墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

昭和20年3月10日が命日のお墓を洗って…

2011年03月13日 | あきねぇ便り
3月10日、偶然にもその日アタシは昭和20年3月10日に家族6人亡くなった方のお墓のお手入れの依頼があり、八柱霊園へスタッフと一緒に行ってました。

墓石に刻まれた没年月を見て、「66年目の命日だね…」と手を合わせ、それが東京大空襲の日だと年配のスタッフに教えられました。

実は、一年程前にそのお墓をクリーニングに来たのもアタシでした。
その後、木が大きくなり納骨堂の中にも根が入り込んでるからとご相談があり、木の伐採と納骨堂の掃除を引き受けたのです。
縁があります。

納骨堂の中には、質素で小さな骨壷がひとつと、大きくて綺麗な花の絵が描かれた骨壷がひとつ。
どうせなら、骨壷も出して徹底的にお掃除をしてあげましょう。と、それを外に出してあげました。

若いスタッフは、どろどろになりながら納骨堂に入り込んで、根っこの除去や、土をかき出してくれました。
とてもかび臭いその場所は、若い彼にとってけして気持ちのいいところとは思えないけど、一生懸命掃除をしてくれました。

ふと見ると、年配のスタッフは、二つの骨壷を自分の日本手ぬぐいと思われるもので拭きあげてくれていました。
「雑巾じゃ申し訳ないよ…」と、丁寧に泥を落としてくれました。

小さな骨壷は6人分の名前が書かれていたけど、とても軽いものでした。
大きな骨壷は名前はなく綺麗なお花が描かれていて、ずっしりと重いものでした。

実は、1年前にここに来たときには、大きな骨壷の主はこの中に入っていなかったのです。
この方は、空襲で焼かれた家族の身内で、このお墓の施主だったからです。
クリーニングのご依頼も、この方だったのかもしれません。
今年1月、この方は亡くなりました。
でも、施主でもないどなたかがちゃんと受け継ぎ、こうしてまた私にお手入れの依頼をしてくださったのです。
66年前にはまだ22歳だった彼は、こうして大切な人のお墓を建ててお参りしてきました。
だから、素敵な家族を作ることができ、自分の時もちゃんと大切に葬られたのではないかと、素敵な骨壷がそう思わせました。

その二つを、綺麗になった納骨堂に収め、蓋をして、周りの土や葉っぱなどをきれいに掃き、アタシたちにできることはここまでです。

墓石クリーニングの女として、何も感じずに洗うのではなく、お墓に入ってる人やその人への想いを感じながら、アタシたちにできることを一生懸命していきたいと、常々思うあきねぇです。




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