原発事故3.11 今日はあの日の1日前?

第二の福島はいつでも起こる。

できるだけすぐに逃げなさい、政府はうそをつくから

2013-05-03 05:16:11 | 日記

Plutopia【3】ロシア:Ozerskから・・・

ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)
世界の原子力村のど真ん中からの魂の叫び:Plutopia のひとつ、ロシアのOzerskの原発技師(女性)で、その後35才のときにチェルノブイリ事故の収束に従事、甲状腺がんを患い2度の手術で全摘など、晩年医者の手のつけられない状態に。”43歳のときに“障がい者”になりました。てんかんと同様の発作を起こしていました。血圧は大変高くなりました。一年のうち6ヶ月以上働けなくなりました。医者も手のつけようがありませんでした。私が狂っていると言って精神病棟にいれようとしました最終的には彼らは放射線がこれらの原因であることを認めたのです。”

”Chernobyl Cleanup Survivor's Message for Japan:
'Run Away as Quickly as Possible'”
「できるだけすぐに逃げなさい。待ってはいけません。自分を救うのです。政府を信じてはだめ。政府はうそをつくから。政府はあなたに真実を知ってほしくないのです。」

Plutopiaの具体的な地名である、Richland(USA), Ozersk(USSR)で検索しても、ほとんど情報は出て来ない。ひとつだけ出てきた。ロシアのオジョルスク(Ozersk)の原発女性技師!!!!!!だったナタリアマンズロヴァさんが、チェルノブイリ事故収束にかり出され、事故収束に当たった。大半のリクビダートルは、死亡してしまったが、彼女は、生き延びて、

何と、フクシマ直後にAOLの取材に応じ、魂の叫びとも言える日本へのアドバイスを寄せている

彼女自身も、甲状腺がんを患い、2度の手術を始め、医者の手のつけられない状況になったという。

チェルノブイリ事故収束に尽力、その後甲状腺がんなどを患い、医者も手のつけようがなくなるが何とか生き延びた、生き証人、旧ソビエト女性研究者からのアドバイス。ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)。
彼女は1986年4月当事35歳、ロシアのPlutopiaであるオジョルスク(Ozersk)の原発技師だったのだ!!!

Q: 福島原発事故のことを最初に聞いたときどうでしたか?
マンズロヴァ(以下マ):デジャヴを見ているようでした。日本の人々、特に子どもたちのことが大変心配です。何が彼らを待ちうけているか経験でわかるからです。

Q:専門家は福島事故はチェルノブイリほどひどくないと言っていますが
マ:すべての核事故はそれぞれ違います。そしてその被害も何年にも渡らねば本当には計測できません。政府がいつも真実を言うとは限りません。多くの人が家にもうもどれないでしょう。その人たちの人生は二つに分かれるでしょう:フクシマの前と後に。自分の、そして子どもたちの健康を絶えず心配することになるでしょう。
  
政府はおそらくそんなに大量の放射線はなかった人体に害を及ぼしたはずはない、というでしょう。そしておそらく人々が失ったものすべてを補償などはしてくれないでしょう。彼らが失ったものは計算不可能です。

Q:日本の人へのメッセージがありますか?
マ:できるだけすぐに逃げなさい。待ってはいけません。自分を救うのです。政府を信じてはだめ。政府はうそをつくから。政府はあなたに真実を知ってほしくないのです。それほど原子力産業は強力なのです。

Q:死のゾーンで働いたことはあなたの健康にどう影響しましたか?
マ:インフルエンザにかかったようでした。高熱が出て震えだしました。放射線に当たって最初に起こることはよい働きをする微生物叢(びせいぶつ そう:体内の特定の場所にいる無害なバクテリア)が死んでいって、悪い働きをするバクテリアが繁殖し始めるのです。いつでも突然に眠たくなり、またたくさん食べました。生きてはいるもののエネルギーが全くありませんでした。

Q:どれくらいの放射線を浴びたのですか? マ:教えられませんでした。私たちは放射線を測る線量計を身につけそれを上司に提出しましたが、結果は教えてもらえませんでした

Q:いつ甲状腺がんだとわかったのですか?
マ:チェルノブイリで数年働いた後の定期健診で見つかりました。良性だとわかりました。いつでき始めたのかはわかりません。甲状腺を半分切り取る手術を受けました。癌は再発し、昨年残りの半分を切り取りました。今は甲状腺ホルモン剤に頼って生きています。

Q:甲状腺がんができたのになぜチェルノブイリに戻ったのですか?
マ:ちょうど私が手術を受けたころ、政府はリクビダートルは4年半きっかり働いていなくては引退して年金が貰えないという法律を通したのです。一日でも足りなければ、なんの手当てももらえないのです。

Q:本当ですか?それはあまりにひどいですね
マ:だから原子力産業は危険なのです。彼らは危険性を否定したい。彼らは私たちがもらえる手当てについていつも法律を変え続けています。私たちがどれほどひどい被害を受けたか認めしまうと、原子力産業の体裁が悪くなるからです。いまや私たちはほとんどなにも手当てを受けられません。

Q:最後にチェルノブイリでの仕事を終わってから健康状態は悪化しましたか?
マ:43歳のときに“障がい者”になりました。てんかんと同様の発作を起こしていました。血圧は大変高くなりました。一年のうち6ヶ月以上働けなくなりました。医者も手のつけようがありませんでした。私が狂っていると言って精神病棟にいれようとしました。最終的には彼らは放射線がこれらの原因であることを認めたのです。

Q:フクシマへのアドバイスは?
マ:できるだけすぐに逃げなさい。待ってはいけません。自分を救うのです。政府を信じてはだめ。政府はうそをつくから。政府はあなたに真実を知ってほしくないのです。
Source:
Original:”Chernobyl Cleanup Survivor's Message for Japan: 'Run Away as Quickly as Possible'”(AOL News)
http://www.aolnews.com/2011/03/22/chernobyl-cleanup-survivors-message-for-japan-run-away-as-qui/

翻訳:(日刊ベリタ)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201103261156056