私は3回死にそうになったことがあります。
・産まれるとき、へその緒が首に絡まっていてオギャーと泣けなかった(母曰く、みどり色だったと)
・2歳頃、りんごを喉に詰めて救急車騒ぎに
・小学校低学年の頃、高跳びのマットの下敷きになり意識が遠のいていく・・・
と言っても、覚えているのは3番目の
・マットの下敷きになり意識が遠のいていく・・・
だけです。
「死ぬときは走馬灯のように過去の出来事を思い出す」
と言いますが、その時は
・お父さん、お母さんごめんね
・今まで大切に育ててくれたのにごめんね
・お父さん、お母さんありがとう
と走馬灯のように過去を思い出しながら「ごめんね」「ありがとう」を繰り返した覚えがあります。
高跳びの練習中、先生が用事でいなくなり、その隙に「わ〜い」ってみんなで遊び出して
いつの間にか私はマットの下敷きに・・・
それに気づかずみんなマットの上で「わ〜い、わ〜い」って飛び跳ねている・・・
やばい・・・息ができない・・・死ぬ・・・
お父さん、お母さんごめんね、ありがとう・・・やばい・・・意識が遠のいていく・・・・
どうやら先生が戻ってきたようで、私はなんとか死なずに済みました。
この件は父母に話をしたかどうか覚えていませんが、
・産まれてくるとき
・2歳頃
2度も死にそうになっていて、生きている
「あなたはものすごく運がいいんよ!」
とよく母に言われて育ちました。
そのためか、なんだかよくわからない
・根拠のない自信
はあります。
でも、若い時には
・運に甘えていた
というか、
・俺は運がいいから大丈夫
みたいなおバカな甘い考えで行動しちゃっていたなぁ、と最近やっと反省しているところです、笑
運にも「貯金」がある
貯運、運の貯金だから「運貯」うんちょ、笑
若い時に「運貯」だいぶ減らしちゃったなぁ〜
善い行いをして、「運」を貯めていきたいな
そして、良心に恥じるような
悪い行いはなるべく少なくして、なるべく「運」を減らさずに
コツコツ「運」を貯めていきたいな
残高が気になるところだけど
自分の胸に手を当ててみればわかるかな?
まぁ、そんなことも気にせずにとにかく
善行を増やして、悪行を減らす。
それも意識することなく、良心の赴くままに生きていきたいな。
で、もし「死」を迎えることになったとき
今度はもう
「ごめんね」はなく
「ありがとう」だけで死んでいきたいな。
そのためには、まだまだ生きてやるぞぉ〜
100歳現役で働くぞぉ〜
気温が上がっていて地震にも注意です。
今日はお休みなので、「防災意識」を忘れずに、何しようかなぁ〜
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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