お待たせしました、シリーズ第2弾です。
今回は、大阪と青森を結ぶ寝台特急「日本海」を取り上げたいと思います。 「日本海」という愛称を語るに当たり、昭和43年を一つの区切りとしてお話したいと思います。 と言いますのは、「日本海」という列車は昭和43年10月の改正で新設された列車であり、その際に現在の「きたぐに」から愛称を取り上げてしまった経緯があるからです。
ということで、今夜は、急行「日本海」のお話です。 急行日本海の前身をwikipediaで調べてみると、古くは大正13年7月に、羽越線全通を受けて、神戸~青森間に設定された急行列車がそのルーツとなるようです。 さて、戦争も終った、昭和22年7月5日には大阪~青森を結ぶ507・508列車と言う急行列車が設けられたそうで、これが急行「日本海」直接の先祖といえそうです。
http://page.freett.com/blackcat_kat/nenpyou/anotoki/jnr/s22_5.
さて、当然この列車には未だ愛称はなかったのですが、昭和25年11月には、急行列車にも愛称を付けることとなり、大阪と青森を結ぶ列車は「日本海」と命名されました。 当時、急行列車には旧国名を付けられる場合が多かっただけに、「日本海」という名称はちょっと以外でしたね。 参考までに、同じ時期に命名された列車は以下のとおりです。
- 東京~大阪 明星・彗星
- 東京~熊本 阿蘇
- 東京~鹿児島(当時は鹿児島が終点)きりしま
- 東京~長崎 雲仙
- 東京~博多 筑紫
- 東京~広島 安芸
- 上野~仙台 青葉
- 上野~青森 みちのく・北斗
- 上野~大阪 北陸
- 大阪~青森 日本海
- 上野~秋田 鳥海(12/20命名)
ただ、この「日本海」という列車、前回お話した、銀河などと比べるとかなりお粗末?な車両でした。というか、当時はどうしても、東海道線などの幹線には比較的新しい車両が入りますが、それ以外の線区では中古が回ってくるわけですから決して綺麗な車両が入ったとはいえないと言われていました。 また、当時は、駅弁の折り詰めなどを座席の下に置くのが一般的であったのうえ、【私も子どもの頃は父親がそうするのを見て無意識にまねをしていました。】運転時間が22時間を越えることもあり、車内には弁当の空き折りや、ビールの空き缶等が散乱するなど、決してスマートとはいえない泥臭さがあったそうです。
明日は、特急になった「日本海」様々なエピソードを交えながらお話したいと思います。
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