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徐京植『フクシマを歩いて』・雑感

2024-02-25 | 〈3.11〉系


8名の方にご参加いただいた徐京植『フクシマを歩いて』から考える会。
いつになく、参加者の生きざまが開陳される対話となりました。
一人ひとりの人生のセンシティブな内容が話し合われたという点で、この空間が安心かつ信頼できる場として成立していたことに主催者として大変ありがたさを感じるものでした。
以下は、渡部がこの対話を通して考えた雑感です。
もちろん、参加者の個人的経験を具体的に記述するわけにはいきませんが、対話で投げかけられた言葉一つひとつに応答する思考の抽象化によって読み手の想像力に投げかけてみたいと思います。

徐京植の『フクシマを歩いて』を購入したのは、割と出版されて早い時期だったと記憶する。
昔から徐氏のファンでもあったこともあり、その書に何かを期待して手に取ってみたというところだったと思うが、しかし読み始めてすぐに本を閉じてしまった。
数ページ読んだところで、どこか徐氏の記述に訳知り顔のようなものを感じてしまった気がしたのである。
それから十数年が経ち、同書を開いたもののすぐに閉じるということが何度か続いたきり、読み進めることはできなかった。
今回、笠井さんの提案で開催されたことを機に意を決して読み進めてみた。
一読して、2012年3月10日出版されていた同書がこれほどリアリティをもって生彩を放っていることに、今さらながら驚いた。
ただし、ここでいうリアリティとは、現在に共鳴するという事態とは少し違う。
原発事故直後には定かではなかったことが、そういうことだったのかと得心できるまでに自分の中で12年という月日が必要だったという時間性と、そこに宛がう言葉を既に徐氏が見抜いていたという鮮烈さが重なり合うことにおいて、それが感得されたのである。

とりわけ「根」という言葉は今回の対話の中心を占めるキーワードであった。
徐氏は原発事故によって人々が奪われた事態を「根こぎ」と名指した。
人が生きていく上でいつのまにか張られた人間関係という根。家族、地域社会、商売……。
無数の根が、しかし避難するしないの判断にも影響を及ぼした。
徐氏は、海外から住む知人たちから「すぐ逃げてこい」といわれたが、ここを動かないことを決めたという。
それがなぜだったのか。
プリーモ・レーヴィの『溺れるものとすくわれるもの』から、ナチスの台頭とホロコーストの危機が迫ることが肌で感じらながら、それでも生活地にとどまり続けるユダヤ人たちの姿にそれを重ねて理解する。
避難したくても避難できなかったのは、そこにある具体的な人間関係と生活があるからだ。
避難するということは、それらすべてを捨て去る、壊すことであり、原発事故が犯したのはこの「根こぎ」なのである。
楽観視しているわけでも無知なわけでもない。
その点で、南相馬市の自宅に愛妻と共に「籠城」したスペイン思想家の佐々木孝夫妻は「自らの人生を自らが決定する」生きざまを貫いた人として、徐は会いに行く。
自分の判断で自分の人生を選び取ること。
これが「自由」を意味するのは、国家に避難しろと言われることにも抵抗を示すことに止まらず、被ばくは危険だから避難しろという言説にも抵抗するという点である。認知症の妻を「根」からひき離すことが、それこそ死を意味するのだとすれば、それら外的なものから自らの生と「根」を守るものとしての自己決定こそが自由なのである。
しかし、他方で自己決定こそ自由であるということには戸惑いも覚える。
なぜ、自分は残ったのか。
「根」があったからなのだろうか。
それ以上に、あの法外な出来事を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしたまま何もできなかったというのが実のところなのではないだろうか。
自己決定さえも奪われていたのが、あの暴力的な状況だったのではないか。
そこに理由が求められることそのものが暴力ではないだろうか。
それを「思考停止」というならば、そこでいう思考とは何か。
たぶん、思考することと行為することは別の原理である。
思考したから行為するわけではない。思考しながら行為することはできない。
事後的に行為の理由をあれこれ考えられるだけで、なぜその選択をしたのかは確信をもって事後的に説明できるだけなのだ。
それがその人の物語を可能にする。
妻と共に「籠城」すると名指した佐々木孝の「生きざま」として、他者に理解可能になるのであり、それが他者の心を打つのである。
その物語ることが可能な生きざまこそが自由なのではないだろうか。
してみると、あの出来事での経験を語れずに沈黙することに不自由な様をみるのは、このことなのでかもしれない。
自分の行為選択を名指したり物語化できないことにおいて、われわれの言葉は奪われたままなのだということである。

そもそも「根」とは何か。
生活の根圏といわれるものには、それこそ牛馬を繋ぐ「絆」というしがらみだって含まれるだろう。
世間の目というものもあるかもしれない。
そんな自分をしばりつけるものも含めての「根」だというならば、原発事故を機にそんなものから解き放たれたい生だってありうるはずではないか。
そもそもこの世界に、この国に、この土地に、この家族に、この時代に訳も分からず突如誰かによって投げ込まれた理不尽なものなのだから、それによって生かされているなんて単純には言えない。
自分がなぜあのような行為をしたのか、しなかったのかという理由は事後的に付与されるが、そもそも人間の行為の原因はそれほど明確なのだろうか。明確にしなければいけないものなのだろうか。
そんな苛立ちに似た思いもあって、2012年の段階では本書を読み進められなかったのかもしれない。
しかし、逆説的かもしれないが、自分の人生を決める自由を奪われてはじめて、そのありがたさが目に見えたのではないか。
徐氏の「原発事故によって見えるようになったものがある」という指摘の一つには、この自己決定と自由の問題があるのだろう。

もう少し「根」とは何かについて丁寧に考えよう。
自分の「属性」と「根」は重なり合うのだろうか。
「属性」に縛られることの苦しさが話題に上がった。それはどうしても自分の人生からは引きはがせない以上、それとは一生向き合うしかない。
国籍、民族、宗教、家柄、ジェンダーなどなど。
そして、それが個人に対して抑圧的にはたらくのは、その「属性」におけるマイノリティ性や自己の個別性が認識されることにおいてのことである。
しかし、同時にその「属性」が社会全体の中でのマイノリティである場合、逆にそのアイデンティティは拡散されない努力が求められる。
「お前はもう福島出身だと言えないな」と他者から言われれば、それまで意識などしなかった「福島人」というアイデンティティが沸々と湧き上がる。
けれど、「福島の人間として福島のために頑張ります!」と健気な言葉を投げかけられれば、なぜそんな属性に自分の生き方が縛られなければならないのだという反発も覚える。
徐氏は「日本という社会にからめとられる現実」がある一方で、「人間は社会や組織とは無縁に生きていけるだろうか?」という問いを上げかける。

たぶん、「根」とはそういう「属性」とは別の人と人との関わり合いなのだ。
いっしょに生活し、語らい、利害関係も踏まえた上で人とつながっている場所が、たまたま「福島」という土地であるだけで、「属性」が初めからあるわけではない。
けれど、もう一つの「根」があるはずだという声が上がった。
それは「ルーツ」としての「根」である。
自分の親たち先行世代の来歴とつながる自己という歴史性と言い換えてもいいかえられる。
大いにして、それが国家や国民、国籍、民族というものに自己をつなげて考えてしまうことになりがちだけれど、そのような大きな「属性」とどれだけ「根」を相対化できるかが肝要ではないか。
自分の親や祖父母の歴史的経験は、国民国家の歴史物語と一致するどころか、むしろ犠牲を強いられる方が多いとさえいるかもしれない。
「復興」=「福島」を個人の「根」の問題とは関係ないところでスローガン化していることは、今や否定できない。
とはいえ、なぜ日韓戦になると日本の側を応援してしまうのか。
なぜワールドカップラグビーの日本戦をわざわざスポーツバーに行ってみてしまうのか。
なぜ他国の試合にそれほど関心をもてないのか。
そんなメンタリティがあることも否定できない。それはいったい何なのか。

いつにもまして、個々の深い思いを語らっていただく中で、これに組みつくせないものを感得する時間であった。