阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(8) なら坂

2018-11-03 18:50:14 | 栗本軒貞国

栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は哀傷の部より一首

 

    師の十三回忌に 

なら坂やこの手をつけは塚の前むかしのけふかおもひ出さるゝ 


 貞国の師は芥川貞佐、おまむきの回にも書いたように墓は仏護寺、今の本願寺広島別院にあった(今は失われているそうだ)。だから、なら坂とあっても奈良は無関係だ。これもしばらくわからなかったのだが、意外なところにヒントがあった。狂歌家の風には、なら坂が出てくる歌がもう一首ある。


    疑恋 

書てくれたきしやうもあてになら坂やこの手の外ににせかけた筆 


別々に読んだ時このなら坂は「あてにならぬ」と言いたいだけと思っていた。並べてみると何のことはない、「この手」に続いている。「にせかけた」は「二世かけた」それで疑恋となるわけだ。見せかける、という意味もあるのかどうか、よくわからない。奈良坂の話を続けよう。ここでは「この手」を導いた奈良坂、元は児手柏(このてがしわ)に続いている。謡曲「百萬」の一節、

「奈良坂の、このてがしはのふた面、とにもかくにも 侫人の」

さらにその本歌は万葉集巻十六、ここは初句が奈良山になっている。

 

    謗歌一首

奈良山乃 兒手柏之 両面 左毛右毛 之友

(ならやまの このてがしはの ふたおもて とにもかくにも ねぢけびとのとも)


前回、誓紙のところで引用した好色一代男の奈良の話でも冒頭に「奈良坂や、このたびは」と奈良坂が「この」と続いていた。しかし、狂歌家の風以外の三例は、いずれも奈良が現場であるのに対して、貞国の二首は奈良は全く関係なく、枕詞のように使われている。もちろん辞書をみても奈良坂という枕詞はのっていない。子規の「久方のアメリカ人」と同じような匂いもしなくはない。もっとも狂歌ではわりとよくある技巧かもしれないとも思う。私も、なら坂がこの手にかかることがわかった後は、違和感なくこの二首を眺めることができた。他の狂歌の用例を探してみたい。

 

【追記】萬載狂歌集に、「なら坂」が「この手」に続く歌があった。

 

    柏餅                 山手白人

なら坂やこの手にもちし柏もちうらおもてよりさすりてぞくふ

 

しかしこの歌は柏餅、うらおもてと上述の元歌の面影を残していて、本歌取りの範囲内だろう。貞国の用法とは違うようだ。



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