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東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 前半

2010-05-18 | 東海道歩き

あれは・・・おそらく4/15のことである。
突然思い立って地元の東海道を歩きたくなったのだ。

なにせ、地元ならば交通費がかからない!

ということで、江尻宿─府中宿(宿場間の距離は10.5km)を歩くことに決定~。

江戸から18番目の宿場町、江尻宿とは、ちょっと前までは清水市。今は静岡市清水区となってしまった、「今や市内」である。
ちびまるこちゃん、清水の次郎長親分、サッカーのエスパルスなどで知られている。


JR清水駅で降りて「江尻口」へ出る。もう片方は「みなと口」です。ちびまるこちゃんの垂れ幕が教えてくれます。

そこから真っ直ぐ歩いてセブンイレブンの交差点までいく。その交差している道が東海道。
道には途中に東海道歩きのための看板が立っているので迷わなくてすみます。親切だなぁ、府中宿はこうはいかないのだ。

この日は寒くて、この辺から雨が降ってきました。
一里塚があったはずなのだが、見逃す。

駅からちょっと離れたところに清水中心街の「清水銀座」はあります。江尻宿の中心です。そこで右折。そのへんの看板にあるが「稚児橋」というものを目指しながら歩きます。

んで、無事稚児橋に到着。

いい位置から撮ろうとしたら、車がびゅんびゅん通るから撮影断念。
変な構図になる↓


「稚児橋」の由来。
江戸初期、徳川家康の命によって巴川にこの橋がかけられました。地元の一組の老夫婦を選んで「渡り初め」をしようとしたその時!!

なんとおかっぱ頭の稚児が川の中からぴょん、と現れ、この橋を一番乗りで渡って府中方面へ消えていったのである・・・。

地元の老夫婦はがびーん・・・となったかどうかはわからないが、とにかくそれを見ていた人々は
「ありゃー河童だらー」
ということで、この橋には稚児橋という名前がつけられ、河童の像が四隅に、河童のレリーフが埋め込まれてます。

なんで稚児が河童なんだろう・・・と思っていましたが、そーゆーわけでした。
ただのおかっぱ頭の子どもだったのか、本当に河童だったのかはミステリー。

で、橋を渡り終えると河童のこしかけなんぞもある。



稚児橋を渡り終えたら次に目指すは「追分羊かん」である。
http://www.oiwakeyokan.com/syohin.html

・・・の前に、これは西木戸跡。


追分ようかんを目指してまたてくてくいく。


300年の伝統を誇る老舗です。
竹の皮に包まれた羊羹ですが、なんとなくもっちり。
甘さは控えめでなかなかいけます。子どもの頃食べたのはもーちっとマズかっ・・・あわわ。
とにかく今は美味いです。濃い~いお茶と共に召し上がりたいモノです。
この追分羊かん本店では中で休憩できます。
しかし先を急ぐので羊羹を買ったら再びちゃっちゃっと歩きます。
店の前の石碑には「ここより 志みづ道」と書かれています。ここから脇に入ると志みづ道。・・・だがそのまま歩きます。
なにせ10.5キロ、旅人二人(ワタシと娘)体力なし!

次に来たのが「都田吉兵衛」の供養塔です。
この人は清水の次郎長の子分で、これまた有名な「森の石松」を殺したやくざさんです。
次郎長一家に指名手配されてるっていうのに江尻に来て、仇として討たれたらしい。
で、誰も弔う人がいなくて、それをあわれに思った地元の人が供養塔を建てたとのことです。
ここはなんとなく撮影する気になれなかった。
というわけかなんなのか、追分みちしるべなんぞを載せてみる。

そして「金谷橋」を渡り~

昔は土で出来た橋だったらしいです。牛馬は回避してたのね。
後はひたすら歩きます。

狐ヶ崎をすぎてしばらく歩けば、見慣れた南幹線に出ます。ちょっとほっとしました。
雨は激しくなってきて、お腹もぐーぐーです。
歩く力もなくなってきました。


とりあえず草薙一里塚跡。
ここ、信楽たぬきが一緒にいるんだけどね、歩道が狭くて写す気になれなかったのです。
で、こんな構図に・・・(TдT)
んで、この一里塚跡からほど近いそば屋で休憩します。
http://www.at-s.com/bin/guru/GURU0040.asp?yid=C365510320
美味しかったのですよ。暖まったし、助かったぁ。

食べ終わってからもうひとがんばり歩こうと思ったのですが、娘がリタイヤ宣言。無理強いはできませんのでここで終了です。

続きは5/13と、約一ヶ月後のことになるのでした。
この日、歩いたルート。

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