カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

映画『愁いの王―宮澤賢治―』を観る/語る会

2019-07-11 | 映画系

【テーマ】  映画『愁いの王―宮澤賢治―』を語る会
【開催日時】7月13日(土)上映12:45~16:30終了予定 /語る会:17:00〜19:00
【開催場所】フォーラム福島で上映後、近所の飲食店にて開催します。
予算は1,500円(食事・ソフトドリンク)、アルコール3,500円程度です。
参加希望の方はは必ずメッセージでお申し込みください。席数に限りがあります。

満席御礼<(_ _)>申し込みを締め切らせていただきますm(__)m
【申し込み】語る会に参加される方はメッセージでお申し込みください。
【参加費】映画鑑賞料は各自でお願いします。飲料費・会場費の詳細は後ほどアップします。
  ※前売り券はフォーラム福島にてご購入下さい.
前売り券の販売開始は5月20日からです。
  ※映画前売券:大人2000円/学生1000円(当日は大人2500円/学生1500円)
  ※招待券不可、前売限定150枚完売し次第、当日発券はなしになります。

   完売御礼<(_ _)>
【カフェマスター】深瀬幸一
【開催趣旨】

今年の2月に東北農民管弦楽団の練習に参加するために花巻を訪れた。
前日、宮沢賢治記念館を訪れた際にフライヤーを見て初めてこの映画のことを知った。
間もなく盛岡でたった一回の上映がされるという。
あいにくその日は予定があり行くことができない。
その時からこの映画のことが気になって仕方がなくなってしまった。

 宮沢賢治の法華経への傾倒に焦点を当てているという。
賢治は多面的な存在だ。詩人、小説家、教師、農民、宗教家、そして生身の人間として。
詩や小説が難解なせいもあって、神話性をまとっている人物でもある。
詩や小説が難解なのは彼の法華経信仰と無関係ではない。
吉田監督は、彼の難解な詩や小説を理解するために法華経を勉強したそうである。
この映画は全篇モノクロームで撮られ、BGMは全てバッハである。
ことに多く選曲されているバッハのコラールは、このキリスト教作曲家の信仰告白に等しい。
吉田監督は法華経そのものについて語りたいのではなく、法華経が賢治の心にどう根付き、それが彼の人生をどう変えたのかを描きたいのではないか。

バッハの傑作『マタイ受難曲』は、罪なきイエスキリストを十字架にかけた人間の罪を苛烈に描いている。
罪とはその時の当事者だけのものではなく私たち人間の罪である。
賢治の小説や詩を読むと彼は常に自らの罪(業)を見つめ向き合っていた人物だと思う。
私にはバッハの描いた人間の罪と賢治が見つめた罪(業)が重なり合うように思われる。
東北農民管弦楽団は、農業に携わりかつ宮沢賢治の「農民芸術論要綱」に共感する人々によって構成されている。
農業に携わる人々にとって自然とは恵みでも脅威でもある。
自然を治めることの不可能性を誰よりもよく知っているのは農民である。
人間とは、自然に対しても自らの罪(業)に対しても、ひたすら許しを乞い祈るより仕方がない存在である。
音楽とは祈りである。
音楽は農民にこそふさわしい活動である。

震災原発事故から8年以上が経った。
震災は人間がいかに弱い存在であるかを改めて教えてくれた。
私たちは、私たちの罪(業)を忘れるべきではないのと同様にこのことを忘れるべきではない。
この映画を福島の心ある人々と見たい。
そして宮沢賢治について、人間の罪(業)について、自然について、震災原事故以降の私たちの生き方について話し合う機会が持てればと願っている。(深瀬)

【ストーリー】映画HPより
1896年(明治29)の陸羽大地震の4日前に岩手県の花巻で生まれた賢治は、町でも有名な裕福な家庭で育ち何不自由なく過ごした。また、家が真宗で信仰の厚い家庭で育ったのだが、実家の家業の質屋には反発を覚えていた。
すぐに家業を継がせたい祖父の反対を押し切り、全国各地から秀才の集まる盛岡高等農林学校に進学した。その頃、法華経と出会い衝撃を受け、生涯信仰する様になるが、家が真宗だったため父親と対立する様になり、家業を継ぎたくない賢治は卒業後、家出して上京する。
そこで、在野の宗教団体・国柱会で修行し布教活動をするのだが、最も信頼し自分を理解してくれる最愛の妹トシが病に倒れたとの電報を受け取り、花巻に戻る。そして、家業を継がせる事を諦めた父の後押しもあって花巻農学校の教師になる。そこでの教師生活の4年4ヶ月は賢治にとっても生徒達にとっても至福の時だった。しかし、教師になって一年余り、最愛の妹・トシが亡くなる。賢治は妹亡き後、暫くの間、筆を手に取る事ができなかった。
トシが亡くなった翌々年に詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を自費出版する。それらはまったく売れなかったが、生前に出版されたのはこの2冊だけであった。
教師を辞めた賢治は自給自足の農民生活を送るが、農民のために奔走し無理がたたって倒れてしまう。一度は回復するのだが、すぐに再び病に伏し、37年の生涯を閉じる。その年1933年(昭和8)3月3日に三陸大地震が起き、岩手は大被害を被る。
没後、弟の清六が賢治の遺言である法華経を筒に納めて岩手県内の32ヶ所の経埋ムベキ山に埋経する。
2052年に賢治の遺言の法華経が、ある山から見つかる。その経筒には
〝此ノ経 尚 世間ニマシマサバ 人コノ筒ヲトルコトナク 再ビ コノ地中ニ安置セラレタシ〟と書いてあった。
見つけた男はその経を持って、混沌とするこの世界に下山するのであった。
 1896年(明治29)の陸羽大地震の4日前に岩手県の花巻で生まれた賢治は、町でも有名な裕福な家庭で育ち何不自由なく過ごした。また、家が真宗で信仰の厚い家庭で育ったのだが、実家の家業の質屋には反発を覚えていた。
 すぐに家業を継がせたい祖父の反対を押し切り、全国各地から秀才の集まる盛岡高等農林学校に進学した。その頃、法華経と出会い衝撃を受け、生涯信仰する様になるが、家が真宗だったため父親と対立する様になり、家業を継ぎたくない賢治は卒業後、家出して上京する。
 そこで、在野の宗教団体・国柱会で修行し布教活動をするのだが、最も信頼し自分を理解してくれる最愛の妹トシが病に倒れたとの電報を受け取り、花巻に戻る。そして、家業を継がせる事を諦めた父の後押しもあって花巻農学校の教師になる。そこでの教師生活の4年4ヶ月は賢治にとっても生徒達にとっても至福の時だった。しかし、教師になって一年余り、最愛の妹・トシが亡くなる。賢治は妹亡き後、暫くの間、筆を手に取る事ができなかった。
トシが亡くなった翌々年に詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を自費出版する。それらはまったく売れなかったが、生前に出版されたのはこの2冊だけであった。
 教師を辞めた賢治は自給自足の農民生活を送るが、農民のために奔走し無理がたたって倒れてしまう。一度は回復するのだが、すぐに再び病に伏し、37年の生涯を閉じる。その年1933年(昭和8)3月3日に三陸大地震が起き、岩手は大被害を被る。
 没後、弟の清六が賢治の遺言である法華経を筒に納めて岩手県内の32ヶ所の経埋ムベキ山に埋経する。
 2052年に賢治の遺言の法華経が、ある山から見つかる。その経筒には
 〝此ノ経 尚 世間ニマシマサバ 人コノ筒ヲトルコトナク 再ビ コノ地中ニ安置セラレタシ〟と書いてあった。
見つけた男はその経を持って、混沌とするこの世界に下山するのであった。
 

【案内】映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」のご案内

2019-06-25 | 映画系


友人で映画館支配人のフォーラム福島・阿部泰宏さんからのご案内です。
あの巨匠フレデリック・ワイズマンが描いたニューヨーク公共図書館とはどのようなものなのか。
本を読まない、買わない人たちの増加にあって図書館の新しい形のヒントがありそうです。
みんなでフォーラム福島へ観に行きましょう!

上映期間 7月5日(金)~11日(木)
フォーラム福島


【yahoo映画解説】
世界中の図書館員の憧れの的である世界屈指の知の殿堂、ニューヨーク公共図書館の舞台裏を、フレデリック・ワイズマン監督が捉えたドキュメンタリー。
19世紀初頭の荘厳なボザール様式の建築物である本館と92の分館に6000万点のコレクションを誇るニューヨーク公共図書館は、地域住民や研究者たちへの徹底的なサービスでも知られている。
2016年にアカデミー名誉賞を受賞したドキュメンタリーの巨匠ワイズマンが監督・録音・編集・製作を手がけ、資料や活動に誇りと愛情をもって働く司書やボランティアの姿をはじめ、観光客が決して立ち入れない舞台裏の様子を記録。
同館が世界で最も有名である理由を示すことで、公共とは何か、そしてアメリカ社会を支える民主主義とは何かを浮かび上がらせていく。
リチャード・ドーキンス博士、エルビス・コステロ、パティ・スミスら著名人も多数登場。
第74回ベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。



映画「裁き」de BAR・雑感

2017-10-21 | 映画系


映画「裁き」での言論カフェ。
チャレンジでした。
これまでにないチャレンジだった、と見終わって誰もがそう思いました。
何せ、だいたい皆、寝たそうです。
かくいう僕も、昨夜いっしょに観に行った相方は最初から最後まで爆睡。
見ていない人よりも説明できないほどの睡眠導入剤だったようです。

それでも、必死にみんななんとか言葉を紡ぎました。
インドの司法制度の前近代性、詩人の歌声のすばらしさ・・・
でも、あとは何もない。本当に何も言葉が出てこない。
圧倒的に何も残らない。
映画のもともとのタイトルは「court」。
つまり、「法廷」。
こっちの方であればまだ、法廷を描いた作品として解釈が可能だったかも。
そもそも宣伝のキャッチフレーズが巧みすぎだ。
あれなら、誰でも不条理な罪状で翻弄される人間の闘いを描いたものと思い込むじゃないか。

むしろ、これで何があるのかを教えてほしい。
インドのカースト制のひどさ、裁判の緩さ、不条理さ。
そんな陳腐な言葉で何とか意味づけようとしても、そこからするりと抜け落ちる何かがあるようで何もない。
いちおう、パンフレットを紐解いてみた。
なるほど、もっともらしいことは解説してある。
けれど、So what ? 
困り果てた挙句、ただの飲み会になった。
「三度目の殺人」の方がよほど語れたかな。
映画って難しいね。

その後、2次会で、大人になれば自然に幸福になれるのか?幸福だと思える瞬間なんてほんの一瞬じゃないか、だとすれば生きているって何なんだ。
人生を振り返ると、あっという間に過ぎ去る速さに驚きを覚えるとともに、生きている実感を得られる瞬間のはかなさにぞっとする話。
それと人生で最も輝いた瞬間はいつだったか、そんなこと自分で決められるのか、そんな哲学チックな議論になった。
もちろん映画とは何の関係もない。
が、よほど話が盛り上がった。
でも、映画に強引に重ね合わせれば、冤罪を被った主人公の人生って何だったのか、と問えなくもない。
どうでもいい、雑な司法制度に翻弄され、ああやって人生はいつの間にか消耗して終わる。
自分の力では何とも制御できないものに翻弄されながら、たらい回しにされながらいつの間にか人生の不条理と何の変哲も高揚もない日常の混在の中でい生は自分ではないものに巻きこまれつつ、翻弄されつつ、無感動のままにぐるぐる永劫回帰する。
なんか、そんな虚無的な力を入れることの無意味さを映画に感じながら、仲間と人生の意味を語り合いつつ夜が更けていったのだ。
(文;渡部 純)








映画「裁き」de BAR

2017-10-01 | 映画系
        
             
週末の夜、映画を観た後に一杯やりながら(飲まなくても大丈夫です)語らいませんか?
映画鑑賞は都合のよい日に各自でご覧になって下さい。
その感想や考えたことを持ち込んで、お互い語らいましょう。

【日 時】10月20日(金)
  上映時間  18:15~20:20 
  言論カフェ 20:30~21:30
【会 場】 BLACK COMET CLUB(福島市陣場町8-11 茂木ビル 1F)
【映画作品】「裁き
 フォーラム福島にて10月14日(土)~20日(金)上映(20日はフォーラム6番での上映です)
 ※各自でご都合の良い日時にご覧下さい。
 ※会場席数に限りがありますので、できればブログメッセージかFacebookページにご連絡下さい。
 ※言論カフェの会場はフォーラム福島ではありません。
【参加費】飲み物を各自でご注文下さい ※食べ物は持ち込み可らしいです
【カフェマスター】渡部 純


            
映画「裁き」のストーリー(HPからの引用)

ある下水清掃人の死体が、ムンバイのマンホールの中で発見された。
ほどなく、年老いた民謡歌手カンブレが逮捕される。
彼の扇動的な歌が、下水清掃人を自殺へと駆り立てたという容疑だった。

不条理にも被告人となった彼の裁判が下級裁判所で始まる。
理論的で人権を尊重する若手弁護士、100年以上前の法律を持ち出して刑の確定を急ぐ検察官、何とか公正に事を運ぼうとする裁判官、そして偽証をする目撃者や無関心な被害者の未亡人といった証人たち。

インドの複雑な社会環境の中で、階級、宗教、言語、民族など、あらゆる面で異なる世界に身を置いている彼らの個人的な生活と、法廷の中での一つの裁きが多層に重なっていき…


映画「幸福は日々の中に。」deカフェ・雑感

2017-08-27 | 映画系
         

鹿児島しょうぶ学園園長・福森伸さんと猪苗代町はじまりの美術館・岡部兼芳さんをゲストに、映画「幸福は日々の中に。」上映後、観客との言論カフェが行われた。
岡部さんには、はじまりの美術館での言論カフェでお世話になったが、恥かしながら福森さんのことを知ったのはこの映画の試写会がはじめてだった。
映画の中の福森さんの強烈な言葉の一つひとつ、そして鮮烈なしょうぶ園のパーカッションバンドotto&orabuの音楽に衝撃を受けた。
その瞬間、とてもこの「障害者」とアート実践の最前線に立つ二人をファシリテートなどできるはずもないことを直感し、その現場を知らないものが知らないものとして臨むしかないことを悟る。
というよりも、もはやこの巨人二人のファシリテートなんて蛇足もいいところだ。
阿部さん、勘弁してくれよ。ファシリテーターを引き受けたことをちょっと後悔した。

というわけで、本番当日。
福森さんの圧倒的な存在感と、それに思いをぶつけようとする岡部さんの真摯な姿勢に気圧される。
予め断っておけば、以下で「障害者」や「障害」という言葉を用いることには違和感以上のものがある。
後々ふれることになるが、「障害者」や「障害」はそもそも存在するのかどうかは、今回問われた大きな論点の一つだ。
その概念を問いにかける以上、さしあたりは括弧つきでこれらの言葉を使用することを確認しておきたい。

福森さんはまず、「障害者」施設における規則の暴力について語るところから始めた。
わずかでも歩けるのに怪我のリスクを懸念して施設利用者の物理的自由を奪うのは、当人にとってどうなのか?
福祉の専門知識はその疑問を論外の思考と排除しようとする。
往々にして、そこでは「障害者」の「幸福」や「自由」が、「健常者」にとってのその基準でもって測られる。
いや、その実、それは何か事をしでかすことへの「恐れ」や「不安」を、「障害者」にとっての「幸福」や「自由」に置き換えながら免責の欲望を働かせているに過ぎない。
そのことを福森さんは、「1%のリスクを回避するために99%の自由を犠牲にすることが果たしていいのか?」と問いかける。

「健常者」の「ふつう」が、生きづらさを抱えている人に不自由を強いる。
介護福祉に携わる参加者の一人は、「なんとか立っていられる」老人を歩かせることは転倒してけがをさせるリスクがあるからと、「椅子に座らせて立たせない」ままにする福祉現場の常識が、利用者とともに職員のストレスの原因になっていることを告げた。
「手で這うこと」を「転んだ」とみなす健常者側の「ふつう」を反転させれば、それは「這ってでも歩く自由」が残されていることでもあるはずだ。
しょうぶ園では週末に利用者が飲みに行ける「居酒屋」が開かれる。
それは福祉の専門家からすれば、「え?そんなことしていいんですか?」という反応を呼ぶ。
だが、福森さんは「俺だって晩酌したいのに、なぜ彼らはダメなのか?」と、逆にその評価を根底から問う。
「健常者」側の「ふつう」でもって規則を作り、彼らの「自由」や「幸福」を測るな。
専門的なリハビリテーションプログラムは、果たしてどちら側の「幸福観」でつくられているのか。
それは本人の「幸福観」に沿っているのか。
もちろん、当事者本人の幸福感そのものは、他者には知りえない。
にもかかわらず、「その人は幸せになるんですか?」と問いかけることによって職員同士が考え、議論し始めることは、どこかその思いが本人に通じていくのではないだろうか。福森さんはそう語る。

それでも介護の現実はどこか転倒している。
なぜ、人は重度の要介護認定評価を得ようとするのか。
もちろん、高い介護サービスを受けるためであろう。
けれど、あえて自分が不自由な状態である不健康を主張し、そのことを公認されることを欲するようなシステムは何かが転倒している。
福森さんは「ふつう」に考えれば「異常なこと」を、システムの側が「ふつう」だといってわざわざ転倒させている事態を問い続ける。

映画の中である職員女性がこんなことをいう場面がある。

私にとってみんな(しょうぶ園利用者)のいるところはどうしてもいけないところ。
私は何色を使うかとか考えてから書いてしまうけれど、彼らが筆を握ってすぐ紙に筆を下すことにあこがれや興味がある。
たぶんわからないんだけれど、近づきたいところがある
行動がすごくおもしろくて興味深い、謎だからそれを知りたい、みんなを見ていると毎日がおもしろい
利用者はなんでも受け入れるから、周りの自由も許してくれるから作業場は楽しい。


福森さんもまた、彼らの「世界」に入りたいけれども入れないという。
otto&orabuの音楽は微妙なリズムや音程のズレを特徴としている。
しかし、その「ズレ」が魅力的に響く。
心に訴えかけてくる感動を覚える。
彼らは「音がずれる」、「音痴」、「奇声を発する」ことが得意だ。
得意?
「ふつう」の基準からすれば欠点や異常と評されるものが、「得意なもの」と反転させることで人々の心を揺さぶる「音楽」になる。
彼らが板に刻む「ひっかき傷」もまた、そこに漆を流し込めば「狙わない美」を生み出す。
この「意図なき技=アート」に福森さんたちは「憧れ」を覚えるのだ。

「ノーマル」な発想を変えると「障害」は消える。
これまで括弧つきで「障害者」や「障害」と記述してきたが、岡部さんはそもそも「障害者はいない」と断言する。
あるとすれば、それは彼らに「理解」や「認知」に困難のあるが、果たしてそれは取り除くべき「壁」なのか。
岡部さんはそう問いながら、「壁を乗り越えようとするときに生じるエネルギー」や「発想力」を強調する。
それに対して福森さんは「修行なき時代」において、逆境をはねのける能力の衰退を指摘する。
いじめが問題になっている昨今、いじめの撲滅は叫ばれるが、いじめに遭遇した時にそれをどうはねのけるかという方法は教えられない。
撲滅する以前に、いじめが厳然と存在する以上、まずはそこを生き抜く仕方を考えなくてはならないはずだ。
しかし、そこが抜け落ちている。
すると、「いじめはなかった」とあることそのものを不問にしようという思考がはたらく。
そのことが見て見ぬふりや、問題の本質的解決に至らない結果を生んでしまう。
それは「障害」も同じではないか?

「壁(バリア)」そのものをなくそうとする思考は、どこか夢想的にすらなる。
福森さんは映画の中で次のように語っている。

社会が居心地が悪いんだったら、社会の中に彼らを出そうというリハビリテーションをやるよりも、居心地のいいところでリハビリしない方が幸福じゃない。
僕はリハビリしなければいけない立場だけれど、彼らをリハビリすると厳しい社会に送り込まなければならなくなるでしょ。
すると難しいわけだね、生き方が。
だからもっと生きやすい社会にしようというけれど、いつになったらって感じなんで。
それより今の時代に生きているんだったら生きやすいところにいていただくという考えの方が、その人を幸福感に満ち溢れて過ごせる時間の方が長いじゃないかというのが僕の考え方
早く外に出して社会復帰して、ノーマライゼーションにのっとってみんなと一緒に暮らすという考え方には簡単に賛成はできないんだよね。


この場面は、映画の中で最もドキッとさせられたところだ。
なぜか?
そこには、いつのまにか「健常者と障害者が共生できる社会」、すなわち「ノーマライゼーション」が望ましいという暗黙の価値観が自分の心に刷り込まれていたからだろう。
そして、その価値観の土台を現場に立つ福森さんの鋭い言葉が動揺を与えるのだ。
「いじめ」がない世界、「戦争」がない世界、「暴力」がない世界、「障害」がない世界。
これらの世界を僕らは理想としている。
しかし、理想としてその世界を目指すことと、現にある暴力状況のさなかをどう「幸福」に生きるかを混同してはいけない。
さもなければ、問題の具体的解決に至らないだけでなく、逆に「やさしい暴力」をふるうことにもなりかねないからだ。

では、この福森さんの言葉を福祉の現場ではたらく人々はどう受け止めるのか。
これについてアールブリュットの美術館を実践する岡部さんも同様の問いを抱きながら、その実践が地域に開かれていくことで健常者/障害者の枠を脱構築する社会の形成を目指していく思いが語られた。
そもそも近代化以前には、その区分なく共生が可能であった。そこへの回帰を課題解決の困難にぶつかりながらも目指していくという岡部さんの思想は、その限られた人生という短い時間の中で個々の「障害者」の幸福を充実させることに重点を置く福森さんと目的を共有しながらも一致しない。
そこが興味深かった。

こうも考えられないだろうか。
「障害者はいない」ということは、むしろ「一人ひとりがなにがしかの障害を抱いているのだ」、と。
8月25日の朝日新聞「折々のことば」には、こんな言葉が紹介された。

知らなかった?お父さんは花粉症だし、お母さんはちくのう症だし、アイちゃんはダウン症。みんな大変なんだよ。

これは小学生の娘に「自分はダウン症なのか?」と聞かれた母親の言葉である。
そこに「障害」の軽重などない。それぞれが抱える「障害」から見える世界が多様にあるという事実だけが示されている。

終盤、岡部さんから今回の言論カフェのテーマが「アールブリュット」であることを指摘された。
えっ!
一瞬、驚いた福森さんと僕の目が合った。
迂闊だった。
岡部さん以外、このテーマを確認していなかったのだ。
このテーマを目的に来場された観客にとっては拍子抜けだっただろう。伏してお詫び申し上げますm(__)m
とはいえ、話題は自ずとアールブリュットをめぐっての議論でもあった。

その一つは、しょうぶ園の利用者たちが皆、「本能」と「五感」で生きていると福森さんが指摘した点である。
岡部さんはアールブリュットを「生のアート」とするが、それはまさにいわゆる左脳的な計算や計画、意図を超えた、ありのままの生である本能から表出される芸術のことである。
発見と訳される「Discover」は「覆いをとる」ということである。
その覆いの下に隠されている「生」を表出させることがアールブリュットの意味であるというのである。
では、その「生」とは何か?
すでにふれたように、彼らは一心不乱に糸を縫い込んだり、板に傷をつけたり、一つのオブジェを作り続ける。
誰かの要望の応えようとか、喜ばせたいとか、評価されたいという「媚」がない。動機がない。
ただただ、その行為自体にのめりこむ欲求それ自体が生み出すもの。
そのようなことが果たして「われわれ」にできるだろうか?
福森さんは、誰からも評価されずただただ孤独にアート制作に取り組みたいというあるアーティストが、「では、果たして誰も存在しない無人島でそれをやり続けることができるだろうか?」と自問した時、「その自信がない」という言葉を紹介しながら、それを成し遂げてしまう「彼ら」の「世界」への憧れを語る。
しかし、そのように語りながらも、福森さんはけっしてアールブリュットを評価したいとは思わないという。
なぜか?
福森さんによれば、アールブリュットの作家の多くは孤独や不幸のうちに作品を制作した人が多く、作品の評価とは別に彼らの生きざまを考えたとき、その一芸術分野として称揚することには賛成できないという。
そもそも、「アールブリュット」という一芸術概念に彼らの作品のすばらしさを包摂させることは、どこか余計な感じがする。
素晴らしい作品は、ただ素晴らしいというだけでいいじゃないか。

今回の映画作品のタイトルは「幸福は日々の中に。」である。
これを各自どう考えただろうか。
ある参加者から福森さん自身は「幸福」をどのように考えているのかという質問が上げられた。
福森さんはしばし考えた後に、「何が思いつくかわからない状態の中で、さまざまな発想ができる状態が幸せ」と応えた。
それは福森さん自身の生きざまを示すような言葉だった。
これが誰かの「幸福」を意味するものではないことは言うまでもない。
自分の「幸福観」で他者の「幸福観」を測ろうとするとき、暴力は発生する。
彼らにとっての「幸福」や「自由」が非社会的であるからといって排除するわけにはいかない。
その「あわい」というか「エッヂ」が立つギリギリのところに立ち続けて、答えのない問いのあいだを生き抜きたい。
そんな「福森伸」というアートに会場は揺さぶられた時間だった。
その人の身体から出る言葉が「生きざま」というアートだとすれば、それはまた岡部さんのアールブリュットにかける熱い語りも同様であった。
お二人の隣でその言葉を間近で聴かせていただけた時間が、何よりボク自身の幸福でもあった。
さて、観客の皆さんにとって「幸福」とはなんであっただろうか。

おっと、この映画に対する個人的な感想を書き忘れるところだった。
観客の多くから「感動した」という声が上がった。
同感だ。
とりわけ、otto&orabu圧倒的な「音」に圧倒され、魅了され、自由を感じ、そしてその姿に「憧れ」を抱いた。
なぜか。
映画の中で福森さんが、彼らをして「仕事場で自分でいられるというのはある意味ですごく贅沢なことかもね」と語る場面がある。
そう、彼らが「自分でいられる」ことに「憧れ」を抱くのだ。
その点からすると、奴隷のように働かされている「ノーマルな人々」の多くは「不自由な世界」を生きているとはいえないか。
どちらが「障害」のある世界なのか。
その観点に立てるならば、福森さんや岡部さんが実践する「障害」をもつ人の能力の全面的な解放とは、ノーマルとされる人々が失った能力の解放のことだという気がしてくる。
「ノーマル」とされる社会で生きるために教育を受ける。
自分の職業(高校教師)に照らせば、そう教育する。
けれど、それで失わせている力は、実は数知れないのではないか。
その「ノーマル」な思考に揺さぶりをかける力を、この映画は確実にもっている。(文・渡部 純)

【終了しました】映画「幸福は日々の中に。」deカフェ

2017-08-12 | 映画系



【開催日時】2017年8月26日(土)
     15:00~16:20上映
     16:30~18:00 言論カフェ 
  鹿児島県・しょうぶ学園の園長・福森伸氏
 ×「はじまりの美術館」館長・岡部兼芳氏
 ×ファシリテーター・渡部純 
【上映作品】茂木綾子/ヴェルナー・ペンツェル監督作品・『幸せは日々の中に。』
【開催場所】フォーラム福島 福島県福島市曽根田町7-8
【参加条件】フォーラム福島にて鑑賞券をご購入して下さい。
【カフェマスター】渡部 純
【お問い合わせ】ブログのメッセージへ


このたび、フォーラム福島で上映される『幸せは日々の中に。』を鑑賞したその場で、同映画に出演されている鹿児島県・しょうぶ学園の園長・福森伸さんと、アールブリュットの「はじまりの美術館」館長・岡部兼芳さんのトークイベントに、カフェロゴが絡ませていただくことになりました。
渡部がファシリテーターを担います。

この映画のキャッチフレーズは「『普通』という曖昧な海を泳いでいるみんなへ」です。
この「普通」に引っかかりを覚える皆様には、ぜひご参加いただき、様々な観点から話し合いができれば幸いです。

映画内容について、以下HPより引用させていただきます。
http://silentvoice.jp/whilewekissthesky/

「鹿児島マルヤガーデンズの屋上で、知的障がい者施設しょうぶ学園のバンド「otto & orabu」の演奏を見た瞬間、この人たちの映画を撮りたいと思った。

20人以上の怪しげで派手な衣装とメイクを塗った人々は、障がい者とその施設の従業員の混合の楽団だった。ザワザワと潜在意識に強く響いてくる、不揃いで不可解、でも楽しげで爆発するような音楽は、雨降る屋上のじめじめした空気を吹き飛ばすかのように、大きな疑問符を見る者の心に投げかけていった。
それ以来二人は鹿児島へ何度も通い、しょうぶ学園の世界の中に少しずつ融け込み、カメラを回し続けた。外から訪ねる人の目線ではなく、障がいを持つ彼らのあたり前の目線を見つめながら。

中庭で、来る日も来る日も一本の木の側で、しゃがみこんでどこかを見つめ続けるたけしくん。カメラをひたすら向け続けても全く気にしない。気持ちのいいカフェテリアでごはんを食べる様子も、皆人それぞれ。誰も自分を人と比べるということがない。刺繍工房で糸と布と戯れ部屋中を埋め尽くす吉本さん。彼には目的もゴールもない。ただただ永遠の今の中で、布を小さく切り取り、糸を並べて、満ち足りている。紙の上から椅子から机から、床も壁もペンキで四角い升目を描き続ける濱田さんもまた、何年も同じスタイルで毎日毎日升目を描き、その迷いの無い筆さばきは完璧な巨匠のそれだ。木工所では、みんなトンカントンカン好きなように掘って掘って掘りまくり、ニコニコ顔の中野くんはボタンの詰まった箱を来る日も来る日もぐるぐる回し続ける。

そんなしょうぶ学園を生み出し、守り支え続けてきた福森家の人々。現在の学園長福森伸さんは、長年彼らに寄り添いながら、常に自分自身のあり方に疑問を抱き続けてきた。
「僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。やらなければならないことは、彼らが安全に歩ける道をつくることである」と言う。

私たちがどんなにがんばっても辿り着けない、真の自由と幸福に、彼らはいる。そのままいる、永遠の今の中で。このしょうぶ学園にいると、まるで未来の世界にいるかのような錯覚に襲われるのは、ここが、私たちがいつか辿り着きたい永遠のふるさとであり、あの不思議な音楽と共にキラキラとその姿を惜しみなく見せてくれるからなのだろう。」