国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

衆議員運輸委員会-2号 昭和55年10月15日 第7夜

2015-02-19 22:47:40 | 国鉄関連_国会審議

すみません、気が付くと6日も開いてしまいました。
申し訳ございません、本日もしばらくお付き合いくださいませ。

> 労使間の問題もあって、こうおっしゃいました。確かに私もよく承知をいたしております。ただ、申し上げておきたいと思いますのは、国鉄当局に当事者能力が非常に不足しておる。あるときには労使で合意をしたことが実行されない場合だってあるわけであります。もし、もう少し当事者能力を国鉄に与えておれば無用な紛争は回避できた点もたくさんあると思う。

この点は、国鉄に対して当事者能力を与えなかったのは当時の政府なんですよね。
政府が国有鉄道として、国の管理下に少しでも置きたいと考えたことが結果的には国鉄の当事者能力を殆ど持たない会社にしてしまったと言えましょう。

> 一つは、国鉄の再建を安易に運賃値上げに頼ってきた、その結果大きな国鉄離れが生じておる、ここに問題があると思うのであります。典型的なのは昭和五十一年度に五〇%の大幅な運賃値上げをされました。運賃が上がればお客が減るだろう、あるいは荷物が減るだろうというようなことから、実際の増収は三六%程度しかないだろうということを見込まれたわけですね。予算案の策定ではそうなっておる。ところが、実績はどうなっておるかといいますと、わずかに二〇%程度の増収でしがなかったのであります。機械的に計算をいたしますと、五〇%運賃を上げたんだから五〇%増収があってしかるべきなんですね。しかし、さすがに政府の方も、国鉄離れがあるだろうということを見込まれまして三六%で予算編成をなさった。ところが、実際には二〇%しか増収にならなかった。それだけお客や荷物が他の輸送機関に逃げた。逃げたというよりも追い出されたと私は思うのであります。

この時の、旅客離れは凄まじかったですね。実際にこの値上げ以前から貨物輸送にあってはかなりの割合でトラック輸送に移行していたこともあり、スト権ストで東京の物価が上昇するのではという懸念から自衛隊による鉄道輸送も計画されたのですが・・・実際には貨物輸送は其のほとんどがトラックを使って運ばれていたというオチがついたわけで、終戦当時のゼネスト同様、組合側の敗北で終わることとなりました。

> 五〇%値上げをしたときの運賃なんでありますが、飛行機は一万四百円、国鉄でグリーン車の方は一万四千三百円、普通車でも八千三百円なんですね。こういう運賃の格差ができたわけであります。当然お客が新幹線から飛行機に逃げていく、そういうふうになってくると思うのであります。

まぁ、これは間違いないですよね。
この現象は、昭和50年のこの時だけではなく、昭和31年ころの運賃値上げでも実は見ることができます。
この時は、1等寝台の料金が飛行機料金よりも高くなってしまう現象が生じたため、1等寝台を2等車に格下げしたという経緯があります。(当時の1等寝台は冷房付き、2等は冷房なしであったため、従来の2等寝台をC寝台、1等寝台個室をA、開放式をB寝台としました。(現在のA寝台、B寝台とは異なるので注意が必要です。)

> 都市交通、通勤輸送でございますけれども、通勤輸送の方も非常に私鉄との格差が生じてまいりました。新宿-高尾間、国鉄は五十三・一キロの営業キロでありますが、五百九十円、私鉄の京王は四十四・七キロで運転営業キロは少し短いのですけれども、二百七十円、国鉄の方が倍以上でしょう。もう一つ、大阪と三ノ宮の間に例をとってみますと、国鉄は三十・六キロの営業キロでありますが三百六十円の運賃、並行して走っております阪急は三十二・三キロで国鉄よりは少し営業キロは長いのですけれども百八十円。倍でしょう。

実はこの時に私鉄運賃と大きく格差が出来たのではなく、昭和31年頃から大都市分では国鉄料金のほうが私鉄より高い状態が続いていたんですよね。
これは意外と知られていない事実のようです。

以下、国会審議の内容からご覧くださいませ。

○福岡委員 確かにいろいろな要因で国鉄が落ち込んだ、おっしゃるとおりだと思う。マイカーがどんどんと伸びてまいりました、飛行機が発達をいたしました、それは私も否定をいたしませんが、そういう時代に即応した適切な交通政策があれば今日のような状態にはならなかった。国鉄は大丈夫だろうと簡単に物事を考えられまして、適切な対策を講じられなかったところに根本的な問題がある。大臣、ここのところはこの法案を審議するに当たりましてはっきりしておいていただかないと問題の解決にはならぬと思うのであります。
 それからもう一つ、労使間の問題もあって、こうおっしゃいました。確かに私もよく承知をいたしております。ただ、申し上げておきたいと思いますのは、国鉄当局に当事者能力が非常に不足しておる。あるときには労使で合意をしたことが実行されない場合だってあるわけであります。もし、もう少し当事者能力を国鉄に与えておれば無用な紛争は回避できた点もたくさんあると思う。この点は後でまた同僚議員が詰めていくと思いますけれども、私がここで申し上げておきたい点は、繰り返しますけれども、具体的なその時代に即応した政策というものがタイミングよく打ち出されていけば国鉄はこうならなかったんだ、それがなかったから今日の国鉄の状態を招いたんだということを申し上げたいのであります。
 以下、六回にも及ぶいろいろな対策が立てられながらも国鉄の再建が軌道に乗らなかった、その点を二、三お尋ねをしてみたいと思うのであります。
 一つは、国鉄の再建を安易に運賃値上げに頼ってきた、その結果大きな国鉄離れが生じておる、ここに問題があると思うのであります。典型的なのは昭和五十一年度に五〇%の大幅な運賃値上げをされました。運賃が上がればお客が減るだろう、あるいは荷物が減るだろうというようなことから、実際の増収は三六%程度しかないだろうということを見込まれたわけですね。予算案の策定ではそうなっておる。ところが、実績はどうなっておるかといいますと、わずかに二〇%程度の増収でしがなかったのであります。機械的に計算をいたしますと、五〇%運賃を上げたんだから五〇%増収があってしかるべきなんですね。しかし、さすがに政府の方も、国鉄離れがあるだろうということを見込まれまして三六%で予算編成をなさった。ところが、実際には二〇%しか増収にならなかった。それだけお客や荷物が他の輸送機関に逃げた。逃げたというよりも追い出されたと私は思うのであります。それも私はそのはずだと思うのでありますが、当時の運賃をいろいろ比較をしてみますと、東京-大阪間の例で、これは五十一年の十一月、五〇%値上げをしたときの運賃なんでありますが、飛行機は一万四百円、国鉄でグリーン車の方は一万四千三百円、普通車でも八千三百円なんですね。こういう運賃の格差ができたわけであります。当然お客が新幹線から飛行機に逃げていく、そういうふうになってくると思うのであります。
 それから都市交通、通勤輸送でございますけれども、通勤輸送の方も非常に私鉄との格差が生じてまいりました。新宿-高尾間、国鉄は五十三・一キロの営業キロでありますが、五百九十円、私鉄の京王は四十四・七キロで運転営業キロは少し短いのですけれども、二百七十円、国鉄の方が倍以上でしょう。もう一つ、大阪と三ノ宮の間に例をとってみますと、国鉄は三十・六キロの営業キロでありますが三百六十円の運賃、並行して走っております阪急は三十二・三キロで国鉄よりは少し営業キロは長いのですけれども百八十円。倍でしょう。
 飛行機と新幹線、私鉄と国鉄を比較をするとそういうことになっておるのであります。運賃値上げ政策がいかに間違いであったか、増収を図る基本というのは、運賃よりもたくさん人に利用してもらうということが基本でなければならぬのに、それを追い出すような、しかも五〇%というような予想外、法外な大幅な値上げをした。どう思われますか、運輸大臣。

○塩川国務大臣 運賃の値上げによりまして客離れが起こったということは、これはまさに御指摘のとおりでございますし、また、それによって国鉄と他の私鉄との間に非常な格差が出てまいったことも御指摘のとおりでございます。これは私たちも、決して運賃の値上げというものをただそれによってのみ解決しようとは実は思うてはおりませんが、できるだけ運賃は低目に抑えてということでございますが、しかしながら、どうしても国鉄自身の増収を図るという意味から、それだけの運賃の値上げをせざるを得なかった。普通の私企業でございましたならば、これは一人当たりの運賃収入を上げる、何と申しますか、生産性向上の努力も相まって、その上で運賃というものを決定すべきものでございましたでしょうが、なかなかそうはいかない事情がございました。先ほど先生も御指摘のように、国鉄が当事者だけで決められない条件を持っておりまして、いわば公共機関、しかも超公共機関でございますだけに、経済合理性のみでは解決できないいろいろな要件がございました。そういうことから、結局は運賃率でいわばそろばん合わせをしてきた。そのそろばん合わせが実は合わなかったという現象が今日出てきておることは、もう認めざるを得ない現実であると思うております。

○福岡委員 大幅運賃値上げ案が国会にかかりましたときに、われわれはこういうことになりますよというのを予告をしておるはずであります。ですから、運賃値上げ政策というものを再検討されたらどうですかと言ったのですが、聞き入れられなかった。済んだことですから、それ以上申し上げても意味がないと思いますが、やはり運賃値上げ政策というものにもう限界がある。特に他の輸送機関とのバランスというものは大切である、この点を申し上げて、次に移りたいのです。
 もう一つは、国鉄がなぜ再建できなかったかという第二の理由なんでありますが、国鉄の機能が低下をいたしまして、他の輸送機関に比べてサービスも悪くなった。先ほど申し上げましたように、増収の基本というものは国鉄の利用者をふやすことである、決して運賃の値上げではない、こう申し上げたのですが、もう少し国鉄が機能低下しないように、他の輸送機関と大体同じような条件をつくるように努力をしておったならば、運賃の値上げをしなくても、利用者がふえるわけでありますから、増収になっておったと私は思うのであります。
 どういう状態になっておるかということをちょっとあれこれ調べてみますと、公共投資の面から考えてみますと、こういう状態になっておるのですよ。
 昭和三十年から五十三年度までの公共投資額を比較をしてみますと、道路は大体八十三倍投資をしている。飛行場、空港は七十倍、港湾が五十倍。それで、国鉄は何倍になっておるかということを見ますと、わずかに二十倍でしかないのです。細かい数字は申し上げませんが、結論だけ言うと、公共投資はそういうようになっておるのであります。国鉄の機能を低下させないためには、少なくともこの三倍や四倍の投資はあってしかるべきだったと思うのであります。しかも国鉄の投資は、いわゆる公共投資と言われる言葉の中に、国鉄の場合は車両も車両を検修する工場も宿舎も、そういうものを全部含めて二十倍にしかなってないのです。ところが、道路なんかは道路をつくるだけで、港湾も下部構造だけで、空港も設備は別にして、いわゆる空港の基盤だけ整備することを公共投資で計算されておるわけです。もし、国鉄を他の公共投資と同じような条件に置きかえて比較をすると、恐らく二十倍じゃない、十五、六倍に落ちるのじゃないかと思うのですね。
 こういう公共投資の状態が今日の機能低下を来しておる、こう思いますが、大臣どうですか。

○塩川国務大臣 道路、空港あるいは港湾と鉄道と全くそのままの比較にはならないようにも思うのでございますが、なぜかと申しますと、鉄道は明治開化以来ずっと長年にわたって投資してまいりまして、その集積を持っております。ところが、道路等におきましては、戦後において初めて本格的な道路建設が行われたし、特にモータリゼーションのために集中的に行われた、それが八十数倍という大きい数字になったこと、これはもう事実でございます。
 そこで、それでは国鉄の投資は機能低下させない程度にやっておったかと言いましたら、これは私も、先生のおっしゃるように、十分努めておらなかったように思います。投資の額そのものの問題ではなくして、その投資が国鉄の利用者のためにどのように有効に働いたのかというところが問題なのではないかと思うのであります。しかし、過去の投資の前例をずっと見てまいりますと、新幹線等有効に生きておるところもございますが、しかし採算の面から見ていかがかと思われる路線にまでも投資してきておる。それがやはり今日の国鉄の中に抱いておる一つの悩みとして浮かび上がってきておるように思うております。


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