阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

剣呑

2019-12-04 15:46:47 | 日本語
学生時代の事であるから三十年以上前のことだけれども、その頃読んだ漫画で男がナイフを取り出して、隣の男が「剣呑剣呑」と言う一コマがあった。自分の感覚では剣呑は dangerous ではなくて risky ではないかと思っていて、目の前のナイフが危ないという時には使わないのではないかと思った。しかしその時は調べてみようとは思わずそのまま忘れてしまっていた。昔と違って今は検索とかも色々手立てがあることだから、ちょっと調べてみた。まだまだ用例が足りないが上記の英単語で説明しようとしたのは全くの見当はずれであったようだ。


まずは徳富蘆花「不如帰」(明治32年)から引用してみよう。

「宜しい。分(わかい)ました。畢竟(つまり)浪が病気が剣呑ぢやから、引取つて呉れと、仰有(おつしや)るのぢやな。宜しい、分いました。」

浪子さんは肺結核のために義母の意向で軍人であった夫の不在中に離縁させられてしまう。離縁を遠回しに伝えようとする使者に対して浪子の父が言い返したのが引用の部分である。

次は国会国立図書館デジタルコレクションで「剣呑」で検索して出てきた三件、遠藤柳雨 「土窟の侠賊 : 侠骨小説 」(明治41年)の四十一章の題に、

  「上野の土窟が剣呑だ」

とあり、本文中には「上野に曲者の根拠地があるに相違ない」とあってそれが剣呑なのだろう。扇谷亮 「娘問題」(明治45年)の十三章の題には、

  「剣呑なのは男の誘惑です」

とあり、本文中には「一番危険なのは男からの誘惑で厶いますが(中略)まあまあ理解を説て其男を遠ざける覚悟が無くてはいけません」とある。野華散人 「水戸三郎丸 : 武士道精華 」(大正2年)のやはり章題に、

  「眉毛に唾を附けなくつちやァ剣呑だ」

とあり、本文には「不意に二十両と云ふ大枚の金をくれる・・・此奴は可笑しい、眉毛に唾を附けなくつちやァ剣飲だ」とある。

ここまで見た限りでは、明治大正期の剣呑は危険と言っても回避すべき、遠ざけるべき、忌み嫌うべき困難、不安というようなニュアンスに思える。リスクを負って乗り越えるという感じではない。ところが夏目漱石「坊っちゃん」(明治39年)では、


「君が来たんで生徒も大いに喜んで居るから、奮発してやつて呉れ給へ」と今度は釣には丸で縁故もない事を云ひ出した。「あんまり喜んでも居ないでせう」「いや、御世辞ぢやない。全く喜んで居るんです、ね、吉川君」「喜んでる所ぢやない。大騒ぎです」と野だはにやにやと笑つた。こいつの云ふ事は一一癪に障るから妙だ。「然し君注意しないと、剣呑ですよ」と赤シヤツが云ふから「どうせ剣呑です、かうなりや剣呑は覚悟です」と云つてやつた。実際おれは免職になるか、寄宿生を悉くあやまらせるか、どつちか一つにする了見で居た。

とあって、「どうせ剣呑です、かうなりや剣呑は覚悟です」とこれまでの用例とは違う雰囲気がある。しかし坊っちゃんの冒頭といえば「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る。」であって、これは坊っちゃんの性格から出てくる常識外れなセリフという可能性もある。坊っちゃんの用例をどう扱うかはまだまだ探してみないと結論を出せないようだ。また昭和の時代小説には出てくる剣呑な表情の男に女が恋をして、みたいな話は上記の用例からすれば明治大正期には無さそうに思える。これも探してみたい。そして最初に戻ってナイフの件、ここまで見た剣呑は抽象的な漠然とした危険、困難であって、「あの人アレだから」みたいな感覚に近いかもしれない。具体的に目の前のナイフの危険を剣呑と言わないように思えるのだけど、これもまだ断定はできない。もっと調べてから書けと言われるのはもっともなことだ。しかし、ここまでを書いておかないと、そのうちすっかり忘れて・・・いや、次の展開の有難みが薄れるということにしておこう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。