ログハウスを建てたいな

2017-09-26 11:16:39 | 日記
やっと仕事ができる準備が整ってきました。 住まいと同じ玉野市内の病院から始まって岡山市内の病院まで入院と手術を繰り返してきました。 お陰ですっかり体重が減り且つ筋力の衰えが急激にきたんです 一時は歩くことも苦労するぐらいにまで落ち込んでいたものです。

それを少しでも取り返すべく、自己流の筋トレと重い靴を履いてウォーキングを続けた、少しずつ好転してきたようだ。


母屋の直ぐ下にあるかっての蜜柑畑です。 父ちゃん母ちゃん(今は二人とも故人です)が丹精込めて作っていた極早生種を多く植えていました。 味はすこぶる付の甘さでした、大薮地域の蜜柑の評判はたちまち上がり結構遠くからも求められていました。 特に大薮の高野屋(三宅家の屋号)の蜜柑が最高だと褒められていました。 父母の骨身を惜しまない奮励努力で家族は養われていたのでした。


私は岡山市内でボートやエンジンの商売をしており、今年の1月下旬にそこを引き払い我が大薮に戻ってきたんです。 その途端から初めにお話しした入院生活の明けくれでした。


ただね、本来の本業でしっかり稼いでこの駐車場にログハウスと来客用の駐車場を作ろうと思っているんです。 本業の修理・艤装工場は母屋の北隣にあるかっての蜜柑の貯蔵庫跡を使います。 体力を整えると共にしっかり仕事をしますよ。 

ただね、父ちゃんと母ちゃんの背中と仕事ぶりをしっかり目に焼き付けておりますのでね、やっぱりね農業の真似ごとと里山の保全回復は私のライフワークになることだろうと思っています。


どうせやるなら苦しまなくて、楽しんでやりたいですよねぇ。

でわ、この記事はこのあたりで、またねぇ~。

まんじゅしゃげ

2017-09-26 10:56:16 | 日記




赤い花なら~♪ まんじゅ~しゃげ~~♪  オランダ坂に雨が降る~~~♪  ・・・・・

今が盛りとあちこちに咲いています、私んところの駐車場にも真っ赤な花が咲いていましたが、周りの雑草のものすごい繁茂ぶりにややひ弱な感が否めません、頑張るんだぞ。

じっと見ているとハニカんでいるのかますます萎縮しているようだ、可愛いねぇ~君ぃ~。

でわまた、さようなら。

今朝は贅沢にサンマと豚肉を食す

2017-09-25 12:34:01 | マイレシピ
またやらかしたかな、画像がアップでないのよだめなあたし。



どうかな、アップ出来たと思いますぞ。

キャベツの味噌汁はまあまあのできばえだった。 相変わらず手順を間違えてしまったんだけど、数回トライしているうちにだんだんとすすれるようになってきた、数打ちゃ当たるとはこのようなことかな。 何で猪が撃てなんだの、よその集落へ追い払ったから安心してね、そりゃあないでしょう猪に国境なんてあるものですか。

料理は回数を重ねていくほどに何とかいけるような感じです。

もう一丁、豚の細切れにピーマンとニンジン、玉ねぎ少々を混ぜ合せてオリーブオイルで炒めてみました、もちろんニンニクはしっかり効かせましたよ、たくさんこしらえたので夜ご飯まで食べられそうです、ありがたいことでございます。

焼きサンマのへりには大根(根っこの方)の適当切りを添えています。 なぜ大根おろしにしないのかって、そりゃあ手を抜いたんですよ、歯ごたえは充分、ただ良く噛んで食べる要ありです。

こりゃあ私も長女の食べ方に影響されつつあるのかな。 彼女が大学生であった頃まで家ご飯を一緒に食べていたのですが、あっ大根の適当切りは私だけのことなんです悪しからず。

彼女の食べ方は一風二風変わっておりました。 おかずは一皿平らげるまで兎に角そればかりを食べていました。 一皿目が終わると二皿目に取り掛ります、他のお皿には見向きもしません。 最後はお茶わんのごはんのみをを食べていました。

私も何度かやんわりと指導めいたことを言っては見たもののそのスタイルは一向に変えることはなかったですねぇ。 元妻も心配して口を挟んではいましたが諦めてしまいました。 その元妻がある日、「ちょっと火星まで買い物にいってくるわ」で、買い物かごを提げて出たきり30数年間音信不通になっております。 火星方面からごくごく微弱な電波が入ってきても全く聞き取れませなんだ。

彼女が高校生であった時、家庭訪問で訪ねてきた教師がやんわりと諭すように告げて帰ったことがありました。 「とやかくいうことでは決してないのですが、お宅のお譲さんはお昼のお弁当タイムと休憩時間はギリギリまで、目一杯お昼のお弁当を食べることに専念されております」、とやかく言うてんやんか、だけど私は軽く聞き流しました。 しかし今でもこの言葉はしっかりと覚えております。 お弁当の食べ方にまで注意はしていなかったようですが、おそらく家で食べるスタイルと寸分も違わないことでしょう。

大根おろしにしようが、適当切りを口にしようが、つまるところは大根を食していることにかわりはないのです。

どうやら親子そろっての変わり種の感は拭えませんです。

やれやれホッとしました、キャベツの味噌汁はどうやら剣が峰を超えることができたようです。 あと2食分はいけるね。

長々と失礼いたしました、でわまた。 

変わらずサンマを食べ続けています

2017-09-25 05:43:54 | 男料理



昨夜のサンマメインのシンプル料理です、サンマがあれば他のおかずはいらないぐらいです。 ただ、やや気になるのが生サンマがごく最近に少し値上げされました、いつも買っているスーパーで20円アップ、他のスーパーでは30~50円値上がっています、困ったもんです。 私からサンマを取り上げないでね。

次に大根ですが、部位によって味が変わるということがやっと分かりました。 葉っぱに近い方(青くび部分)が辛い、反対に根に近い方が甘い。 栽培する品種によるものとばかり思っていたのですが違ったようです。 私も大根はこれから作りたいのですが、先ずできるだけ甘い品種のものを選んで種を求めてみたいです、あと畝の作り方や土のかぶせ方などの工夫も必要なのかな。まあ試してみます。

でわまた、ありがとうございます。


ヤギを飼ってみたい

2017-09-24 16:44:44 | 動物と暮らす
将来はヤギを飼ってみたいと思っています。 生きものを飼うということはそう生易しいことではないとは思うのですが、取り組んでみたいですね。 岡山市内の山中でヤギを沢山の飼っていらっしゃる方がいます。 ヤギミルクやヤギチーズを買いに行った時でした、沢山のヤギを飼っているのには驚かされました。 私の場合にはせめて2~3頭ぐらいは飼ってみたい、今のところは願望です。 鶏も飼いたいです。 あまりエスカレートさせるのは好まないのですが、せめてそれらを実行したいなと思っております。

私の家庭では、私の幼少期から小学6年~中学1年生頃まで数多くの動物を家庭で飼っていました。 先ず代表格は牛です、主として農耕用に飼育していました。 他には鶏(玉子を採取)、鶏はたまに絞めて鶏肉を食べていました。 その時は子供心に大ご馳走でした、盆と正月が一緒に来たような喜びに身体が反応していました。 その他には犬、猫がいましたですねえ。
私が飼っていたのはハト、メジロ(今は禁止されている)やその他の小鳥達でした。 子供心にトビを飼ってみたいと思い立ち、仲間と一緒に赤松の大木に巣を作っていた雛や卵を狙ったりしたこともありました。

皆様はコブツという言葉を耳にされたことはありませんか(当地域のみで通用する言葉かも知れませんのですが。 主として小鳥を捕らえるための罠のことです。 捕らえた小鳥は解体して焼いて食べていましたのですよ。

捕獲道具は色々とあるのですが(カスミ網は一般的には禁止です)、雀やヒヨドリは子供でも比較的簡単に捕獲できます、獲れた小鳥は振りだしナイフで解体して焼きとりにして食べておりましたですねえ。 こちらは私の仕掛けではないのですが、海で餌をあさっていた鴨が夕暮れから夜に掛けて引き揚げて家の近くのため池に帰ってきます。 その折に高圧線に激突して落ちてしまうものもいたようです、それを翌朝早くに探しに行き落ちていれば拾って帰ります。 それを家で解体して肉にして食べていました。 その当時には猪も鹿もおりませんでしたからそれらの肉にはありつけませんでした、もっぱら拾った鴨やコブツで獲った小鳥の肉が蛋白源になっておりましたように思います。

私は青年期から大阪で長く暮らしていたのですが、玉野市内の同級生2人からキジ撃ちなどの狩猟をやらないかと誘われてやりました。 幼少年期の頃の本能が目覚めて取り組みました、射撃の練習は京都府下の射撃場で練習したものでした、もう今は免許も返納して止めています、もうやるつもりはありません。

岡山の猟友会の面々もそれなりに年輪を重ねてこられたのでしょうね、生息数が多過ぎる猪に圧倒されているような気がします。 猪の危険な時期は深秋から子を産み育てて行くこの先が最も危険な時期となるのです。 しっかりしっかり猪肉を求めて奮励努力なさって下さいませ。


猪肉は豚肉ににております、タレに漬け込んで調理すれば非常に旨いです。

そろそろ猪肉を食べたいな、お裾わけをよろしくお願いしますね。

ごちそうさんです。 ややとりとめのない話になりましたが許されたいと願います。 当面は豚肉でいきますかね。</div>