長野電鉄はがき大入場券
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おはようございます。
大阪は、今日も雨。
さらに、チリの大地震による津波の影響があるとか。
チリの地震で被災された方には心よりお見舞い申し上げるとともに、復興に向けてよりいっそうの支援が必要になるのでしょうね。
さて、話は大きく戻りますが、思い出話に戻りたいと思います。
この話を書くときは、本当に記憶だけで書いているのですが(多少の記憶の確認のためにサイトを活用していることは言うまでもないのですが。)不思議なことに書いていると30年以上前の記憶にかかわらずどんどんと思い出せるのですね。
これはある人は潜在意識のなせる技だと言いました。
潜在意識というのはすべての記憶を記録していて必要に応じて引き出してくるのだとか。
例えば今回の591系の話でも、岡谷駅でと書きかけてから念のためにとネットで591系と入力すると、岡谷駅に留置されていた・・・。
間違いないと思う反面、人のもつ能力に改めて感じ入った次第。
それと、人間脳を使わないと退化するなというのも改めて感じ入った次第。
こうして毎日書くことで、少なくとも脳の活性化だけは進むみたいですね。笑
さて、そんな無駄話はこれくらいにして、岡谷駅をから再び急行アルプスの乗客になった黒猫は、一路新宿に向かうことになりました。
実は東京までの道のりではあまり記憶に残っていないのですが、あえて言えば営業は休止していましたが編成の中に連結されたままになっていたビュフエの話をしたいと思います。
急行アルプス編成には一部の編成を除きビュフエが連結されていました。
その形式は、サハシ165、一部の列車には売店車付のサハ164が連結されていましたがサハ164形は別の方が解説しているので省略
サハ164形
さて、この「ビュフエ」ということばですが、その昔雑誌鉄道ファンの151系特集(昭和50年頃だったと思いますが興味のある方は探してみてください。)の中に、星晃さんが書かれた内容として、フランス語で「軽食堂」の意味だそうで、日本では、「ビュッフェ」と発音するする人が多く、そちらのほうが良かったかなといったことが書かれていたことを思いだしました。
参考 Yahoo知恵袋 buffetの発音は
さて、そんなビュフエですが、当時はすでに営業運転を行っていたわけでなくカウンターがあるだけの空間は、山登りをする人たちの格好の荷物置き場になっていました。
このビュフエという車両、特急で使われていたのは151系(181系)こだま形だけで、それ以外は全室食堂車が製造されるわけですが、これには明確な理由が有りました。
当時は「特急」=「一部の人が乗れる特別な急行列車」 「急行」=「庶民が乗る急行列車」という位置づけがされており、国鉄部内でも最後まで「特急」に乗るには別途特急券が必要でしたし、寝台券も割引が使えなかったのでほとんど使った記憶が有りません。
ということで、明確に区分化していたのですね。
もちろん、客車急行のように全室食堂の車両も有りましたが、それでも最新車両は優先的に特急に充当されるため、古い食堂車が急行に使われることが多かったようですね。
話がずれてしまいましたが、165系に連結されたサハシ165は、1/3が座席車、残りのスペースがビュフエになっているため座席車は正直狭苦しい雰囲気でした。
さらに出入り口が車体中央付近に来るユニークな構造でした。
そんな中、ユニークなページを見つけましたので、一緒に皆さん楽しみましょう。苦笑
国鉄時代食堂車
なんかまとまり無くなったきたけど、・・・・ビュフエな車は最高なんだ。
ということで、何ともしまらない話では有りますがこれで締めにさせていただきますね。
ジューシーフルーツ、「恋はベンチシート」ライブ版でどうぞ。
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さらに、チリの大地震による津波の影響があるとか。
チリの地震で被災された方には心よりお見舞い申し上げるとともに、復興に向けてよりいっそうの支援が必要になるのでしょうね。
さて、話は大きく戻りますが、思い出話に戻りたいと思います。
この話を書くときは、本当に記憶だけで書いているのですが(多少の記憶の確認のためにサイトを活用していることは言うまでもないのですが。)不思議なことに書いていると30年以上前の記憶にかかわらずどんどんと思い出せるのですね。
これはある人は潜在意識のなせる技だと言いました。
潜在意識というのはすべての記憶を記録していて必要に応じて引き出してくるのだとか。
例えば今回の591系の話でも、岡谷駅でと書きかけてから念のためにとネットで591系と入力すると、岡谷駅に留置されていた・・・。
間違いないと思う反面、人のもつ能力に改めて感じ入った次第。
それと、人間脳を使わないと退化するなというのも改めて感じ入った次第。
こうして毎日書くことで、少なくとも脳の活性化だけは進むみたいですね。笑
さて、そんな無駄話はこれくらいにして、岡谷駅をから再び急行アルプスの乗客になった黒猫は、一路新宿に向かうことになりました。
実は東京までの道のりではあまり記憶に残っていないのですが、あえて言えば営業は休止していましたが編成の中に連結されたままになっていたビュフエの話をしたいと思います。
急行アルプス編成には一部の編成を除きビュフエが連結されていました。
その形式は、サハシ165、一部の列車には売店車付のサハ164が連結されていましたがサハ164形は別の方が解説しているので省略
サハ164形
さて、この「ビュフエ」ということばですが、その昔雑誌鉄道ファンの151系特集(昭和50年頃だったと思いますが興味のある方は探してみてください。)の中に、星晃さんが書かれた内容として、フランス語で「軽食堂」の意味だそうで、日本では、「ビュッフェ」と発音するする人が多く、そちらのほうが良かったかなといったことが書かれていたことを思いだしました。
参考 Yahoo知恵袋 buffetの発音は
さて、そんなビュフエですが、当時はすでに営業運転を行っていたわけでなくカウンターがあるだけの空間は、山登りをする人たちの格好の荷物置き場になっていました。
このビュフエという車両、特急で使われていたのは151系(181系)こだま形だけで、それ以外は全室食堂車が製造されるわけですが、これには明確な理由が有りました。
当時は「特急」=「一部の人が乗れる特別な急行列車」 「急行」=「庶民が乗る急行列車」という位置づけがされており、国鉄部内でも最後まで「特急」に乗るには別途特急券が必要でしたし、寝台券も割引が使えなかったのでほとんど使った記憶が有りません。
ということで、明確に区分化していたのですね。
もちろん、客車急行のように全室食堂の車両も有りましたが、それでも最新車両は優先的に特急に充当されるため、古い食堂車が急行に使われることが多かったようですね。
話がずれてしまいましたが、165系に連結されたサハシ165は、1/3が座席車、残りのスペースがビュフエになっているため座席車は正直狭苦しい雰囲気でした。
さらに出入り口が車体中央付近に来るユニークな構造でした。
そんな中、ユニークなページを見つけましたので、一緒に皆さん楽しみましょう。苦笑
国鉄時代食堂車
なんかまとまり無くなったきたけど、・・・・ビュフエな車は最高なんだ。
ということで、何ともしまらない話では有りますがこれで締めにさせていただきますね。
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