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おはようございます、DD54のお話3回目です。
DD51の開発が困難を極めていた中、1エンジンで2000馬力級のエンジンを模索していた国鉄として、三菱重工業が提案したDD91はその性能においても適切だったと言われています。その反面、現場を預かる管理者からは、DF50で舐めた辛酸から新しいDD54形にも同じような問題が起きるのではないかと懸念されたと言われています。
本日はそんな話が中心になります。
○説明員(藤田義人君) その当時の意見を私、直接また聞いておりませんが、先ほどありましたように昭和三十五年から昭和五十年までに蒸気機関車を廃止して、エネルギーの有効活用また無煙化対策等、そういうことで電化またディーゼル化を進めていくという非常に大きな命題のもとに、このいろいろな機関車の開発も進めてまいったわけでございます。そういう中で、DD五一は千百馬力がツーエンジン、いわゆる両方に二つ抱いているような機関車でございまして、それなりに保守上やはり手がかかる。やはりワンエンジンが欲しいということで、千八百馬力前後の亜幹線用の車両ということで、何とかこれを開発しなければならない。これに対する各メーカーとのいろいろな共同開発等の問題もあったと思いますが、しかしたまたまこの中で、特にDD九一形式の車が使用する中から、一番その目的である亜幹線用に使えるということで、旅客のばい煙禍――災い等を早くなくすこと、また動力近代化計画を進めることによって、いわゆる国鉄の経済を、そういう経営ロスを少なくするべくそういう観点に立って、この技術開発に進んでいたわけでございまして、結果的にいろいろと問題が発生しましたが、いわゆるそういうような客観情勢の中で、この亜幹線用車両としてのDD五四の開発に取っ組んでおったというのが、この四十年ごろの空気だということは十分推察できるところでございます。
○内藤功君 ところが、この導入したのは四十年十月、私の持っているのは「交通技術」四十年八月号、その当時の雑誌ですが、ここで国鉄の当時の臨時車両設計事務所におった玉置光夫という人、この人は五十年に退職されて、大宮工場長をやられて退職されて、現在ある会社の工場長をやっている人ですがね、この人の論文を見ますと、さっきあなたがほめていたズルツァ、MANということについてこう言っているんですね。「さきにズルツァ、MANで非常に苦はいをなめ現在なおかつ致命傷が解決されていない経験をもつわれわれとして本機」――本機というのはDD五四ですね。「本機も十分に慎重に扱っていく必要があると思う。」ということを言って、もうズルツァ、MANで非常に苦はいをなめたということを言っているわけです。ですから、さらに技術者として当時この三菱重工はそういう苦杯をなめているからして、簡単にこれでまたDD五四のマイバッハというやつを入れるということに賛成する意見があったとは私は思えない。むしろこれは批判的な意見ですよ、技術者として精いっぱいの意見。しかももう一カ所では、玉置氏は、「日本ではドイツやアメリカ或いはソビエトのように4、000~五、〇〇〇PS級の機関はまず不用の見透しであって、DD51クラス」――五一ですよ。あなたがこれじゃいかぬと言った「51クラスで十分だと思う。」と、こうはっきり言っておるんです。ですから、いまあなたは当時の意見はよくつまびらかでないがという前提の答弁だが、当時のことをよく調べてみる必要がある。こういう技術者の意見があったということですよ。この点はいかがです。
○説明員(藤田義人君) いま先生がおっしゃいましたように、MAN、ズルツァの問題があったことも私も仄聞しておりますが、この両方の機関車はディーゼルエレクトリックでございまして、いわゆるトルクコンバーターによって駆動するディーゼル機関車ではございません。もちろんエンジンについての問題がございますが、先ほど申しましたように、いわゆる千馬力級のエンジンでございまして、われわれが望んだのは亜幹線用の千八百馬力、いわゆるそういうわずかな違いとは思いますが、非常にディーゼルエンジンとしては苛酷な条件がございます。千と千八百といいますけれども相当その中身は違います。いわゆるズルツァとMANというものとマイバッハとそのようにいわゆる同一視するということについては、若干問題があると思います。
なお、この使う中におきまして、四十一年には鉄道技術研究所も入りまして、四十一年九月に性能試験をやり、この使用方についてもいろいろ今後の問題を投げかけながらも、十分使えるという方向で、これに対する技術的な結論を受けて、われわれとしてもこの開発に進んできたわけでございます。
○内藤功君 いまの答弁でもこの玉置氏の危惧は消えないと思いますね。同じく「交通技術」の中には、この土岐実光というこれは当時国鉄の臨時車両設計事務所におって、現在は東急車両におられる方のようですが、この方はこう言っておるんです。外国との技術提携イコール優秀ということにはなり得ないと、その理由は、「たとえばエンジンを形成する多数の部品はそのほとんどが部品の専門メーカーによって作られているのだが、これらの部品メーカーは、これまで日本で長年にわたって発達してきた手法に基く技術を持っているが、外国技術提携のものはそれらと生れが違うため製法が異り、技術の基盤がない。」トラブルが起きやすい、材料や熱処理についても「日本の技術に適さぬ場合がある。トラブルが発生したとき、日本のメーカーが自力で対策が立てられないので、海外提携メーカーに問合せると、先方は知らん顔をしているか、通り一ぺんの返答しかよこさない。こちらはこちらで基礎がないから対策がたちにくい。こんなことから」「日本の設計の方が安心だと考えるようになってきた」と、非常にはっきりこれは言っているわけです。国鉄の部内でこういう意見が技術者から出ているのですね。それで、私は調査に行ったときに聞いてみた。そうしたら、この福知山機関区では、国鉄を退職した人を三菱重工が採用して、嘱託で一年間機関区に置いていたそうですな。それから、事故が起きても国鉄の者にはメーカーは秘密を口実に説明しない。それから事故が起きると、その現場の検修体制ではできなくて、それでよく鷹取工場へ持っていってメーカーが全部やるということもあったと。部品がなくて修理ができなくて何日間もウヤですね、運休が続いたこともあるというようなことも私ども聞いてきたんです。これは、もし何かこれについてあなたのお考えがあれば――こういうこともやっぱり早期廃車の大きな原因に私はなっていると思うのですね。
○説明員(藤田義人君) いま先生がいろいろ申されましたように、確かにわれわれとして国内で技術開発をし、それでいわゆる使用条件も十分わかっているわけですから、それなりのいろいろな育て方といいますか、改良改善の仕方がございます。たまたま先ほど来申しておりますように、このエンジンはマイバッハ、またコンバーターもそういうことで非常に問題があります。DD五一そのものの生いたちがいわゆるいままでのわが国の非常に低馬力、百六十馬力ぐらいのエンジンから積み上げてきまして、最後期は五百馬力の六シリンダーをVの十二シリンダーにするということで一千馬力にする。そういうようないろいろな積み重ねをやってきましたが、やはり亜幹線用の千八百馬力級というものが、またワンエンジンの方が保守がしやすいというねらいでこの問題に取り組んできた。いわゆる技術というものは、結果から見ればいろいろとそのような事態でわれわれなりのいろいろな反省を持っておりますが、いわゆる技術開発をする過程というものは非常に一寸先はやみの中から何とかその可能性を見出すような、もちろんそれ以前の慎重な姿勢の中から技術開発というものを進めてまいらなければならないと思います。そういう姿勢の中でマイバッハの千八百馬力級を採用してきた。
なお、部品についても、先生おっしゃられましたように、いわゆるエンジン、コンバーターについての部品についてはパテントがございますから、西ドイツのマイバッハの方とよく協議をして、それに対する改良改善は了解を得なければ新しくかえることができない。そういうために非常に部品を取りかえるための時間というものがかかる。また工場の方は、やはり年間の作業量というものが計画的に積み上げられてありますから、このような臨時に入るためには、工場のそのような作業形態をいろいろ調整しまして入る時期というものを徹底しなければなりません。そうなりますと、その間入場を待つという形になってまいります。そういうようなことが頻度が多く、最後の廃車決定の前後におきましては非常にそのような事態が多発してきた。先ほど故障発生件数の中で申し上げましたような事態に至ったというのが状況でございます。
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DD51の開発が困難を極めていた中、1エンジンで2000馬力級のエンジンを模索していた国鉄として、三菱重工業が提案したDD91はその性能においても適切だったと言われています。その反面、現場を預かる管理者からは、DF50で舐めた辛酸から新しいDD54形にも同じような問題が起きるのではないかと懸念されたと言われています。
本日はそんな話が中心になります。
○説明員(藤田義人君) その当時の意見を私、直接また聞いておりませんが、先ほどありましたように昭和三十五年から昭和五十年までに蒸気機関車を廃止して、エネルギーの有効活用また無煙化対策等、そういうことで電化またディーゼル化を進めていくという非常に大きな命題のもとに、このいろいろな機関車の開発も進めてまいったわけでございます。そういう中で、DD五一は千百馬力がツーエンジン、いわゆる両方に二つ抱いているような機関車でございまして、それなりに保守上やはり手がかかる。やはりワンエンジンが欲しいということで、千八百馬力前後の亜幹線用の車両ということで、何とかこれを開発しなければならない。これに対する各メーカーとのいろいろな共同開発等の問題もあったと思いますが、しかしたまたまこの中で、特にDD九一形式の車が使用する中から、一番その目的である亜幹線用に使えるということで、旅客のばい煙禍――災い等を早くなくすこと、また動力近代化計画を進めることによって、いわゆる国鉄の経済を、そういう経営ロスを少なくするべくそういう観点に立って、この技術開発に進んでいたわけでございまして、結果的にいろいろと問題が発生しましたが、いわゆるそういうような客観情勢の中で、この亜幹線用車両としてのDD五四の開発に取っ組んでおったというのが、この四十年ごろの空気だということは十分推察できるところでございます。
○内藤功君 ところが、この導入したのは四十年十月、私の持っているのは「交通技術」四十年八月号、その当時の雑誌ですが、ここで国鉄の当時の臨時車両設計事務所におった玉置光夫という人、この人は五十年に退職されて、大宮工場長をやられて退職されて、現在ある会社の工場長をやっている人ですがね、この人の論文を見ますと、さっきあなたがほめていたズルツァ、MANということについてこう言っているんですね。「さきにズルツァ、MANで非常に苦はいをなめ現在なおかつ致命傷が解決されていない経験をもつわれわれとして本機」――本機というのはDD五四ですね。「本機も十分に慎重に扱っていく必要があると思う。」ということを言って、もうズルツァ、MANで非常に苦はいをなめたということを言っているわけです。ですから、さらに技術者として当時この三菱重工はそういう苦杯をなめているからして、簡単にこれでまたDD五四のマイバッハというやつを入れるということに賛成する意見があったとは私は思えない。むしろこれは批判的な意見ですよ、技術者として精いっぱいの意見。しかももう一カ所では、玉置氏は、「日本ではドイツやアメリカ或いはソビエトのように4、000~五、〇〇〇PS級の機関はまず不用の見透しであって、DD51クラス」――五一ですよ。あなたがこれじゃいかぬと言った「51クラスで十分だと思う。」と、こうはっきり言っておるんです。ですから、いまあなたは当時の意見はよくつまびらかでないがという前提の答弁だが、当時のことをよく調べてみる必要がある。こういう技術者の意見があったということですよ。この点はいかがです。
○説明員(藤田義人君) いま先生がおっしゃいましたように、MAN、ズルツァの問題があったことも私も仄聞しておりますが、この両方の機関車はディーゼルエレクトリックでございまして、いわゆるトルクコンバーターによって駆動するディーゼル機関車ではございません。もちろんエンジンについての問題がございますが、先ほど申しましたように、いわゆる千馬力級のエンジンでございまして、われわれが望んだのは亜幹線用の千八百馬力、いわゆるそういうわずかな違いとは思いますが、非常にディーゼルエンジンとしては苛酷な条件がございます。千と千八百といいますけれども相当その中身は違います。いわゆるズルツァとMANというものとマイバッハとそのようにいわゆる同一視するということについては、若干問題があると思います。
なお、この使う中におきまして、四十一年には鉄道技術研究所も入りまして、四十一年九月に性能試験をやり、この使用方についてもいろいろ今後の問題を投げかけながらも、十分使えるという方向で、これに対する技術的な結論を受けて、われわれとしてもこの開発に進んできたわけでございます。
○内藤功君 いまの答弁でもこの玉置氏の危惧は消えないと思いますね。同じく「交通技術」の中には、この土岐実光というこれは当時国鉄の臨時車両設計事務所におって、現在は東急車両におられる方のようですが、この方はこう言っておるんです。外国との技術提携イコール優秀ということにはなり得ないと、その理由は、「たとえばエンジンを形成する多数の部品はそのほとんどが部品の専門メーカーによって作られているのだが、これらの部品メーカーは、これまで日本で長年にわたって発達してきた手法に基く技術を持っているが、外国技術提携のものはそれらと生れが違うため製法が異り、技術の基盤がない。」トラブルが起きやすい、材料や熱処理についても「日本の技術に適さぬ場合がある。トラブルが発生したとき、日本のメーカーが自力で対策が立てられないので、海外提携メーカーに問合せると、先方は知らん顔をしているか、通り一ぺんの返答しかよこさない。こちらはこちらで基礎がないから対策がたちにくい。こんなことから」「日本の設計の方が安心だと考えるようになってきた」と、非常にはっきりこれは言っているわけです。国鉄の部内でこういう意見が技術者から出ているのですね。それで、私は調査に行ったときに聞いてみた。そうしたら、この福知山機関区では、国鉄を退職した人を三菱重工が採用して、嘱託で一年間機関区に置いていたそうですな。それから、事故が起きても国鉄の者にはメーカーは秘密を口実に説明しない。それから事故が起きると、その現場の検修体制ではできなくて、それでよく鷹取工場へ持っていってメーカーが全部やるということもあったと。部品がなくて修理ができなくて何日間もウヤですね、運休が続いたこともあるというようなことも私ども聞いてきたんです。これは、もし何かこれについてあなたのお考えがあれば――こういうこともやっぱり早期廃車の大きな原因に私はなっていると思うのですね。
○説明員(藤田義人君) いま先生がいろいろ申されましたように、確かにわれわれとして国内で技術開発をし、それでいわゆる使用条件も十分わかっているわけですから、それなりのいろいろな育て方といいますか、改良改善の仕方がございます。たまたま先ほど来申しておりますように、このエンジンはマイバッハ、またコンバーターもそういうことで非常に問題があります。DD五一そのものの生いたちがいわゆるいままでのわが国の非常に低馬力、百六十馬力ぐらいのエンジンから積み上げてきまして、最後期は五百馬力の六シリンダーをVの十二シリンダーにするということで一千馬力にする。そういうようないろいろな積み重ねをやってきましたが、やはり亜幹線用の千八百馬力級というものが、またワンエンジンの方が保守がしやすいというねらいでこの問題に取り組んできた。いわゆる技術というものは、結果から見ればいろいろとそのような事態でわれわれなりのいろいろな反省を持っておりますが、いわゆる技術開発をする過程というものは非常に一寸先はやみの中から何とかその可能性を見出すような、もちろんそれ以前の慎重な姿勢の中から技術開発というものを進めてまいらなければならないと思います。そういう姿勢の中でマイバッハの千八百馬力級を採用してきた。
なお、部品についても、先生おっしゃられましたように、いわゆるエンジン、コンバーターについての部品についてはパテントがございますから、西ドイツのマイバッハの方とよく協議をして、それに対する改良改善は了解を得なければ新しくかえることができない。そういうために非常に部品を取りかえるための時間というものがかかる。また工場の方は、やはり年間の作業量というものが計画的に積み上げられてありますから、このような臨時に入るためには、工場のそのような作業形態をいろいろ調整しまして入る時期というものを徹底しなければなりません。そうなりますと、その間入場を待つという形になってまいります。そういうようなことが頻度が多く、最後の廃車決定の前後におきましては非常にそのような事態が多発してきた。先ほど故障発生件数の中で申し上げましたような事態に至ったというのが状況でございます。
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