カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

第11回エチカ福島「原発事故8年後の沈黙を考える―映画『THE SILENT VOICES』」

2019-01-27 | 〈3.11〉系
     

【テーマ】「原発事故8年後の沈黙を考える―映画『THE SILENT VOICES』」
【日 時】3月9日(土)13:30~17:00  
     13:30開会 
     13:40映画上映(73分) 
     15:00ゲストトーク×会場とのダイアローグ
     17:00閉会   
【場 所】福島市市民サポートセンターA1・A2
【ゲスト】監督・佐藤千穂×ルカ・リュ
 
  佐藤千穂監督      ルカ・リュ監督
【申し込み】必要ありません
【参加費】500円(資料代等)
【共 催】エチカ福島×カフェロゴ
【開催趣旨】
 今回、エチカ福島との共催で上映させていただく映画『THE SILENT VOICES』は、フランス在住で福島出身の佐藤千穂氏とパートナーのルカ・リュの共同監督作品です。
〈3.11〉当時、フランスにいた佐藤監督は、日本の外から故郷の家族や友人・知人の健康を危惧していました。
しかし、その年の夏に帰国して見た福島に棲む家族は、彼女の想像とは異なり、それ以前と変わらない日常を過ごしていました。なぜ、家族が放射能汚染を気に留めず毎日が送れるのか。
この問いを抱き2015年と2016年にかけて、二人は福島の撮影に入ります。
そして、その過程で見たものは「放射能汚染がないようにふるまっている方が楽ということ」でした。
しかし、同時に家族たちは放射能の問題については話題を避けます。
『THE SILENT VOICES』というタイトルには、この福島における沈黙、あるいは〈語りにくさ〉への問いが込められているのです。

 2016年、私たちは第8回エチカ福島において阿部周一監督のドキュメンタリー映画『たゆたいながら』を視聴しながら、監督とのトークセッションを開催しました。
同作品は、原発事故による放射能汚染の不安から避難した人々と福島に残った人々の葛藤を描きながら、被ばくをめぐる〈語りにくさ〉を問うたものです。
自ら福島市出身の被災者である阿部監督の根底には、原発事故をめぐる家族と自己への問いが存在していました。この点は佐藤監督の問題意識も重なり合うものであり、この二つの作品の系譜から共通性と差異性を浮き彫りにすることは、私たち自身の〈語りにくさ〉を問い直すことに通じます。

 今回のエチカ福島では、佐藤監督とともにフランス人として日本の外側からこの〈語りにくさ〉という現象を見つめたルカ・リュ監督をお招きしてゲストトークをいただきます。
この二人の映画監督の問いと発見は、原発事故から8年を経てもなお、福島に生きる人々にとっては鉛のように重くのしかかるものでしょう。
佐藤監督は「見たくないものを見ることはとても辛い。同時に家族が見たくないものを見せるのもとても辛い」と述べています。
この言葉には本作品の誠実さと繊細さがにじみ出ていますが、この思いを共有しながら私たちもまた原発事故から8年後の自己に向き合う機会にしたいと考えています。

第11回となるエチカ福島との共催は、映画『THE SILENT VOICES』の上映、二人の映画監督のゲストトーク、そして会場とのダイアローグを行います。ぜひ、多くの方にご参加いただければ幸いです。          

NHK「こころの時代―反骨・中村敦夫の福島」を番組制作者と語る会

2018-11-09 | 〈3.11〉系
【注意】中村敦夫さんがゲストで来られるわけではありません


【テーマ】 NHK「こころの時代―反骨・中村敦夫の福島」を番組制作者と語る
【ゲスト】 NHK福島放送局ディレクター・古屋敷将司さん
【開催日時】 12月1日(土)17:00~19:00  
  17:00~18:00 番組録画の視聴 
  18:00~19:00 ゲストのお話&対話      
【開催場所】 福島市市民サポートセンターB-2
【申し込み】必要ありません
  ただし懇親会を予定します。席数に限りがありますので、懇親会に参加希望される方は必ずメッセージでお申し込みください
懇親会は満席となりましたので締め切らせていただきます

【参加費】  会場使用料(+懇親会参加者は飲み代)
【カフェマスター】渡部 純
【開催趣旨】

去る11月4日、NHK番組「こころの時代~宗教・人生~「反骨 ~中村敦夫の福島~」」(60分番組)が放送されました。
ある一定の年齢以上の方はご存知のように、中村敦夫といえばかの「木枯し紋次郎」を演じた名俳優です。
なにより、中村敦夫はいわき市に疎開した経験からも福島には縁の深い人物です。
その縁で中村は〈3.11〉後、「線量計が鳴る」という一人芝居をつくり、全国各地で公演しています。
        
そこに彼が単なる一俳優ではなく思想の深い人間であることを、この番組はその生きざまと語りを通じて見事に描いています。
番組内容については、「俳優の中村敦夫さん(78)。人生の終盤をかけて取り組むのが原発事故の悲劇を描く朗読劇だ。戦時中に疎開し、小学校1年からの10年間を過ごした福島は第二の故郷。被災地をくまなく回って取材した人々の怒りや悲しみに寄り添い、3年がかりで台本を執筆した。元原発技師の主人公を通じて原発事故で何が起きたかを劇的に表現、被災地とは直接関わりのない人々の心を揺り動かしている。事故の風化にあらがう反骨の日々を見つめる」というものです。
じつは、この番組は友人であるNHKディレクターが長い期間にわたって取材・制作したものですが、彼がなぜ中村敦夫という人物に注目したのか。その思想の射程は今の時代をどう照らし出すのか。
その制作過程を語っていただきながら、参加者同士で議論していきたいと思います。
              

【開催予定】中村和恵「ヨウカイだもの」を読む会―with 郡山対話の会

2018-03-19 | 〈3.11〉系
      

【テーマ】中村和恵「ヨウカイだもの」を読む
【参考テキスト】『ろうそくの炎がささやく言葉』(管啓次郎‣野崎歓編,勁草書房)
      ※当日、資料として配布させていただきます。
【開催日】2018年4月8日(日)13:00~16:00
【会 場】福島市中央学習センター・第一講義室(福島市松木町1-7)
【参加費】100~200円程度(会場費1000円・飲料代を参加者で割り勘にします)
【ファシリテーター】たけさん
【共 催】郡山対話の会&カフェロゴ
【開催趣旨】文:カフェロゴ・渡部 純

去る1月27日に中村和恵さんの詩「ワタナベさん」を読みながら、その詩を通じて様々な思いを語り合う会を開催しました。
当日は著者である中村和恵さんや『ろうそくの炎がささやく言葉』の編集者である関戸さんにも参加していただき、豊かな対話がなされました。
ところで、前回の対話でも少し話題に上がりましたが、同書にはもう一つの中村さんの作品として「ヨウカイだもの」という一篇の詩があります。
これもまた色々なことを想像させる刺激に満ちた内容です。
その一部を紹介しましょう。

ヨウカイだもの 中村和恵

イワユル文明社会の イワユル有能な人間に
おまえはグズの文句言い 人生のムダづかいといわれた
隣のおやじものたまう そんなこといっているとあんた、埋められちゃうよ
お酢につけるぞっていったひともいたけど ミツカンスでいいのかな
おまえはおれたちをだましているんだと考えの浅い年寄りが叫んだ日
 手帳に書いた

今朝気がついたけれど、あたしはきっと
人間ではなくて ヨウカイなんだ
理解されないのはしかたがない
ヨウカイだもの

この世を歩いてみると実際、数多くのヨウカイがいる
 ニンゲンになることはたいがい あきらめているらしい
それでも理解されることを期待して、よろこばれそうなことをしてしまう
あるいは悲しくなって、暴れてしまう
きみもヨウカイなら わかるよね

〔中略〕

あたしはヨウカイだから
みんなの気持ちはわからない
ニンゲンに聞いてよ
みなさんに聞いてくれ

わるくないな ねえ
ヨウカイになってからというもの
なかなか調子がいい
なんでみんなもっと
ヨウカイにならないんだろうね

〔中略〕


「ワタナベさん」の次は、「ヨウカイ」とは何者なのか?誰なのか?どんな存在なのか?
前回の対話の熱が冷めないうちに、郡山対話の会とのコラボ第2弾として開催を企画いたしました。
ファシリテーターは、前回の「ワタナベさん」の会で好評を博した「たけさん」です。
ゆったりその場に身をゆだねて、じっくり詩を味わいながら自分のことや家族のこと、友人のこと、学校・職場のこと、世の中の事などに思いを自由にめぐらして語らいましょう。

【開催予定】第10回エチカ福島のご案内―「〈風化〉に抗う声をつむぎだす」

2018-03-02 | 〈3.11〉系
カフェロゴのマスター数人が絡んでいる「エチカ福島」という活動があります。
第10回目となるエチカ福島は、7年目の〈3.11〉をお二人の講師を招き、その提題について参加者同士で対話する形式で開催します。
〈3.11〉後の「福島」の語りにくさをめぐって語らい、あるいは耳を傾ける時間をいっしょに過ごしませんか?
ぜひ多くの方々にご参加いただければ幸いです。

     


第10回エチカ福島
【開催日時】2018年3月10日(土) 13:30~17:00
【会 場】 コラッセ福島 (福島駅西口徒歩3分)http://www.corasse.com/
【テーマ】「風化」に抗う声をつむぎだす―〈3.11〉の七年を問う
【参加費】資料代・飲料代500円
【参加申込】特に申込は必要ありませんが、エチカ福島のFacebookページ・イベントで「参加予定」をクリックしていただけると助かります
【趣 旨】

 東日本大震災・東電原発事故から7年が過ぎようとしていますが、この間、「風化」という言葉を何度も耳にしてきました。とりわけ、震災・原発事故をめぐる個々の経験や記憶を置き去りにしながら進められる「復興」という言葉に「風化」を感じる人は少なくありません。
 避難指示解除や住宅支援打ち切りとともに進められる「復興」は、「避難者」にとってその存在の抹消に等しい言葉に響くでしょう。他方、避難せずに居住地に留まる選択したものや避難先から帰還したものにとって、それぞれの選択で生じた苦しさや葛藤に折り合いがつかないあいだに進められる「復興」は、やはり抑圧的な言葉として響きます。
 その意味で、ある種の「復興」は、原発事故によって精神やアイデンティティを壊されたものにとって暴力的でさえあるのです。そして、いま必要なことは、猛スピードで進められる「復興」という大きな物語によって「風化」にさらされる小さな声を、それぞれの視点から丁寧に紡ぎ出し、共有されていくことではないでしょうか。
 第10回となるエチカ福島では、原発事故によって富岡町からの強制避難を経験しながら、今年3月の同町の避難指示解除によって「避難者」という存在が抹消されることに抗う市村高志さんと、歴史社会学者として「3.11」の様々な問題について研究・発言されている山内明美さんをお招きし、避難・帰還・残留という様々な観点から「風化」に抗う声を共有できる可能性を探っていきたいと思います。(文:渡部 純)

【講師】
市村高志さん(NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク)

 3.11の震災と原発事故により福島県富岡町から東京都に避難している。現在は「NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク」の理事長。震災時は富岡町立富岡第二小学校PTA会長をしていた。共著に山下祐介・市村高志・佐藤彰彦 『人間なき復興──原発避難と国民の「不理解」をめぐって』(明石書店),論考に「私たちに何があったのか」(青土社『現代思想』2013年3月号)など。


山内明美さん(大正大学特命准教授・歴史社会学)
 日本近代の稲作言説とナショナリズムの関係性について、とりわけ東北地方をフィールドに研究しながら、日本の近代化と地方の在り様について旧植民地地域も包含しながら研究している。著書に、『子ども東北学』(イーストプレス)『「東北」再生』(イーストプレス)『「辺境」からはじまる―東京/東北論』(明石書店)など。


「〈語れること〉と〈語れないこと〉を語る会・アンケート結果

2018-02-09 | 〈3.11〉系


〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る会」のアンケート結果について、匿名・実名でアップしてもよいという承諾を得たものについて掲載させていただきます。
なお、これからアンケートを記入してお出しいただいてもかまいません。
むしろ、その方がありがたいです。
ぜひ、多様なご感想をお寄せください。
なお、ブログでご感想をまとめておられる方もいらっしゃいます。
Café de Logos 「語れることから語れないことまでを語る会」
①身体……Café de Logos 「語れることから語れないことまでを語る会」のこと
もちろん、こんなカタチもありです。(ワタナベ)

カフェロゴ×郡山対話の会アンケート集計


質問1.参加動機をお聞かせください。

・担当した書籍が取り上げられていたから。哲学カフェ、会話するカフェなどに関心があったから。

・とりあえず行ってみよう!と。(出逢いは1度きりだったりするので)

・3.11後の言葉を渉猟しています。おおきなスローガンや主張、ステレオタイプの言葉、記号でしかない科学の言葉に回収されない、「自分の言葉」を拾い集めたいと思っています。それは「さっ」と一瞬で掠め去るようなものだと思います。おそらく発した本人も、自分で意識的に発しようとしたり、発した後もなおその意味を自覚できないほど儚いものだだと思います。それは、いつ、どこで、何をきっかけに到来するかわかりませんが、それがふと現れる可能性がこの場にはある気がしているのでいつも参加しています。それが自分の何かを揺り動かすことを求めてのことです。

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質問2.あなたにとって、どんな体験でしたか

・他の方の話を、先入観や関係性の維持などにとらわれずに、ただただじっくり聞く、という経験があまりに不足していると思いました。新鮮な経験でした。

・7年経って色々な立場や考えの方の率直な気持ちを聴けて、白か黒かじゃなくてその間のグラデーションの部分に思いやりをもてる一人でいたいなと思いました。二極化の生きにくさを感じました。

・郡山対話の会では、参加者は男性が多いのですが、若い女性の声を聞くことができました。それも、今まで聞いたことのない発言内容で、とっても新鮮でした。郡山は5人ほどの同じメンバーでの対話も少なくない中で、多様な意見を耳にすることができたことは大きな収穫でした。人数が多くなれば、それだけ、多様さは増しますが、逆に議論による深まりは求められなくなる。これは仕方のないことです。
深い対話の面が薄れるけれども、多様な意見の交流会、といったところでした。

・他の感想にもあったように人数が多かったせいか、発言をかなり抑制しました。その意味で「聞く」ことに徹したことは、それなりに意味があったと思います。ただ、時間の割には「対話」というより、皆さん自分語りの場面が多く、その言葉を沈思黙考しながら思いを深めた気はしますが、それは対話によって何かが深まったという感じとは別の経験でした。
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質問3.発見したこと、気づいたことはなんでしょうか。

・自分の想いや考えを人に伝わる言葉にするのは難しいということ、またお互いが自分の言いた いことを言えたとして、その先(より深く考えるヒントを見つけあったり、別の視点を獲得し たり、より細かいレベルでニュートラルに議論したりすること)までいくには、(私には)時 間がかかるとわかったこと。

・一人一人が小さな旗を立てて、そこから始めていい、という話になった時、素敵だなと思った けれど、“え、私はどこに立ってるの…⁉”自分がどこに立っているのかもわからない人が増え てきている世の中だから(私自身もその一人)語れない、自分の言葉を持てない状況が蔓延し ているのかなと思いました。

・私が理系だから、ということでもないのかもしれませんが、
ブログで中村さんの詩を読んだとき、ピンときませんでしたが、
みんなで音読し合うことで、すごく実感が持てました。
小説や詩を楽しむ機会がなく、評論やエッセイを読むことが多かったので、
大きな発見でした。

・「自分の旗を立てる」という発言をされた方の変化が印象的でした。誰かの言葉を聴きつつ、自分の中で何かが変わるという経験が、思いがけず立ち現れるのが、こうした対話の場の意味なのだと再確認できました。常にそれが可能になるわけではありませんが、その可能性に開かれているのは自分の経験を他者の言葉が媒介する条件があってのことなのだなぁとつくづく感心させられました。
内と外の議論もおもしろかった。それが単なる対立で終わらず、いつどこで自分の中で腑に落ちるのか。興味がわきます。

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質問4.日常生活、仕事、暮らしに何か活かせるコトはみつかりましたか?

・知り合いや友人と、いつもは話さない話題を投げかけてみるのもよいかなと思いました。新しい発見、新しい関係性が生まれるかもしれないと思いました。勝手に「この人はこういう考えだから」「こういう人だから」「結局かわらないから」と思い込んでいる可能性もあるかもしれないと思えました。気負わず、でも普段から自分を開いていけるように思えました。  

・自分がどうしたいかより、人からどう思われるか、を優先するように刷り込まれ生きてきたけ れど、本当はそれって自分にとって都合のいい言い訳でしかないのかなと思いました。語り合 うことを諦め、相手に甘えぶら下がった状態なのかなと、自分自身を振り返す必要があるなと …反省

・大きな声で発言する人、理路整然と話す人に焦点が当たりがちですが、「声なき声を聴く」とはどういうことか、が分かったような気がします。

・質問3で見つけたことは、教育活動に生かせるものだし、本来の民主主義というのはこうした過程を大事にするところに成り立つものだと思っています。現実の職場はますますこうした風潮を切り崩していっていますが、できるだけその信頼を自分自身が維持できる側に立てればいいのかなと思っています。ただ、自分としては「何かに役立つ」から対話の場に集うわけではないですね。
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質問5.ファシリテーターに提案やリクエストはありますか?

・ファシリテーター、すばらしかったです。テクニックと経験とセンスと人柄が必要だなと思い ました。

・言葉にするのが苦手なので、周りにうまく伝わっていないなという時やテーマから脱線しかけた時はいったん止めて、突っ込んでいただけるとありがたいです。

・いつもと変わらずイナバ物置並みの信頼と安心にゆだねて参加できました。
あえて、自分のファシリテーション経験との違いから、いくつか感じた点を述べますと、いつも参加者の自己紹介を大切にし、参加者がその場になじむことをすごく大事にするなぁという点が一番の印象です。
それから、一人ひとりの発言の長さを待ちすぎるくらい許容する点も印象的です。
これはテーマの「ものごと」以上に、語る「ひとごと」を大切にする姿勢なのだと思いました。
しかし、同時に今回のように参加者が多い場合には、長い時間をかけた割には対話を重ねた実感があまりないという点は否めず、話す楽しみも少なかったというのが正直なところです。
じっさい、発言を抑制したという感想をちょこちょこ聞きました(まぁ、おしゃべりの人が多かったの事実ですがね)。
自分の言葉を大切にする以上、それが冗長なものになることは否めませんが、一つ一つの発言を丁寧にするがゆえにテーマの核心になかなかいきつかないもどかしさが感じられました。
そのあたりを発言のルールではないけれど、仕方でも示唆してもらえれば、皆さん要領を得られたかもしれません。
これは個々人によっての感じ方の問題なので、逆にその丁寧さが話しやすさにつながる人がいることも事実だし、どっちがいいという問題ではないですが。
加えていうと、5時間という対話時間は、経験したことがないくらいの長時間ですし、フル参加は難しいというのが参加者としての実感です。
実際、午後から参加者が増えましたが、そのたびごとに話を再確認していくことも上記の冗長さと無関係ではないかなと思います。思い切ってランチを挟まず2-3時間と区切った方が参加者は参加しやすいのかもしれません。
対話に効率性を求めているわけではありませんし、そんなものを求めたら対話そのものを壊すことになることは重々承知のうえですが、何を重視するのかによってそのあたりの匙加減も必要なのかなと思いました。

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質問6.対話をするテーマへ、注文や提案はありますか。

・続けていることに空しさをおぼえるときがある、というようなことをおっしゃっていて、そう いうときもあるのかもしれませんが、私には貴重な経験でした。受けた教育の成果を生徒がい つ気づくか、活かせるかわからないように(20年経って、ある先生の言葉に震撼することも ありますよね、きっと)、カフェロゴの経験も、いつかどこかでその人の人生を豊かにしてい ると思います。
そんなロマンチックな次元ではなく、人の話をゆっくり聴く、自分の考えをまとめて話す、信 頼できる場所で、思ったままなんとなく話してみる、といった経験を繰り返せることは重要だとも思いました。習慣までいかなくとも、そういう感覚、振る舞い、雰囲気を身に つけた人が増えることは、社会にとって大きなことのような気がしました。

・今回みんなで朗読と車座になって話すのはとても新鮮でした。

・「心の復興とは何か」
自治体の復興とか、産業の復興とかは目に見える形で進んでいきます。
避難先から戻ってきた人、帰郷したくてもできない人、避難したくてもできなかった人など、差別、分断が進む中で、3.11前に心が戻ることは困難です。
しかし、「心の復興」を求めて、ていねいな対話がますます重要だと思います。


〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る会・雑感

2018-01-29 | 〈3.11〉系
       

郡山対話の会のご協力を得て、中村和恵さんが3.11をめぐって書かれた「ワタナベさん」という詩を朗読しながら、それぞれの思いを語る会が開催れました。(詩の一部はこちらををご覧下さい⇒〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る会の案内
「ワタナベさん」という詩と出会ったのは偶然ですが、これをもとにどこまで対話が可能か。
〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語るというテーマには、福島での原発事故の語りにくさを突破・開放される可能性がどこにあるのか、という思いを込めていました。
が、すっかりそのテーマそのものを途中まで主催者として忘れていたという失態をおかしていました。
ともあれ、対話の進行は郡山対話の会の「たけさん」であれば、そんなのおかまいなしに大丈夫という安心感もあり、すっかりゆだねてしまいました。
対話の記録の詳細に関しては、今後、参加者の承諾を得ながら時間をかけてまとめてまいりますので、以下ではワタシ(渡部)の個人的な雑感を書きしるしておきます。

約5時間にわたる長時間の対話の時間に参加して下さった方々は、最大で17名。
福島市から二本松市、いわき市、郡山市からはもちろん、遠くは熊本から東京からお越しいただきました。
そして、今回の「ワタナベさん」を書かれた中村さんと編集の方までもが、お忙しいなか参加して下さりました。
出版から7年近くが経って、突如再びその声が福島で召喚されたことの不思議な縁を感じました。

さて、会では本当に様々な立場の声を聞きました。
「ワタナベさん」とは誰か?
ワタシ個人は
「ワタナベさん!じわじわ殺されても黙っているんですか。 あんたの人生じゃないですか。
だれのために黙っているんですか。家族だってたまには本音聞きたいんですよ、ワタナベさん!」
という一文に引きつけられたというお話をさせていただきました。
それは自分が誰かに差し向けた言葉であり、誰かに差し向けられた言葉でもあったからです。
高線量に汚染される異常事態にもかかわらず、業務を継続する上司にその言葉を差し向けていました。
ただし、津波ほど被害の直接性がないせいか、被ばくにたいする温度差は顕著でしたから、自分も含めその判断にかなりの迷いがあったことは事実です。周囲を見てもその温度差は顕著でした。
避難所となった職場の運営を同僚とともに奔走しながら、ときに危険性を口にし、ときにその言葉を飲みこむ時間が被災直後でした。
しかし、予定通りに学校を始業し入学式を開始したことに対しては、「5年後10年後、生徒たちにあのとき先生たちは何をしていたんですか?と問われたらどうするんですか」という問いを投げかけた記憶があります。
特にそれに対する周囲からのレスポンスはありませんでした。
そのとき「ワタナベさん」という言葉を知っていたら、その言葉を何度も心で反芻したことでしょう。

しかし同時に、その問いかけは東京に住む知人からワタシ自身に差し向けられたものでもありました。
「お前は教員のくせに妊婦や子どもをなぜ避難させようとして動かないんだ」と責められたことがあります。
被ばくの恐怖と教師としての罪悪感をえぐるようなその言葉に、ずいぶんと焦燥感に駆られた覚えがあります。
これがワタシにとっての「ワタナベさん」の詩がもつ両義的な意味です。

実は、この会の参加者の一人に誘われて、翌日にはあの「大川小学校」の遺族らが運営する「小さな命の意味を考える会」の現場ガイダンス&座談会に参加させていただきました。
東日本大震災による津波によって校庭にいた児童78名中74名と校内にいた教職員11名のうち10名が死亡したという事故です。
詳細は述べられませんが、現場に訪れるのは4度目ですが、遺族・生存者の卒業生の言葉とともに現地を歩くことの大切さを痛感したものです。
たくさんの印象に残るお話のなかでも、とりわけ印象に残ったのは、防災放送も津波の襲来を告げ、近隣住民や迎えに来た保護者が「ラジオで津波が来るといっている山へ逃げて!」という忠告を耳にし、児童も教員の何人かも「山さ逃げっぺ!」と訴えていたにもかかわらず、津波に襲われる校庭に50数分留まってしまったのはなぜなのか。しかも、避難し始めたとき、その先が山ではなく、三角点だったのはなぜなのか、という論点です。
つまりは、教員集団の思考と判断の停止がどうして生じたのか、というものです。
遺族の佐藤敏郎さんは同じ教員として、なぜ「山へ逃げろ」の一言が言えなかったのか、と何度も悔しそうな思いを述べられていました。
同業者として身につまされたものです。
裁判の中で裁判官から「学校は子どもの生命を守れる場所ですか」というといかけに、被告である教委は一言も返さなかったそうです。
ここにも「ワタナベさん」たちの姿を垣間見た気がしました。

実は、参加者の一人にその当時の教え子がいました。
卒業以来、何度か対話の場に参加してもらってきましたが、迂闊なことにこの話をじっくりしたことがなかったことに気づかされました。
そして、そのとき、当時の彼女自身がこの地で生き残ることに絶望感を抱いていたことをはじめて知りました。
「5年後10年後、生徒たちにあのとき先生たちは何をしていたんですか?と問われたらどうするんですか?」
「ワタナベさん」に問うたはずの当時の言葉が、そのまま自分に還ってきたように思え、足元が揺らがされるような気持ちになりました。

教育の重要性についても話になりました。
この手の話では必ず出てくる話題です。
アレクシエーヴィチの「この国には抵抗の文化がない」という言葉を用いたことに対し、今の大人世代に期待することはないという意見も挙げられました。
せめて我々大人の世代ができることは、子どもたちにこの原発事故の教訓を伝えることしかできない、というお話も出ました。
この問題は何世代にもわたって解決するしかない。
だから、自分で考え、判断する、何でも忖度なく話し合える文化を伝えたい。
まったくその通りだと思いました。
しかし、いつもこういう話に出てくる「教育は大事」論には違和感も抱いてきました。
そういう教育が不必要だ、ということではありません。
その手前にまず、大人が語ったり考えたりする姿勢を示さずに、そんなことが可能なんだろうか?という疑問があるからです。
もう少し言いましょう。
自分たちが原発事故前にどうであったかのか、その責任を問おうという姿勢なしに、いくら福島県議会が「脱原発」「廃炉」を決議したとしても、何の意味があるのでしょうか?
どうして喜んでオリンピックを福島に誘致できるのでしょうか?
しばしば指摘されるように、戦後、軍国主義者が一晩で民主主義者に変わった転向の問題はここにも垣間見えてなりません。
教育の大切さを説くのであれば、その大人がこれまでなしてきたことを反省し、なぜこうなってしまったのかをもっと語りつくさなければ、若い世代に響いていかないのではないでしょうか。
もっとも、こんな話を、こうした問題意識を持つ方々ばかりの場で話すことは蛇足なような気がしたので、対話の中に出すことはありませんでしたが。

いみじくも、大川小学校の座談会で知り合った東京の女性のお話が、その点でとても印象に残りました。
彼女は大学で地震研究を学んでいたそうですが、その分野において東日本大震災という出来事はかなりの学問的危機をもたらしたそうです。
彼女自身はそのショックで研究に取り組むことができなくなり、就職はまったく関係のない分野へ進んだというのですから、相当な衝撃だったのでしょう。
印象的だったのは、3.11後に地震研究の教授・助教授たち全員が、それぞれの講義の前に地震を予測できなかったことの学問的反省・謝罪の弁を述べてから始めたそうです。
この研究で何をしてきて、なぜ今回のことが予測できなかったのか。そうした先行世代の失敗に対する潔さを目にしなければ、その後に続く世代の姿勢も思考も何も変わらないのではないか。そんなことを感じさせられました。
くり返すと、子どもの思考・判断・議論の力をはぐくむのは大切ですが、果たしてその手前で大人世代が〈語れない〉などといっている状況では、戦後民主主義と同じ運命を辿らないだろうか、という気がするのです。

今回の議論では、いくつかのキーワードがありましたが「今さら」という言葉が何度も出てきたことをファシリテーターのたけさんが途中で指摘してくれました。
「7年も経ってまだ言ってんの」、「7年も過ぎて今更なんなの」
こうした話がつい最近も身近で話題になったことを話してくれた方がいました。
「あきらめ」という言葉といっていいのかわかりませんが、みんなが前向きになっているのに、何を今さら過去をほじくり返すのか。
7年が経ち、ますます語りにくくなっている福島のなかでは、こうした気分が同調圧力となってますます語りにくくしているという話は何人かの人から挙げられた感想です。
ますます、大人たちが目をふさいでいくしかないような気持ちを追認させられたものです。

「抵抗」もキーワードの一つでした。
「ワタナベさん」は誰にでも備わっている複数的なものではないか。
だから、実はこの詩を読むものは共感とともに、自分自身が責められていると感じる言葉でもあるのではないか。
「ワタナベさん」の葛藤は現場にいなければわからない、被災当事者の葛藤や困難があるのは事実です。
それをわからずに外部の人間が差し向ける「ワタナベさん」への問いは、その葛藤で苦しむ人々を追い詰める言葉になりかねない。
実際、対話では当事者の内と外の話になり、事情も知らない外側の人間がとやかく言うことは避けるべきだという意見や、いや外側の人間が言うべきことを言わなければ誰もが忖度してしまうことになってしまう。そんなことには耐えられないという話にもなりました。
「ワタナベさん」は抵抗しない。
アレクシエーヴィチは福島や日本の人びとがみんな「ワタナベさん」にみえたのでしょうか。
その言葉に「ふざけるな」という感情を抱いた知人のエピソードも紹介しました。
何もかもが破壊された故郷に帰ってきて、自分たちの手で復興を目指そうとした人間にとっては「バカにするな」という思いだったのかもしれません。
では、その場合の「抵抗」とは何を意味するのか。
訴訟やデモ、反対の表現をする形の抵抗はあるとしても、この地に残ることを選択する中で日々を生き延びることそのものもが「抵抗」であることを、郡山対話の会に参加する中で教えられたものです。
世間という圧力に潰されずに、しかし自分の子供たちの生命をなんとか守り切ろうとしたたかに生きる母親の姿はその一つではないでしょうか。

しかし、それでは世界は変わらない。そんな声も聞こえてきそうです。
どうせ自分の力なんて世界を変えることに何の力も持っていない。
地元出身者でありながら原発事故のあいだ他所で生活していたこともあり、当事者性もないと感じ、一切この話題について語らないと決めた自分がいると教えてくれた人もいました。
しかし、そこにはどこかこの出来事と自分とのあいだでどのような折り合いをつければいいのか、と考えに考えつくした痕跡が垣間見られた気がします。
この当事者性をめぐっては、今回の議論のなかでもっともも熱を帯びた感じがしましたが、驚いたのは先の発言者が対話を通じて、自分の言葉で「自分の旗を立てる」ことがレジスタンスそのものなんだ、という境地に立ったという言葉です。
その境地に至る回路はご本人に教えていただきたいことですが、「抵抗」の意味が豊かになったというのは別の参加者の意見でもありました。

「ワタナベさん」という一篇の詩「抵抗」という言葉に結びついていくことは、もとより予想できませんでしたが、それでも「ワタナベさん」は変わることができるんだろうか、という思いが残りました。
あのときに存在した無数の「ワタナベさん」。
実は、ワタシ自身、こうした対話の場をやり続けることに意味などあるのか、という無力感というか無気力感を抱くことがしばしばです。
話し合ったて、自分の気持ちが解消されて終わり、場の消費で終わり、これが何かを生み出すことをどう見出だせばいいのか。
そんなことを日々抱いているのですが、こうした活動を続けることとのものが「抵抗」の一つの形であるのかもしれないなと得心させられました。
大寒波の大雪の後に、17名もの方々が集まってくださったことは望外の喜びでした。
詳細の対話記録は時間をかけてまとめさせていただきます。
こうした言葉の一つひとつが、今回の「ワタナベさん」のように何十年何百年後かに回帰してくれるかもしれないという、希な望みを抱きつつとりあえずの雑感を書きつらねました。
また皆さんと語らえる日を楽しみに。(文:渡部 純)

【開催予定】〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る会―「ワタナベさん」と出会う

2018-01-26 | 〈3.11〉系
            
【テーマ】〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る
      ―「ワタナベさん」と出会う
【参考テキスト】『ろうそくの炎がささやく言葉』(管啓次郎‣野崎歓編,勁草書房)
      ※当日、資料として配布させていただきます。
【開催日】2018年1月27日(土)10:00~17:00(昼食休憩12:00~13:00)
     ※途中からの参加や途中退出は自由です
【会 場】チェンバおおまち・福島市民活動サポートセンター
     (福島市大町4-15チェンバおおまち3階
【参加費】200円(飲料費・施設使用料)
【共 催】郡山対話の会&カフェロゴ
【開催趣旨】
文:カフェロゴ・渡部 純
『ろうそくの炎がささやく言葉』(管啓次郎・野崎歓編,勁草書房)というアンソロジーがあります。
それを読んでいるさなかに、ふとある一編の詩に呼びかけられた気がしました。その一部を紹介します。

「ワタナベさん」 中村和恵
 …ワタナベさん!じわじわ殺されても黙っているんですか。 あんたの人生じゃないですか。
だれのために黙っているんですか。家族だってたまには本音聞きたいんですよ、ワタナベさん!
 怒ってくださいよ。おれの責任じゃないって、下請けには悪かったって、社長はどこにいったんだって、上司がこうしろっていったんだって、正直な話聞かせて下さいよ。 ワタナベさん、ワタナベさん。でもワタナベさんはなにもいわない。
ワタナベさんは限界まで耐えている。勇気がないから。
 ワタナベ君、会社のためなんだよ。わかってくれるね。…
お嬢さんはもう卒業したの。二人目は男の子だったね。 お母さんも大変なんだろ。奥さんはよくできた人だな。 ワタナベ君、会社のためなんだ。君も生活あるだろう。社員みんなの問題なんだよ。君ひとり勝手な正義感をふりまわして責任とれるのかい。 それは上が判断することだよ。
 ワタナベさん、それは他人じゃなくて、あんたが判断することだ。生き物として、一匹分の場所をと後ろに跳びながら叫べよ。でもワタナベさんは叫ばない。
…生きて死ぬのはあんたなんだよ。でもワタナベさんはうつむいて遠い目をして眼鏡を拭くだけなんだ 。いまさらなぁ。
…だけどわかんないよワタナベさん。やめる気になりゃやめられることをあんたはやめようっていわない 、それがわかんないよワタナベさん。
…おまえのしょうがないはしょうがないのかほんとにワタナベ。 ワタナベよ!ほんとうにワタナベ。ワタナベよ!ワタナベさん!」


偶然、私が渡部(ワタナベ)という苗字だということも関係するかもしれませんが、ずいぶんドキリとさせられました。
もちろん、この「ワタナベさん」は具体的な誰かを指すわけではありません。
もしかすると、「ワタナベさん」は彼・彼女のことかもしれないし、あなたのことかもしれないし、自分自身のことかもしれません。
しかも、どんな場面で「ワタナベさん」を想い起すかは人それぞれでしょう。
今回のカフェロゴでは、「ワタナベさん」という詩を通して〈語れること〉から〈語れないこと〉までを語る会を開催いたします。

さらに、今回は「郡山対話の会」との共催という形を取ります。
同会は〈3.11〉後から一人ひとりの「ちいさな声」に耳を傾けるという活動を継続されてきました。
わたし自身もその場に参加しながら、対話の力を実感してきました。
同会のHP上の自己紹介文を一部紹介します。

私たちは「郡山対話の会」と申します。 活動を続けてもう4年くらいでしょうか。私たちは、 住んでいる場所も、生まれた土地も、性別も、 生きて来た環境もばらばらなメンバー。 こんなバラバラ人間たちが、3.11をきっかけに「 郡山」に集まりました。
宇宙が試練を与えるとき、「 一人ひとりの小さな声に耳を傾けなければ、 とても困ったことになる」と感じたフツーの人々が集まり、 輪になって話し合いを始めました。
 会のルールはたったひとつ、” 一人ひとりのちいさな声に耳を傾ける”。
個人や社会の、悩みと矛盾と葛藤を解決するのは、大きな社会ではなく一人ひとりの小さな声にヒントがあると信じ、 対話を続けています。

この活動趣旨に共鳴し、福島市周辺でもこうした対話の輪が広がることを期して、今回の共催に踏み切りました。

今回の対話は、基本的に「郡山対話の会」の方法で進めさせていただきます。
ファシリテーターはアーノルド・ミンデルと竹内敏晴を師匠にもつ「たけさん」。
午前中は参加者の顔合わせや場をなじませる時間をゆったりともち、午後よりテーマへ本格的に踏み込んでいきます。
参加される方々には、「ワタナベさん」を通して見える何かを語れないまでも、じっと耳を傾けながら考える機会になれば幸いです。

また、3月10日にはエチカ福島主催で「〈風化〉に抗う声をつむぎだす」というイベントの前哨戦にもなると思います。
こちらにご関心ある方もぜひ!