昨日は153系の話だったのですけれど、今夜は117系の話など。
117系のデビューは昭和54年だそうですけど、54年だったか53年の正月だったかは覚えていませんが、正月記事の一つに関西にデビューする新型電車ということで、117系が紹介されていました。
その時は、完成予想イラストだけだったのですが、この車両を最初に見た時は、まさかこんなかっこいい電車が出来るはずはないと子供心に思ったものです。
だって、当時は国鉄の中は混乱状態ですさみきっており、性能不適合を承知で103系を作りつづけ、113系もいい加減陳腐化しているにもかかわらず、多少のイメージチェンジだけで製造しつづけ・・・果ては、大幅な運賃値上げがたたって、国民からそっぽを向かれるし。
確かこの頃は、国鉄の料金が平行する私鉄の運賃の倍近くになって、遅くて高い国鉄より、安くて速い私鉄に利用者が流れている時期だった。
それだけに、こんな立派な車両がという思いが強かったのであろう。
現車は、イラストでは片側1灯づつだったライトが2灯になった点を除けばほぼイメージどおりの出来上がりでびっくり、さらに驚いたことは、同じ時期にデビューした185系よりも落着いた内装を持っていたことであった。
デッキ付か否かの差はあっても片や特急用。片や普通列車用、普通列車用の117系がつや消し木目の落着いた内装に比べ185系はコルク模様のつやあり化粧板・・・・
これを見た時は、大鉄局の心意気を感じたものでした。
当初は。117系は大鉄局専用という触れ込み立ったのが、あまりの好評に気を良くしたのか中京圏の輸送改善用に117系を投入することを決定したが、こちらは内装を少し予算をケチったのかつや有りの化粧板となったため、117系が持つ独特の落ち着きは失われてしまったのは残念であった。
さらに、国鉄末期には117系100番代なる、国鉄としては久々の下降式窓を持つ117系が増備され、最も美しい117系となったが、こちらも内装についてはつやあり化粧版だったため、これがつや無しの化粧板であったら日本で最も美しい普通電車になっていたであろうと思うがいかがであろうか?
117系のデビューは昭和54年だそうですけど、54年だったか53年の正月だったかは覚えていませんが、正月記事の一つに関西にデビューする新型電車ということで、117系が紹介されていました。
その時は、完成予想イラストだけだったのですが、この車両を最初に見た時は、まさかこんなかっこいい電車が出来るはずはないと子供心に思ったものです。
だって、当時は国鉄の中は混乱状態ですさみきっており、性能不適合を承知で103系を作りつづけ、113系もいい加減陳腐化しているにもかかわらず、多少のイメージチェンジだけで製造しつづけ・・・果ては、大幅な運賃値上げがたたって、国民からそっぽを向かれるし。
確かこの頃は、国鉄の料金が平行する私鉄の運賃の倍近くになって、遅くて高い国鉄より、安くて速い私鉄に利用者が流れている時期だった。
それだけに、こんな立派な車両がという思いが強かったのであろう。
現車は、イラストでは片側1灯づつだったライトが2灯になった点を除けばほぼイメージどおりの出来上がりでびっくり、さらに驚いたことは、同じ時期にデビューした185系よりも落着いた内装を持っていたことであった。
デッキ付か否かの差はあっても片や特急用。片や普通列車用、普通列車用の117系がつや消し木目の落着いた内装に比べ185系はコルク模様のつやあり化粧板・・・・
これを見た時は、大鉄局の心意気を感じたものでした。
当初は。117系は大鉄局専用という触れ込み立ったのが、あまりの好評に気を良くしたのか中京圏の輸送改善用に117系を投入することを決定したが、こちらは内装を少し予算をケチったのかつや有りの化粧板となったため、117系が持つ独特の落ち着きは失われてしまったのは残念であった。
さらに、国鉄末期には117系100番代なる、国鉄としては久々の下降式窓を持つ117系が増備され、最も美しい117系となったが、こちらも内装についてはつやあり化粧版だったため、これがつや無しの化粧板であったら日本で最も美しい普通電車になっていたであろうと思うがいかがであろうか?
こちらでは初めまして。
痛勤形酷電どっと混む!管理人の痛勤形酷電です。
先日ですが、もう残り1運用となってしまったJR東海の117系の新快速運用(5243F)を撮影してきました。やはり、何度乗車してもいい車輌だなあ…と思います。
やはり私鉄王国関西生まれの車輌と言う事で、台車は特急・急行用を履き、座席はスプリングの利いた転換クロスシート。これはかなり画期的でありました。
残念ながら座席・台車共、100番台では当時の国鉄の台所事情を反映してコストダウンを図られましたが、乗り心地は113・115系のそれとは雲泥の差であったのは、紛れも無い事実でありました。JRとなった今、こんな金の掛かった車輌は、2度と出てこないでしょう。
>残念ながら座席・台車共、100番台では当時の国鉄の台所事情を反映してコストダウンを図られましたが、
うーん、確かにそう言った考え方も有りますが、つや消しから、つや有りになったのは保守の点からも問題があったからと聞いたりしています。
あと、100番台の場合、157系以来の下降式窓が復活した点は特筆できる部分だと思います。
ボルスタレス台車も、賛否両論有るみたいですが、当時としては画期的な台車だったのではないでしょうか。
また、詳しい思い出話など書いていきますので時々覗いてやって下さいね