国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄時代の二条駅、備忘録

2019-11-30 21:14:29 | 国鉄思いで夜話
二条駅とは、山陰本線にある駅ですが、実はこの駅のことを調べて行くと色々と面白いことが見えてきました。


二条駅は、日本で二番目に古い現存駅舎だけでなく、戦前はある荷物の取扱量でも日本で2番目だったそうです。

ちなみに、1位は、秋葉原だったそうです。


ちょっと考えてみてくださいね。



実は、二条駅で日本2位の到着を誇ったのは、薪炭(炭)でした。

二条駅は、京都の中心部になるのでここから西陣地区を中心に洛中と言われた京都市内に配送されたそうで、二条駅の北側にはそうした薪炭を扱う問屋が軒を並べていたそうです。



鉄道が開通するまでは、高瀬川(運河)で洛中まで運ばれていたそうですが、鉄道の開通により鉄道で運ばれるようになったと言われています。


同じように、京都市内の暖房用などの石炭も一手に引き受けていたそうで、駅構内には貯炭場が設けられていたと言います。

その後、エネルギー政策の転換で石炭は石油に替わり、石炭や薪炭の扱いは減少し、その代わりの目玉となったのが自動車でした。

二条駅で実は、新車の自動車の受け入れを行っていたそうで、二条駅から滋賀・鳥取方面に向けて自動車が配送されていたそうです。

ただ、スト権ストで一気に信用を失い、自動車輸送は廃止になってしまいました。

貨物輸送が不振になってからは、広いヤードは今度は留置車両の保管場所となり、583系などが一時期留置されていました。



余談ですが、583系が近郊型電車に改造されることになったのか・・・単に寝台電車が余剰になったからという理由だけでなく、電気機器を更新していたことも理由だったと言われています。
実際、583系電車は昼夜兼行電車でしたから、走行距離は通常の電車と比べれば倍走ることになりますので、電装品の劣化も早く50年代に更新が行われていたからと聞いたことがあります。
何れにしても、二条駅で留置されていた583系も419系などに改造されて活躍、寝台電車としての活躍の時期よりも近郊型電車での活躍の時期の方が長かったような気がします。

二条駅の話から、全く違った方向に行ってしまいましたね。
申し訳ございませんでした。

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