じわじわと気になってきた作品でした。
劇場映画は月1本と決めているのに、今月はもう3本目。
観始めるとクセになってしまう、困ったものです。
そのうち飽きるでしようから、気の済むまで観ればいいと、自分を甘やかしてしまうのも、これでいいのやら。
じわじわ来たのは、やはり原作小説のヒットでしょうか。原作がしっかりしている映画は見応えあると勝手に思ってます。
そしてまず、外れることはありません。
映画は青年の変死体の発見から始まります。
容疑者として疑われるのは、〈湿地の女〉と呼ばれる主人公。
そこから彼女の人生が振り返って映像化されていきます。
父の横暴に愛想を尽かし、母も兄弟姉妹も出ていくのですが、幼い主人公は湿地の家に取り残されます。
父親がどうなったのか見逃しましたが、 湿地暮らしの読み書きも出来ないカイア、
やがて思春期となりお決まりのガール・ミーツ・ボーイで、優しい青年と知り合います。
予告の青年の変死体は彼かと思っていましたが、さにあらず。
第二の青年が現れるのですが、これが不実な男で。
変死体はこちらの方なのです。
若い白人男はみんな一緒に見えてしまう私は、後半、どっちがどっちやらわからなくなり苦労しました。
不思議なタイトルの意味も、映画を観ただけでは理解できず、これも検索に頼りました。
自然の声を自然の中で聴く、みたいな意味でしょうか。
カイアの湿地の家は、ちょっと憧れです。
ひたすら左手で自由に絵を描くカイアの姿に、牧野富太郎を重ねてしまいました。
はっきりと自分の生き方を持っている点で、彼女は並みの女ではないのです。
ところで、
沼と池はどこが違うのでしょう。
沼という何となく不気味なイメージは、美しい自然に完全に取って変わられています。
湿地といえば蚊の大群を思い浮かべてしまう私は、とにかく日本的なのでしょう。
欲を言えば、
晩年の2人の生活をもう少し観たかったな。
原作も図書館に予約中。
こちらも楽しみにしましょう。
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