
週刊文春の連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」の記事
吉川晃司さんのコメントいいぜっ!!
(記事作成/杉本雅純)
一時期はそれほど目立つ活動をしていなかったが、NHKの大河ドラマ『天地人』で織田信長役をやったあたりから筆者のなかでは気になる存在となった。
その吉川さんが対談でかなり突っ込んだ話をしている。
ファンの方々には自明のことなのかもしれないが、はじめてそれを知った筆者は新鮮に読むことができた。
吉川さんが中学からバンドをはじめた理由が、モテたかったからなのだという。
さらに、「ロックといえば反体制。右へ倣えと言われると左を向いとけ、という自分に合ってるんじゃないか」とも思ったのだとか。
しかし、ボーイスカウトをやるなど協調性がないわけではない。
そんな自分の姿勢を「よくわかんない。
たぶん自分の中に物差しはあるんですけど、人には説明しにくい」と語る。
デビューのきっかけは、自分で「広島にすごい天才がいる。これを見ないでどうする」と書いた手紙を渡辺プロダクションに送ったこと。
その後、オーディションに受かりデビューするわけだが、「1年くらいで、もう嫌になっちゃった」。
デビューのため広島から上京する際、父親に「芸能界に入るということは猿回しの猿になるということだ。バカだな」と言われたが、それを1年で実感してしまったことになる。
1988年にはギタリストの布袋寅泰さんとCOMPLEXというユニットを結成。
スーパーユニットと騒がれ、「BE MY BABY」などのヒット曲を出すものの、結果として「ああ、隣の芝生だからキレイに見えてたんだなという思い」が残ったという。
そして、昨年には21年ぶりにCOMPLEXが被災地支援のチャリティーライブを実施。
「初めてCOMPLEXをやってよかったと思いました」と正直に語っている。
スタッフの家族が被災者だったことから、吉川さんは震災直後から現地でボランティアをやった。
その経験から、「僕は被災地で、
死ぬまで忘れられない光景をいっぱい見たんです。
と同時に、自分の無力さを痛感した。
俺にはここでできることは何もないんだなと」考えるようになった。
他方、「せめて自分の持ち場で最大限やらないと、自分で自分が嫌」になる。
だから、チャリティライブを実施することにより「
できることはやったという言い訳も、正直、つくりたかった」と本音を語る。(正直な人間だ、信用できる。)
今後のことを聞かれると、「仕事以前に、『恥ずかしい世代』というレッテルからは絶対に逃れたい」と答えている。
「恥ずかしい世代」とは何か。
吉川さんは、こう説明する。
「このまま何も策を講じることなく死んじゃったら、僕ら、恥ずかしい世代ですよね。
放射能のことも、僕らは本当のことを知らず、知識がないゆえに傍観してきた。
それは悔いても悔やみきれない。
(忌野)清志郎さんからいろいろ話を聞いたりもしてたんですけど、何でそんなにムキになっているんだろうと不思議に思うだけで」。
そして
、「次代を担う子どもたちに負の遺産を押しつけて、あとは頼むよじゃ死んでも死にきれないから、やれることはやらなきゃと思っています。 子どもに、墓に向かって『父ちゃん、何もしなかったじゃないか』と言われたくない。
言われても、せめて『いや、俺なりに頑張ったんだ」と言い返したい」と語る。
筆者は、吉川さんのこうした姿勢に共感をおぼえた。
私たちが日常的に眼にしている芸能人の姿は、彼らが外に向けて作り上げた虚像である。
それを了解した上で、私たちは彼ら彼女らのファンになったりライブにいったり映画を観たりしている。
だが、何かの拍子で素顔を見せる芸能人も時々いて、あまり関心がなかった人であっても、その素顔と虚像を「込み」で気に入るようになったりもする。
この対談を読んで、筆者が吉川さんに好感を持つようになったのがそのよい事例となる。
カッコいいぜ、吉川晃司!