国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 10

2010-10-15 07:27:01 | 国鉄労働組合史
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おはようございます、めっきり秋らしくなってきました。
今年は、国産マッタケが豊作だそうで、値崩れを起こしているとか・・・でも、私には関係ないですけどね。苦笑

それでは、本日も国労から見た労働運動史を綴っていきたいと思います。

┌─────────────────────┐
├○ 大量行政整理と下山・三鷹・、松川事件     │
└─────────────────────┘

 国鉄の公企体化に相前後して、定員法による大量行政整理が強行された。49年1月の総選挙で、吉田内閣与党の民主自由党が過半数を占め、力を得るとともに、GHQは経済9原則=ドッジプランの実施を要請し、吉田内閣も強力に推進した。その政策の中心は、超均衡予算と徴税強化によるインフレの終息、1ドル=360円の単一為替レート設定により、ドル=アメリカにリンクした国際経済への復帰などであったが、特に超均衡予算の実現の一環として、大量行政整理が予定されていた。5月31日、行政機関職員定員法(定員法)が公布された。この法律は、直接には国の公務員を対象としていたが、準公務員である国鉄職員や地方公務員にも準用された。国鉄の職員数は、現状より約9万5000人少ない約50万人とされた。公企体に移行した国鉄(下山定則初代総裁)では、まず7月4日、第一次人員整理として3万7000人、7月13日には、第二次案として6万3000人の職員に解雇が通告された。
 国労は、49年4月の第6回定期大会(琴平)で「首切り行政整理反対」など闘争目標を決定していた。中執の体制は、マ書簡後の中央委員会では民同派中心であったが、この大会と同時に開かれた中央委員会では、共産・革同連合が多数を占めた。また、公企体移行に際する新交番制に対する東神奈川電車区などの闘い(人民電車事件)(組合管理による電車で、赤旗を掲揚し、電車に大きく「人民電車」と書かれていた)で、中闘の方針は混乱したが、6月の中央委員会で、行政整理に対しては、最悪の場合はストを含む実力行使を行うことを決めた。
 49年7月4日の整理案が発表後、中闘は強力な闘争を展開しようとした。その矢先の6日、下山国鉄総裁が行方不明になり、常磐線の線路上でバラバラ死体となって発見された。警視庁は他殺と断定し、田端機関区の組合員の犯行とみて捜査を行ない、マスコミは共産党員あるいは国労組合員が暗殺したと思わせるニュースを流した。国労の闘争はそがれ、第一次人員整理が実行された。ついで、国労が闘争宣言を発した7月15日の夜、三鷹事件が発生した。


画像 wikipedia 三鷹事件

無人電車が暴走し、車体は駅の構外に飛び出して人家を破壊し、6名の死者を出した。当時の内閣官房長官は、何の根拠も挙げず、下山事件と底流において思想を同じくする者の仕業だとする談話を発表した。警察・東京地検は、三鷹電車区員の共同謀議だとする談話を発表した。警察・東京地検は、三鷹電車区員の共同謀議による計画的犯行と断定して、組合員10名を検挙した。この下山・三鷹事件(今日では、デッチ上げという見方が常識である)によって、行政整理反対闘争は足をくじかれ、人員整理はほぼ予定どおり実施された。
 また、8月には松川事件が起きた。東芝松川工場が、解雇反対のストに入った日、東北本線で発生した列車脱線転覆事件で、乗務員3名が死亡した。政府、検察、警察は犯人が共産党関係者であると臭わせ、東芝と国労の組合員20名を逮捕した。この事件は、長期裁判の末、後に無罪が確定した。



画像 wikipedia 松川事件

続く

参考

 法律第百二十六号(昭二四・五・三一)

◎行政機関職員定員法

 (定義)

第一条 この法律において「行政機関」とは、総理府、法務府、各省、経済安定本部及びこれらの外局をいい、「職員」とは、附則第四項及び第六項から第十項までに規定する場合を除き、行政機関に常時勤務する国家公務員で一般職に属する者(二箇月以内の期間を定めて雇傭される者を除く。)をいう。

 (各行政機関の職員の定員)

第二条 各行政機関の職員の定員は、左に掲げる通りとする。
 省略  

2 引揚援護庁の職員の定員は、前項の規定にかかわらず、引揚援護事務の状況により、特に必要がある場合においては、予算の定める範囲内において、政令の定めるところにより、増加することができる。

3 第一項に定める職員の定員の外、当分の間、終戦処理業務費、特殊財産処理附帯事務費、連合国財産返還費、りやく奪物件返還費、賠償施設処理附帯事務費及び賠償施設管理費の支弁に係る事務に従事させるため、各行政機関を通じて五千四百六人以内の職員を置くことができる。

4 前項の職員の各行政機関別の定数は、政令で定める。

 (内部部局、地方支分部局及び附属機関別の職員の定数)

第三条 各行政機関に置かれる職員の各内部部局、各地方支分部局及び各附属機関別の定数は、前条第一項に掲げる当該行政機関の定員の範囲内において、それぞれ総理府令、法務府令、省令又は経済安定本部令で定める。但し、法律に別段の定のある場合は、この限りでない。

 (在職職員数の報告)

第四条 各行政機関の長は、毎月一日現在において、当該行政機関に在職する職員の数を、行政管理庁長官に報告しなければならない。

附 則

1 この法律は、昭和二十四年六月一日から施行する。但し、この法律の規定中、中央更生保護委員会に関する部分については、同年七月一日から施行し、通商産業省に関する部分については、通商産業省設置法(昭和二十四年法律第百二号)施行の日から適用する。

2 法務府の本府の定員は、昭和二十四年六月三十日までの間は、第二条第一項の規定にかかわらず、四万千八百五十四人とする。

3 各行政機関の職員は、その数が昭和二十四年十月一日において、第二条に規定する定員をこえないように、同年九月三十日までの間に、逐次整理されるものとし、それまでの間は、同条の定員をこえる員数の職員は、定員の外にあるものとする。

4 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)附則第八条に規定する都道府県の職員(雇傭人を含む。)の定員は、同法に基く政令の定めるところによるものとし、当該職員については、前項の規定を準用する。

5 国家公務員法第八十九条から第九十二条までの規定は、前二項の規定により降任され、又は免職された職員については、適用しない。

6 日本専売公社の職員は、その数が昭和二十四年十月一日において、三万八千百十四人をこえないように、同年九月三十日までの間に、逐次整理されるものとする。

7 日本国有鉄道の職員は、その数が昭和二十四年十月一日において、五十万六千七百三十四人をこえないように、同年九月三十日までの間に、逐次整理されるものとする。

8 日本専売公社及び日本国有鉄道の総裁は、前二項の規定による整理を実施する場合においては、その職員をその意に反して降職し、又は免職することができる。


9 公共企業体労働関係法(昭和二十三年法律第二百五十七号)第八条第二項及び第十九条の規定は、前三項の場合には、適用しない。

10 日本専売公社法(昭和二十三年法律第二百五十五号)第十七条の二の規定は、第六項の規定による整理により退職する日本専売公社の職員については、適用しない。

11 第三項、第四項、第六項及び第七項の規定による整理により退職する者に対して支給する退職手当については、昭和二十四年度予算の範囲内において、恩給法(大正十二年法律第四十八号)、国家公務員共済組合法(昭和二十三年法律第六十九号)及び労働基準法等の施行に伴う政府職員に係る給与の応急措置に関する法律(昭和二十二年法律第百六十七号)に基く給与その他の給付との関係を考慮して、政令で定める。

12 未帰還職員に関する取扱については、なお従前の例による。日本専売公社及び日本国有鉄道の未帰還職員に関する取扱も、これに準ずるものとする。

13 国家行政組織に関する法律の制定施行までの暫定措置に関する法律(昭和二十三年法律第三十号)及び行政機関に置かれる職員の定員の設置又は増加の暫定措置等に関する法律(昭和二十三年法律第二百四十七号)は、廃止する。

(内閣総理・外務・大蔵大臣・法務総裁・文部・厚生・農林・通商産業・運輸・逓信・労働・建設大臣署名)

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