やっと仕事ができる準備が整ってきました。 住まいと同じ玉野市内の病院から始まって岡山市内の病院まで入院と手術を繰り返してきました。 お陰ですっかり体重が減り且つ筋力の衰えが急激にきたんです 一時は歩くことも苦労するぐらいにまで落ち込んでいたものです。
それを少しでも取り返すべく、自己流の筋トレと重い靴を履いてウォーキングを続けた、少しずつ好転してきたようだ。
母屋の直ぐ下にあるかっての蜜柑畑です。 父ちゃん母ちゃん(今は二人とも故人です)が丹精込めて作っていた極早生種を多く植えていました。 味はすこぶる付の甘さでした、大薮地域の蜜柑の評判はたちまち上がり結構遠くからも求められていました。 特に大薮の高野屋(三宅家の屋号)の蜜柑が最高だと褒められていました。 父母の骨身を惜しまない奮励努力で家族は養われていたのでした。それを少しでも取り返すべく、自己流の筋トレと重い靴を履いてウォーキングを続けた、少しずつ好転してきたようだ。
私は岡山市内でボートやエンジンの商売をしており、今年の1月下旬にそこを引き払い我が大薮に戻ってきたんです。 その途端から初めにお話しした入院生活の明けくれでした。
ただね、本来の本業でしっかり稼いでこの駐車場にログハウスと来客用の駐車場を作ろうと思っているんです。 本業の修理・艤装工場は母屋の北隣にあるかっての蜜柑の貯蔵庫跡を使います。 体力を整えると共にしっかり仕事をしますよ。
ただね、父ちゃんと母ちゃんの背中と仕事ぶりをしっかり目に焼き付けておりますのでね、やっぱりね農業の真似ごとと里山の保全回復は私のライフワークになることだろうと思っています。
どうせやるなら苦しまなくて、楽しんでやりたいですよねぇ。
でわ、この記事はこのあたりで、またねぇ~。