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仙台のアーノルド監督の解任が伝えられている。サンフレ時代はアニーと呼んでいたので以下アニーと書かせていただく。プレーでの印象はあまり残っていないが、97年の思い出を少し。写真にアニーが写ってないのは申し訳ない。
98年11月に吉田サッカー公園が完成するまでは、サンフレの練習は郷原が多かった。当時は広島熊野道路がまだ開通してなくて、バスで行こうとすると呉駅まで行ってから引き返して来ないといけなかった。広島市内の自宅からだと長居の方が時間的には近い場所だった。そのせいで自力で行ったのはほんの数回、ほとんどユースの公式戦ばかりだった。
ところが97年の11月2日、郷原に練習を見に行こうと誘ってもらって、その人の車に乗って郷原に行った。W杯初出場を決めたジョホールバルが16日で、Jリーグは中断期間に入っていた。そのせいか紅白戦にはすでにサンフレを離れていたゴリさんやユース1期生の高田純や名前は思い出せないがどこかで見たことのある選手も練習生として出場していた。
そして、サポーター同士で話しているうちに、アニーは今日の練習を最後にオーストラリア代表に合流すると聞いた。ジョホールバルの日本vsイランの敗者が大陸間プレーオフでオーストラリアと対戦する事になっていた。
それならサポーターとしても、アニーに声をかけたい。しかし、プレーオフの相手は日本かもしれなくて、こういう場合何と声をかけたらいいか・・・。あーだこーだ言い合っても英語のできる人もおらんし良い知恵は出ない。ここはいらんこと言わずに握手だけしてもらおうということになった。そしてアニーが出てきて、我々が近づこうとしたら、その前に望月コーチ(現ユース監督)がアニーと握手して「グッドラック」って。ああ、ってことでサポーターも握手してもらいながら一人ずつグッドラック、今考えると馬鹿みたいな光景だ・・・
その後はご存知のようにジョホールバルでは岡野のゴールデンゴールで日本がフランス行きを決め、オーストラリアvsイランは2分ながらアウェイゴールでイランが最後の切符をつかんだ。2戦目のメルボルンが、アニーの豪州代表での最後のゲームになったそうだ。私が郷原でトップの練習を見たのはこの時一回だけ、それだけにアニーのことは忘れられない思い出だ。今年Eスタでその姿を見られなくなってしまったのは残念、プロの監督の宿命ではあるけれども・・・