このシリーズの最終回は2000年元日の天皇杯決勝、名古屋戦(13時国立)。
あれこれ悩んだけれど、結局新幹線で日帰りを選択。始発の新幹線は予定通り動いてほっとする。Vポイントで買った前段B列は最前列の席、A列はロープが張ってあった。アマのチームが天皇杯に出るとピッチに出る人数とかうるさいのだけれど、ケガでベンチ外のポイチが普通にピッチでアップしている。ユースとかけもちのトレーナーの姿も見えて、決勝戦のアップは特別なのかもしれない。サンフレのスタメンは負傷欠場の沢田に代わって右サイドに伊藤哲也が入った。
FW 26高橋泰
MF 13古賀、15主税
MF 17服部、4桑原、38カズ、5伊藤哲
DF 19上村、18ポポヴィッチ、6フォックス
GK 16下田
(SUB) GK1前川、DF23川島、MF8吉田康、9山口敏、21大久保誠
前半はお互いにシュートのない展開。上村がペナ内で倒されるシーンがあったが笛は鳴らず、あとから考えると唯一のチャンスだったかもしれない。主審の岡田さんは良く言えば研究熱心、悪く言えば先入観の入ったジャッジをする印象でウエミーはずるい部類にインプットされていたのだろう。0-0でハーフタイムとなって良く食い下がってはいたけれど、得点の可能性という点では相手に分があると言わざるを得ない。ハーフタイムにアメリカでの新年カウントダウンが映像に映って、このためにキックオフが30分早まったのだろうか。こっちは2000年問題で間に合うかびくびくしながら来たのにと腹が立った。
後半頭から、ポポヴィッチとカズがベンチに下がる。ポポヴィッチはケガが再発したのだろうか、この交代は痛かった。カズは腰痛、50日間トップチームで練習、ゲームをこなしたことが徐々に負担になっていったのかもしれない。余談ではあるが、サンフレから後に高校生でプロ契約した洋次郎や岡本も腰痛が出た。サッカーにおける飛び級は魅力ではあるけれど、上で長期間練習することによる体への負担についても考えてみる必要があると思う。
後半は名古屋が決定機を逃さず2点取ったのに対して、こちらは決定機といえるような場面はなかった。強いて言えば、けっこうあった服部のCKをことごとく楢崎にキャッチされたのがもったいなかった。0-2で準優勝、最後は総合力の差が出た印象だった。
表彰式、カズはユタカのあとに続いて準優勝メダルを受け取る。桑原はすぐにメダルを外してしまった。ヤンセン時代の2度の決勝よりは食い下がったと思うが、またしても1点が遠かった・・・
99年シーズンは、序盤戦ではルーキー高橋泰のデビューがあり、終盤には高校生のカズが8試合に出場、私にとっては面白いシーズンだった。12月下旬は2日に1回のペースでサッカーを見に行ったことになる。しかし当時は、森和幸が何者なのか、将来どんな選手になるのか全く予想できなかった。ピッチでは声が出ていないし、率先してユニを汚すタイプでもない、温室育ちのイメージもあった。ご存知のようにその後カズはサンフレの中心選手となって今や若い選手のお手本になる立場だけれど、若手がカズのマネをしようとするとうまく行かなくて、おとなしく中途半端なプレーになってしまう。そういう選手が何人かいたと思う。今考えると、カズは特異なケースで、カズのユース時代を他の選手と比べて語ること自体、間違いなのだろう。あるいは、育成はケースバイケースで選手一人一人に別々の公式があるということなのかもしれない。声が出てないとダメ、スライディングしないとダメ、気持ちが前面に出てないとダメ・・・この時代のカズや駒野は、そう決め付けてはいけないという証拠でもある。