カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

映画「林竹二の授業」を語る会・雑感

2024-12-07 | 教育


映画「林竹二の授業」を語る会から早、2週間が経ちました。
夢のような時間でした。
誰が差配するわけでもなく、継ぎ目なく次々と発言が出され、しかもその内容がおもしろい。
単に個人的な意見を言いっ放しにするわけではなく、誰かの発言にレスポンスする形で、時には緊張感を伴いながらも対話が展開する。
今回の主役「林竹二」を尊敬しつつ、しかし彼の授業実践を映した記録映画の撮影から50年を経た現在的な視点で、彼を神格化するわけでもなく、むしろソクラテスをこよなく愛した彼自身がそうしたであろう批判的吟味を、彼に対して差し向けた議論が展開しました。
こういう対話空間はなかなか成立するものではありません。
如春荘という物理的歴史的空間がそれを可能にしたのか、林竹二の授業がそれをもたらしたのか。
ともかく、こんなにアツい議論は滅多に出会えない、そんな時間を過ごさせていただきました。
いま、すべての対話記録を書き起こしました。
全部で約3万8000字。
この長大な記録は近日中にこのブログへアップしたいと思いますが、音声記録を書き起こしながらそれを読んでいくと書籍化してもいいんじゃないかと思うくらい深い。そんな感想をもちました。
その序論として、「雑感」を記したいと思います。

今回はフォーラム福島の阿部泰宏支配人と県立高校国語科教諭・中村晋さん、福島大学食農学類の林薫平さん、そして渡部の4名で実行委員会を立ち上げて、今回の開催に至りました。
阿部さんは数十年前に同作品をフォーラム福島で上映した際に、終了後におそらく教員たちであろう観客が、そこかしこで林竹二の授業について喧々諤々の議論をしている光景がとても印象に残っていたそうです。
中村さんは、主に教鞭をとられてきた定時制高校での苦労から林竹二の教育論に共鳴したことがあり、まずお二人の中でこの上映会がの企画が立ち上がります。
その頃、勤務する進学校の受験指導に心底嫌気がさして鬱気味になっていた渡部は、ふと学生時代に読んでいた林竹二の『教育の再生をもとめて』(筑摩書房,1977年初版)を手にして再読したところ、昨今の学校教育で忘れられている思想にふれて救われる思いがしていました。
そこに田中正造研究から林竹二に出会った薫平さんが加わり、実行委員会が立ち上がったというわけです。

さらに、薫平さんは林竹二がはじめて小学校での授業実践に取り組んだ郡山市の白石小学校で教えていた先生を探し始めます。
すると、竹二の教え子で同校の元担任教師だった宮前貢さんの存在を発見します。
宮前さんは齢83。
さっそく薫平さんと阿部さんが宮前さんへ会いに足を運んだところ、当時の児童の感想文をお持ちになられていることを知ります。
矢も楯もなく、語る会への参加を求めたところ快くお引受けくださり、今回のメインゲストとしてお招きすることができました。

(※左から3人目が宮崎貢さん)

さて、当日は喧々諤々の議論となりました。
著作の中で打ち震えた竹二の授業論、教育思想。
とりわけ、宮教大退官後に始めた小中高校での授業実践は伝説化されています。
では、実際の彼の授業はどうだったのか。
一見して、愕然としました(個人の感想です)。
一方的に児童へ喋り倒す講義形式の授業スタイルは、彼が著書で論じた「授業は子どもの主体的な学びを組織化すること」という思想とは程遠く見えました。
これには小学校の教員である参加者からも、今ではこのタイプの授業をしたら怒られるとの感想が出されました。
しかし、不思議なのは児童の真剣なまなざしや集中した空気に満ちた授業空間の光景が映し出されている点です。
あのような授業で、果たして児童の目が輝くのだろうか?
こうした疑問をもった参加者は少なくありませんでした。

しかし、宮前さんはじめ、竹二世代の方々はそこにこそ竹二の授業の妙があるといいます。
子どもを引きつける人柄、教材研究の深さ、不思議な人間的魅力、問いかけ。
それが児童の心を惹きつけるというわけです。
ある参加者はこういいます。

「先生は一方的に話してるようなんだけれども、子どもたちはそれどういうふうに受け取ってるのかって考えたときに、私はですね、わからないところもあるけどわかるところもある。しかし、自分で深いところまでいってそれを繋いでいるのが、あの子どもたちの真剣な表情なのかなと思う。表情が崩れないですよ。なんか深くなればなるほど、いい表情になっていくっていうのを林先生の授業の中の特色だと思いますね。」

さらに宮前さんは、このように述べられました。

「なぜそうなのか。それは、子どもたちに考えなくちゃとか、どうしてそうなんだろうとか、一人一人の子どもにね、まず疑問を持たせなくちゃっていうような授業作りに悪戦苦闘されたんですよ。だから、ものすごい資料を集めてやってるんですよ。つまり、一方的な問いかけのように見えるんですけれども、子どもたちが解決するための手がかりになるような問いかけをする。あるいは、子どもたちの今考えてることを聞き出しながら、周りの子どもたちにも問い返してみる。先ほど垂直的な学びと横に広がる水平的な学びを話されたんですけど、グループの中でやるものもあるんですよね。みんなで関わり合う学びの姿もどんな形でもやれると思うんですけど、林先生はそんな指導方法のノウハウなんかないんですよね。だからああいう形でやって、子どもたちに「考えなくちゃ、どうしてそうなんだろう」と考えさせて、それが全員ではないにしても、ああいう子どもたちの表情になってると思いますし、だから、あっという間の一時間だったとかね。先生の方を向ききりだったとか、あるいは宮前先生の授業のときよりも、すごく面白かったとか、楽しかったというようなことを書いてくれた。」


もちろん、これに対しては竹二さんが「えらい大学の先生だ」という前評判を児童に伝わっていたことや、「非日常的」な出来事、そもそもそのような授業が成立したのは、ふだんからの宮前さんの学級経営のおかげであるとの指摘も挙げられました。
むしろ、「今日の映画見てたら、いや俺だったらキャーとか言って立ち上がって騒ぐなって思いました。暴れて対決したいなって思いました」という反発も挙げられました。
70年代という時代背景もあるでしょう。
個人的にも、竹二さんの授業というよりも、あの一方的な授業に集中できる児童の立派さが際立ったという印象が強く残っています。
しかし、さはさりとて、「内容なき方法論」としてのアクティブ・ラーニングが流行している昨今の授業事情に鑑みれば、たしかに児童を惹きつける授業とは何かという問いの原点に引き戻されます。

そんな中、高校に勤める参加者から深刻な悩みが吐露されます。
曰く、授業を聞かない、ほとんどが寝る、おしゃべりをする、興味をもってもらいたい教材を用意しても誰も興味を示さない、人生を善くしたいという欲求がない生徒に対して、竹二さんに授業をやってもらいたい、というものです。
私自身、この苦労や悩みは大変よく理解できます。
これこそ、古今東西を問わない授業のリアリズムだと思います。
これに対しては、色々な参加者からご助言が挙げられました。
しかし、おそらく「これをすれば大丈夫」ということが通用しないのが学校であり、授業です。
とにかく現実にどう対処するか、日々格闘しなければならない。
そのなかで2,3でも成功すれば御の字。
ある参加者は、授業を受けている生徒の中に2,3人共鳴するものが生まれれば成功だといいます。
しかし、大多数の生徒につまらなさそうな顔をされる授業が耐え難いのも事実でしょう。
これは学力の高低は関係ないと思われます。
むしろ、進学校の生徒の方が深刻かもしれません。
日々疲れた顔の生徒、知的好奇心をすべて根絶やしにする詰め込み授業、問題演習。それでも進めなければならない受験指導。
生徒と教師が喜びを共有するのは偏差値アップと受験の成功。
まさに教育亡国の極北です。
この学校現場のリアリズムに竹二さんの教育思想や授業論は、なお生彩を放つのか?
しかし、それでもなお湊川高校の実践をはじめ、社会かたはじき出された高校生を惹きつけた伝説的な授業として語り継がれる彼の授業実践は、なお検討してみる可能性があるものとも思います。

このような喧々諤々の議論は間断なく繰り広げられました。
最後に個人的な感想、というよりも「林竹二の授業」の記録映像を見て、これが問題含みであると感じた二つの点について述べておきます。
問題含みであると感じた一つは、「アマラとカマラ」の授業実践です。
今日では狼に育てられた少女「アマラとカマラ」という事実は虚構であったことがほぼ通説となっています(※鈴木光太郎『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』,新曜社,2008年,参照)。
すると、誤っていた事実を前提に「人間とは何か」を問う授業をつくりあげた竹二さんが、もしそのことを知ったらどのように応えるのだろうか、という点です。
50年後の視点という後知恵で彼の授業実践を批判するのはフェアではないにせよ、しかしわれわれ教員にとって深刻なアポリアであることを認めざるを得ないでしょう。
教員はいつでもその時どきの研究・学説にもとづいて授業づくりをする以上、この過ちに陥る危険性が常にあります。
さらに言えば、竹二さんが授業で「アマラとカマラ」を人間になりえなかった「バケモノ」と名指したことについては、それ以上の問題を孕んでいます。
現在では、アマラとカマラは自閉症などをもつ障がい児であった可能性があることが指摘されていますが、もしこれを知らなかったとしても「バケモノ」と名指したことは看過できないのではないでしょうか。
というのも、竹二さんは、小中高校の授業実践を巡る最終地点で須賀川養護学校にたどり着きます。そして、そこにこそ教育の原点を見出したわけですが、アマラとカマラには理性をもてるように教育を受けられなかった「バケモノ」と論じた彼の理性中心主義との矛盾をどう考えるべきでしょうか。
これもまた後知恵の酷な批判と言えばそれまでですが、しかし、くり返すように我々にはこのような矛盾を冒す可能性から免れないのだと思います。
むしろ、元々哲学者であることを出発点とした竹二さんであればなお、後世代からの批判的吟味は喜んで受け入れたと想像するのですが、いかがでしょう?
竹二さんが生きていればどう応えたかだろうか、想像するしかありませんね。

もう一点は、「開国」の授業です。
「開国」の授業終盤で、竹二さんは島津斉彬を「名君」・「立派な政治家」と評し、「彼らのような政治家がいたから日本は欧米の植民地化から免れることができた」という歴史観を児童に示しました。
しかし、その授業を実践したのは沖縄の那覇市立久茂地小学校です。
実践した1977年は沖縄復帰から5年後ですが、その地で琉球王国を搾取した薩摩の君主を称え、琉球処分によって沖縄を植民地化した「日本」本土の人間がこのような歴史観を堂々と沖縄の子どもたちに行った歴史的センスは、疑念以上のものを抱かされます。
しかも、竹二さんは沖縄で授業実践した理由(これは会場から出た質問です)を、「日本という「国」は、太平洋戦争の「後始末」をつけるため、切り捨てた」、それに対する「私のささやかなつぐないであった」と『教育の再生をもとめて』の「はしがき」で書いています。
沖縄への共感をもつ竹二さんにして、このような植民地主義の意識が大きく授業実践に反映されていた事実は、何度でも批判的に検証されなければならないでしょう。

いずれにせよ、可能性も問題点も含めて林竹二の授業論・教育思想は今日、再読されるべきアクチュアリズムを含んでいます。
そのことは、今回の対話の会の議論の熱さが証明しています。
その詳細は記録として近いうちにアップしたいと思いますので、乞うご期待。
宮前さんをはじめ、このたびの「林竹二の授業」を語る会に参加して下さった20名を超える参加者の皆様には、この場を借りて御礼申し上げます。(渡部 純)


コメントを投稿