにしても・・・暑かった。
新潟といえば冬の雪国ぶりのイメージが強いが、夏は本当に暑い。
東京と変わらない暑さだった。
土手の上にいると、辺りに太陽や景色をさえぎる高い建物がなかったので、遠くのほうまで見渡せた。
暑さのせいで長い時間ここに立ってられなかったが、それでも、その眺めは実によかった。
私が以前作った歌で書いた歌詞「空は高く広がって ゆうゆう流れた信濃川」そのものの景色がそこにあった。
このへんの信濃川は、中流。
少年の頃に見た時は、川幅が相当あったように感じたが、今の私が見ると、思ったほどではなかった。
もっとも、さすがに下流のほうはかなり川幅はあるみたいだけど。
この写真を撮った時に私が立ってたこの土手は、私が幼い頃にはなかった土手だ。
昔はこの土手がなかったので祖母の家の横から川べりになんなく歩いていけたのだが、今では新たにこの土手があるので、そうおいそれとは川べりには行けなくなっていた。
まあ、行こうと思えば行けるのだろうが、少なくても気軽には行けない感じ。
公共工事のための土手なのか、それとも何か事件でもあったのかな。
川自体は、大昔は「暴れ川」と言われたらしく、よく氾濫したそうだ。
でもその後分水が作られ、暴れることはなくなったらしい。
この写真には橋が写っているが、それは小須戸橋。
その辺りには、川が渦を巻いている個所があるらしく、この辺に住んでた子どもたちは親に「あの渦には近づくな」とよく言い聞かされていたらしい。
その渦に巻き込まれて悲劇につながってしまった事件が昔はあったのだろう。
昔の子どもたちは、信濃川でよく泳いで遊んでいたらしい。
水も今よりもきれいだったそうな。
それにしても・・・暑かった。
新潟といえば冬の雪国ぶりのイメージが強いが、夏は本当に暑い。
東京と変わらない暑さだった。
土手の上にいると、辺りに太陽や景色をさえぎる高い建物がなかったので、遠くのほうまで見渡せた。
暑さのせいで長い時間ここに立ってられなかったが、それでも、その眺めは実によかった。
私が以前作った歌で書いた歌詞「空は高く広がって ゆうゆう流れた信濃川」そのものの景色がそこにあった。