国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

つばめガールとはとガール、昔々の物語

2016-01-30 12:18:03 | 国鉄思いで夜話
今日は、私も生まれる前のお話なのですが、「つばめガール・はとガール」のお話をさせていただこうと思います。

戦後に最初に復活した特急は昭和24年10月の改正で「へいわ」が誕生、翌年の昭和25年1月には「つばめ」に改称、その半年後の6月に「特急はと」が誕生でと続くのですが、このとき採用された、つばめガールとはとガールですが、採用方法に微妙に差があったそうです。

「つばめ」、実は宮原客車区受け持ちで、つばめガールも大鉄局が新規採用したのに対し、はとガールは、国鉄職員の中から選抜して選んだそうです。
国鉄職員からと言われると意外に感じるかもしれませんが、国鉄時代には戦争中に車掌などが女性で賄った経緯があり、国鉄発足までは女子職員がまだまだ残っていたという理由からかもしれません。

実際、昭和24年の国鉄発足の大量解雇では主として若い女子職員が解雇の対象となっており復員者の受け入れもあって国鉄の定員は60万人近くまで膨れ上がりこれが後に、国鉄の年金問題を引き起こす原因となったのですが今回の話とは趣旨が違いますので割愛させていただきます。

ちょっと意外なんですけどね、面白いエピソードかと思います。

お星様白書 『大いなる旅路』 その2からキャプチャ

> 特急「はと」にも「はとガール」乗務始まる 6/1
>
> この日から、はとガールが乗務開始、特に当時としては漸進な薄緑色のスマートな制服とパンアメリカン航空からヒントを得たといわれるGI帽は中々洒落たものであった。
>  「つばめガール」が新規採用されたのに対し、「はとガール」は部内からの選考で選抜された。いずれも20歳前後の女性が選ばれた。

国鉄があった時代、昭和25年から引用

あと、余談ですが「大いなる旅路」にも出てきますが受持ちが大阪(つばめ)、東京(はと)と別れていたため、特に大阪は東京に対するアンチが強かったと思われますので、いい意味でサービス合戦になったのではと予測されます。笑

お星様白書 『大いなる旅路』 その2

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