みなさま、こんばんは。
昨日、昭和45年の旅に出かけましょうと言ったところ多くの方から励ましのメッセージなどをいただきましたので、今日は気をよくしてさらに加速したいと?思います。
さて、どんなお話になるのやら、なんせ頭が猫なblackcatですから、話がどこへ行くのやら。
そんなこんなで、第2夜出発進行です。
「さあ、行くよ・・・」次に猫次郎の連れて行かれた先は・・・・。
猫次郎は、38年前の自分だと言う子どもに手を引かれたと思ったら、次の瞬間目にしたものは薄暗い、車内でした。
室内にはたばこの煙が渦を巻き、天井を見上げると1列に並んだ白熱灯。
先ほどまでいた、寝台車とは雲泥の差だ。
どうやら夜行列車の座席のようであった、座席に座る人たちは、ただ目を瞑ってひたすら何かに耐えているようにも思えた。
一人の若い女性は、明らかなに水商売風の女性で、恋愛関係のトラブルでもあったのだろうか、きゅっと口ぶりを噛みしめ悲しみに耐えているようにも思えた、しかし何分薄暗い車内でありここの人たちの表情を見ることは出来なかった。
そんなとき、謎の子どもが耳元でささやいた。
「みんな、苦労しているんだ、上手くいかないからって逃げてどうするんだ。」
ここは、昭和40年の東海道本線、東京発大阪行きの列車の中さ。
急行列車にも乗れない、まして特急にすら乗れない人たちが移動するのに使う列車さ、でもみんな明日はきっといい日があると信じて生きているんだ。
猫次郎は少し恥ずかしくなってしまいました。
そうなんです、仕事が上手くいかなくて閉そく感が一杯で、どうにもならずに現実から逃げたくて列車に乗ったのです。
「君は、僕のことをわかっているんだね」
「そりゃそうさ、僕なんだから・・・・」
「僕」そんな言葉に懐かしさを覚えるとともに、今の自分が情けなくなっていたのです。
「行こうか?」
猫次郎は子どもに手を引かれながらやって来たのは列車の最後尾でした。
今の列車と違ってドアも最後尾も何も遮るものはありません。
何でこんなところに、その次に出た言葉は猫次郎にとって信じられない言葉でした。
「飛ぼうか」
「え?そんなことしたら死んでしまうじゃないか」というが早いか否か。子どもは猫次郎の腕をしっかり握ったまま最後尾の通路から線路に向かって飛んだのです。
猫次郎はショックで意識を失ってしまいました。
そして、次に気がつくと猫次郎は、やはり最後尾の車両にいました。しかし先ほどと違うのは圧倒的に明るい車内と丸くカーブしたガラスが入った展望室風の部屋でした。
「あれ、?ここは」
「君が乗っていた、あさかぜ号の車内さ。戻ってきたんだぜ。」
どういうことなのでしょう?全く理解ができませんでした。しかし、何とか無事に帰れたのですから良しとしましょう。
あさかぜは、大阪駅を出発し、淀川を渡って行くところでした。
「ピーーーー」甲高い汽笛が夜空に響かせながら、東京行きの「あさかぜ3号」がすれ違っていきます。
あれ、さっきのは夢だったのかしら。
たしかに、俺が間違っていたよな。
現実から逃げても何も始らないし・・・・。
そんなことを考えていると、猫次郎の横で声がします。
「やっと判ったかい」
38年前の自分が声をかけます。
少しは元気が出たみたいだね、良かったよ。
あまり落ち込んでいたので、ところで、未来の自分よ。
小学生の頃って覚えているかい?
そりゃ覚えているさ、万国博覧会に連れて行ってもらったんだ。
http://park.expo70.or.jp/expo70timeslip.html
両親と妹も一緒だったかな?
天王寺から地下鉄に乗って・・・でもあまり覚えていないんだよな。
ただ、駅から降りたら目の前に太陽の塔があって、お祭り広場と言われる会場で何かしらイベントやっていたのは覚えているよ。
それと、巨大なロボットも・・・
「よく覚えているじゃないか」
38年前の自分が茶々を入れに着ます。
「どこにいったか覚えてるいるかい?」
「たしか、サンヨー館に行った。そこで5月だったので「鯉のぼり」がデザインされたバッチをもらったっけ。」.
http://www.sanyo.co.jp/museum/kikaku_log_01.html#3
「ああ、そのバッチならおいら持ってるよでも、昨日着ていた服につけたままだった。」
「他には覚えているかい?」
「うーん、東芝館とか、太陽の塔にも登ったかな・・・・」
「そういえば、政府館でリニアモーターカーの模型を見たよ」
「そういえば、あったなぁ。デモって、もう走っているのかい?」
38年前の子どもが話かけます、やはり無邪気な子どもです。
「いや、まだ完成はしていない。研究段階らしい。」
「ふーん、未だできていないのか。」
「そういえば、地下鉄工事で大きな事故があったんだけど覚えているかい」
再び、会話を代えて子どもは話かけます。
猫次郎は、自分の分身が自身の子どものような錯覚に陥って色々と話し始めます。
昭和45年4月8日夕方に事件は起きたらしいね。
地下鉄工事の際に誤ってガス管を傷つけていた上に夕方の時間帯であったことが被害を大きくした原因のようだね。
この事故では、弟の安否を気にした姉が2度目の爆発に巻き込まれたという話を聞いたことがあるよ。
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E5%25A4%25A9%25E5%2585%25AD%25E3%2582%25AC%25E3%2582%25B9%25E7%2588%2586%25E7%2599%25BA%25E4%25BA%258B%25E6%2595%2585/
そうなんだ、悲しい事故だったんだね。
でも、悲しい事故もあるけど、楽しいこともあっただろう?
うーん、あったんだろうけど。今ちょっと浮かばないよ。
そうかい、でも昭和45年って色々あった年なんだぜ。
すっかり、38年前の自分と打ち解けた?猫次郎はまるで自分の子どもに話すような調子で喋りを続けるのですが・・・あまり喋りすぎたのか、隣の部屋の扉が開いて・・・・
もう少し静かにしていただけますか。
「はーい」
そう言ったその瞬間、二人は思わず目を見張ってしまいます。
そこに立っていた人は・・・・さてこの続きは明日にでもさせていただきますね。
昨日、昭和45年の旅に出かけましょうと言ったところ多くの方から励ましのメッセージなどをいただきましたので、今日は気をよくしてさらに加速したいと?思います。
さて、どんなお話になるのやら、なんせ頭が猫なblackcatですから、話がどこへ行くのやら。
そんなこんなで、第2夜出発進行です。
「さあ、行くよ・・・」次に猫次郎の連れて行かれた先は・・・・。
猫次郎は、38年前の自分だと言う子どもに手を引かれたと思ったら、次の瞬間目にしたものは薄暗い、車内でした。
室内にはたばこの煙が渦を巻き、天井を見上げると1列に並んだ白熱灯。
先ほどまでいた、寝台車とは雲泥の差だ。
どうやら夜行列車の座席のようであった、座席に座る人たちは、ただ目を瞑ってひたすら何かに耐えているようにも思えた。
一人の若い女性は、明らかなに水商売風の女性で、恋愛関係のトラブルでもあったのだろうか、きゅっと口ぶりを噛みしめ悲しみに耐えているようにも思えた、しかし何分薄暗い車内でありここの人たちの表情を見ることは出来なかった。
そんなとき、謎の子どもが耳元でささやいた。
「みんな、苦労しているんだ、上手くいかないからって逃げてどうするんだ。」
ここは、昭和40年の東海道本線、東京発大阪行きの列車の中さ。
急行列車にも乗れない、まして特急にすら乗れない人たちが移動するのに使う列車さ、でもみんな明日はきっといい日があると信じて生きているんだ。
猫次郎は少し恥ずかしくなってしまいました。
そうなんです、仕事が上手くいかなくて閉そく感が一杯で、どうにもならずに現実から逃げたくて列車に乗ったのです。
「君は、僕のことをわかっているんだね」
「そりゃそうさ、僕なんだから・・・・」
「僕」そんな言葉に懐かしさを覚えるとともに、今の自分が情けなくなっていたのです。
「行こうか?」
猫次郎は子どもに手を引かれながらやって来たのは列車の最後尾でした。
今の列車と違ってドアも最後尾も何も遮るものはありません。
何でこんなところに、その次に出た言葉は猫次郎にとって信じられない言葉でした。
「飛ぼうか」
「え?そんなことしたら死んでしまうじゃないか」というが早いか否か。子どもは猫次郎の腕をしっかり握ったまま最後尾の通路から線路に向かって飛んだのです。
猫次郎はショックで意識を失ってしまいました。
そして、次に気がつくと猫次郎は、やはり最後尾の車両にいました。しかし先ほどと違うのは圧倒的に明るい車内と丸くカーブしたガラスが入った展望室風の部屋でした。
「あれ、?ここは」
「君が乗っていた、あさかぜ号の車内さ。戻ってきたんだぜ。」
どういうことなのでしょう?全く理解ができませんでした。しかし、何とか無事に帰れたのですから良しとしましょう。
あさかぜは、大阪駅を出発し、淀川を渡って行くところでした。
「ピーーーー」甲高い汽笛が夜空に響かせながら、東京行きの「あさかぜ3号」がすれ違っていきます。
あれ、さっきのは夢だったのかしら。
たしかに、俺が間違っていたよな。
現実から逃げても何も始らないし・・・・。
そんなことを考えていると、猫次郎の横で声がします。
「やっと判ったかい」
38年前の自分が声をかけます。
少しは元気が出たみたいだね、良かったよ。
あまり落ち込んでいたので、ところで、未来の自分よ。
小学生の頃って覚えているかい?
そりゃ覚えているさ、万国博覧会に連れて行ってもらったんだ。
http://park.expo70.or.jp/expo70timeslip.html
両親と妹も一緒だったかな?
天王寺から地下鉄に乗って・・・でもあまり覚えていないんだよな。
ただ、駅から降りたら目の前に太陽の塔があって、お祭り広場と言われる会場で何かしらイベントやっていたのは覚えているよ。
それと、巨大なロボットも・・・
「よく覚えているじゃないか」
38年前の自分が茶々を入れに着ます。
「どこにいったか覚えてるいるかい?」
「たしか、サンヨー館に行った。そこで5月だったので「鯉のぼり」がデザインされたバッチをもらったっけ。」.
http://www.sanyo.co.jp/museum/kikaku_log_01.html#3
「ああ、そのバッチならおいら持ってるよでも、昨日着ていた服につけたままだった。」
「他には覚えているかい?」
「うーん、東芝館とか、太陽の塔にも登ったかな・・・・」
「そういえば、政府館でリニアモーターカーの模型を見たよ」
「そういえば、あったなぁ。デモって、もう走っているのかい?」
38年前の子どもが話かけます、やはり無邪気な子どもです。
「いや、まだ完成はしていない。研究段階らしい。」
「ふーん、未だできていないのか。」
「そういえば、地下鉄工事で大きな事故があったんだけど覚えているかい」
再び、会話を代えて子どもは話かけます。
猫次郎は、自分の分身が自身の子どものような錯覚に陥って色々と話し始めます。
昭和45年4月8日夕方に事件は起きたらしいね。
地下鉄工事の際に誤ってガス管を傷つけていた上に夕方の時間帯であったことが被害を大きくした原因のようだね。
この事故では、弟の安否を気にした姉が2度目の爆発に巻き込まれたという話を聞いたことがあるよ。
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E5%25A4%25A9%25E5%2585%25AD%25E3%2582%25AC%25E3%2582%25B9%25E7%2588%2586%25E7%2599%25BA%25E4%25BA%258B%25E6%2595%2585/
そうなんだ、悲しい事故だったんだね。
でも、悲しい事故もあるけど、楽しいこともあっただろう?
うーん、あったんだろうけど。今ちょっと浮かばないよ。
そうかい、でも昭和45年って色々あった年なんだぜ。
すっかり、38年前の自分と打ち解けた?猫次郎はまるで自分の子どもに話すような調子で喋りを続けるのですが・・・あまり喋りすぎたのか、隣の部屋の扉が開いて・・・・
もう少し静かにしていただけますか。
「はーい」
そう言ったその瞬間、二人は思わず目を見張ってしまいます。
そこに立っていた人は・・・・さてこの続きは明日にでもさせていただきますね。
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