国鉄には数多くの制服がありました、もちろん今も鉄道会社でも同様に、作業の内容に応じて制服が定められているわけですが、国鉄の場合大きく分けると3つの制服に分類されていました。
それは、営業職などの一般的な制服・技術職の制服・機関士などの動力車技術員の制服(蒸気機関車のナッパ服を除きます。)
ということで、今回はその中から、技術職の制服を取りおあげてみたいと思います。
私も国鉄当局の被服担当していたわけではないので概略的なお話しか出来ませんが・・・。(^^♪
さて、国鉄技術者向けの制服はいわゆるブルゾンタイプが採用され、制帽も接客用の官帽ではなく、略帽に、桐と動輪を巻いたものがつけてありました。
技術職を中心に貸与された略帽
父親が建築課の職員でしたので子供のころから慣れ親しんでいたのは、この略帽でした。
ブルゾンタイプの制服は主に技術職が中心でしたが、構内掛(連結手)等も同様の制服だったと記憶しています。
裾が短く肩の部分が動きやすいことが特徴で、今でも現場の技術員の人たちはこのタイプの制服を着ています。
実は、私も久々に父親の形見でもある制服に袖を通してみました。
私よりも小さいので多少窮屈なのは仕方がないのですが、40代とさほど体系が変わっていないのでかろうじて袖を通すことが出来ました。(^^♪
如何でしょうか?
それらしく見えるでしょ。
少しこの辺を調べてみますと、最後の国鉄制服は、元々東海道新幹線の技術関係職員に着用したのが最初で、昭和41年から順次切り替えていったと言われています。
その時に技術職を中心に貸与されたブルゾンタイプは、下記の職員などに貸与されたと書かれています。
建築区・機械区・電修場(電機修繕職場)、印刷、保線区、工事区等技術関係区所、並びに駅構内関係職員(連結手等)となり、昭和41年までに6万人に試行貸与と書かれています。
当時の技術等の職員数が把握できていないのですが約半数にはいきわたっていたのではないかと推測しています。
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国鉄があった時代 JNR-era
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ということで、今回はその中から、技術職の制服を取りおあげてみたいと思います。
私も国鉄当局の被服担当していたわけではないので概略的なお話しか出来ませんが・・・。(^^♪
さて、国鉄技術者向けの制服はいわゆるブルゾンタイプが採用され、制帽も接客用の官帽ではなく、略帽に、桐と動輪を巻いたものがつけてありました。
技術職を中心に貸与された略帽
父親が建築課の職員でしたので子供のころから慣れ親しんでいたのは、この略帽でした。
ブルゾンタイプの制服は主に技術職が中心でしたが、構内掛(連結手)等も同様の制服だったと記憶しています。
裾が短く肩の部分が動きやすいことが特徴で、今でも現場の技術員の人たちはこのタイプの制服を着ています。
実は、私も久々に父親の形見でもある制服に袖を通してみました。
私よりも小さいので多少窮屈なのは仕方がないのですが、40代とさほど体系が変わっていないのでかろうじて袖を通すことが出来ました。(^^♪
如何でしょうか?
それらしく見えるでしょ。
少しこの辺を調べてみますと、最後の国鉄制服は、元々東海道新幹線の技術関係職員に着用したのが最初で、昭和41年から順次切り替えていったと言われています。
その時に技術職を中心に貸与されたブルゾンタイプは、下記の職員などに貸与されたと書かれています。
建築区・機械区・電修場(電機修繕職場)、印刷、保線区、工事区等技術関係区所、並びに駅構内関係職員(連結手等)となり、昭和41年までに6万人に試行貸与と書かれています。
当時の技術等の職員数が把握できていないのですが約半数にはいきわたっていたのではないかと推測しています。
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