国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

和歌山発紀伊行き

2016-09-26 00:13:37 | 国鉄思いで夜話
その昔、阪和線の和歌山方にも区間運転の列車が走っていました。
昭和50年頃までは走っていた記憶があるのですが、・・・・。
JRになってからも、一時期走ったみたいですけどね。

昭和50年当時の阪和線の運転をみてみますと。

快速2本、区間快速2本、これに特急・急行が1本づつ和歌山まで来ていました。
区間快速は、鳳から向こうは各駅停車になるため、和歌山から天王寺に向かう場合は早く行きたい場合は特急か急行に、それでも快速は当時は55分運転でしたので快速を使っても急行に乗ってもさほど時間がかからなかったので殆どは急行に乗らずに快速に乗っていました。

なお、快速電車当時は、和歌山・紀伊中ノ島・和泉砂川・熊取・和泉府中・鳳・堺市しか停車せず、日根野も東岸和田も通過でした。

昭和50年頃では紀伊中ノ島も停車していました。
阪和電鉄時代からの和歌山線連絡の名残だったのですが、その後は朝夕のラッシュ時に停車する以外は原則通過となり昭和61年のダイヤ改正では東岸和田駅が快速停車駅に追加されることとなりました。

さて、前置きが長くなってしまいましたが。

朝夕のラッシュ時には、紀伊駅までの区間列車が走っていたのです。
私が覚えているのは、クハ76を先頭にした4連の70系電車がその区間列車に充当されていたことでしょうか。

当時の阪和線は、前面サボを付けて走って走っており。
快速電車が赤い地のタイプ、区間快速は鶯色が使われていました。

それにたいし、区間列車は白地に駅名を書く方式であったと思います。


白い看板なので余計に目立つわけです。
当時の快速電車は、和泉砂川まで停車しませんから、快速が出てすぐ位に発車する普通電車はある意味重宝されていたと思います。

今では、和歌山から日根野間は紀州路快速しか走っておらず、1時間に4本の普通電車が走る反面、昔ながらの快速電車が走っていないので、急ぐ場合は特急を利用しないといけないというジレンマに陥っています。

せめて、昔の新快速並みとは言いませんが、快速列車を復活して紀州路快速以外に普通の快速で60分程度で運転してもらいたいなぁと思ってしまいますね。

取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメールまたはメッセージ、コメントにてお待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 餘部橋梁物語、その後 | トップ | 餘部橋梁物語、その後 第2話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国鉄思いで夜話」カテゴリの最新記事