今でこそ、和歌山から御坊までしか直通で運転されない紀勢本線ですが、昭和48年頃にはこんな列車が走っていました。
和歌山市発串本行き、
和歌山市を16:49に出発して串本に21:49着、これは昭和48年の時刻表から引っ張り出してきたのですが、実はこの頃の紀勢本線は大変だったんです。
ちょっと考えられませんが、この列車に充当されていたのが、キハ35ロングシート車
というのも、それまでは和歌山機関区にはキハ17やキハ20、虎の子のキハ45が配置されていたのですが、関西線が電化されたことにより、今まで関西線で使用していたキハ35が余剰となりそのまま大挙して和歌山線や紀勢本線のローカル列車用として入って来たのです。
関西線で使われていたキハ35・36はその活躍の場を紀勢本線に求めたのです。
当然ながら、この頃の串本行きも、その一つ前の周参見行きもキハ35の4連なんていう列車が走っていました。
国鉄の気動車はキハ17からキハ58まで同じエンジン、同じ制御方式ですからキハ17とキハ45を連結しても普通に運転が可能でしたが、当時は紀勢本線に大挙してキハ35が押し寄せてしまってキハ35+36でペアを組んで4連が一般的であり、たまに検査の都合なのかは知りませんが、45が連結される場合がありました
皆様は覚えておられますか?
紀勢本線をキハ35系列が走り回ったこと。
さらに、一つ前の周参見行きは、天王寺から「急行きのく」にでやって来たキハユニ15を先頭にした5連で走っていました。
荷物輸送の使命を持っていたので、天王寺から和歌山までは急行列車の先頭に・・・旅客扱いはしていなかったと思うのですが、記録によるとしっかり座席としても使っていて、急行料金も取っていたと言う話もあって・・・おいおいそれはあんまりにもぼったくりだろうと思うんですけど真相はいかがだったんでしょうか?
キハ17を「準急かすが」で走らせたときも非難轟轟だったと聞いていますから、その辺はどうだったのでしょう。
私自身は、和歌山までは締め切り扱いと聞いていたのですが。
でも、考えたら不思議な感覚ですよね。
急行列車の先頭に堂々と湘南顔の10系気動車が連結されていると言うのは・・・。
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和歌山市発串本行き、
和歌山市を16:49に出発して串本に21:49着、これは昭和48年の時刻表から引っ張り出してきたのですが、実はこの頃の紀勢本線は大変だったんです。
ちょっと考えられませんが、この列車に充当されていたのが、キハ35ロングシート車
というのも、それまでは和歌山機関区にはキハ17やキハ20、虎の子のキハ45が配置されていたのですが、関西線が電化されたことにより、今まで関西線で使用していたキハ35が余剰となりそのまま大挙して和歌山線や紀勢本線のローカル列車用として入って来たのです。
関西線で使われていたキハ35・36はその活躍の場を紀勢本線に求めたのです。
当然ながら、この頃の串本行きも、その一つ前の周参見行きもキハ35の4連なんていう列車が走っていました。
国鉄の気動車はキハ17からキハ58まで同じエンジン、同じ制御方式ですからキハ17とキハ45を連結しても普通に運転が可能でしたが、当時は紀勢本線に大挙してキハ35が押し寄せてしまってキハ35+36でペアを組んで4連が一般的であり、たまに検査の都合なのかは知りませんが、45が連結される場合がありました
皆様は覚えておられますか?
紀勢本線をキハ35系列が走り回ったこと。
さらに、一つ前の周参見行きは、天王寺から「急行きのく」にでやって来たキハユニ15を先頭にした5連で走っていました。
荷物輸送の使命を持っていたので、天王寺から和歌山までは急行列車の先頭に・・・旅客扱いはしていなかったと思うのですが、記録によるとしっかり座席としても使っていて、急行料金も取っていたと言う話もあって・・・おいおいそれはあんまりにもぼったくりだろうと思うんですけど真相はいかがだったんでしょうか?
キハ17を「準急かすが」で走らせたときも非難轟轟だったと聞いていますから、その辺はどうだったのでしょう。
私自身は、和歌山までは締め切り扱いと聞いていたのですが。
でも、考えたら不思議な感覚ですよね。
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