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ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 10

2023-03-16 17:25:40 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10

 世の中は、最悪の状態になっていました。このイタリアも貧しさと伝染病の流行に悩まされはじめました。

 ウゴの家族も、その渦中にいました。それでも、ロザリオの聖母の祝日の前日には、父は病いをおして教会に出かけて行きました、明Eiの祝日の飾りつけをするためです。

 足場をくんだ少し高い所で飾りつけをしながら、父は、ふらふらっと、眩暈を感じました。とたんに、足をふみはずしたのです、あっという間もありません。みんなが集まってきて、大騒ぎしながら、彼を取り囲みました。

「なあに、たいしたことはありませんよ、ちょっと怪我をしただけです」と、本人は言ったのですが、事実は、そうでなかったのです。

 弱り目に祟り目の例えのように、まもなく彼は、村の避病院で惜しい生涯を閉じてしまいました。当年64歳、1918年の10月14日のことです。

 ちょうどその頃、ウゴのひとりの叔母さんが家族を慰めに来ていました。

「さあ、みんな元気を出して、病気のおとうさんのために、一緒にロザリオの祈りを唱えましょう」といって、叔母さんは、さっそく先あげをはじめました。

 家族は声をそろえ、泣き出したいような熱心さで「天王のおん母聖マリア…・…」と続けていきました。

 しばらく、それが続いているうちに、急に先あげの叔母さんが、「めでたし・・・」でなく、「永遠の安らぎを・・・」と言ってしまったのです。本人さえ、なぜそういったか気づかないで……でも、家族は、直感的に悟ったのです、「今、おとうさんは亡くなった!」と。

 家族にとって、なんという打撃!悲しみの上に、生活は、ますます苦しくなり、あれから3年とたたないうちに、小さな子どもがふたりも一週間のうちに父のあとを追って死にました。

(フェルモ市の神学校の校長。ウゴ神字生とてのフェデリコの大恩人。後に、コセンツア市の大司教になった。) 



ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 9

2023-03-14 21:40:46 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、9

 でも、まだまだです。「困ったなあ、そうだ、司教さまに話してみよう」と考えついて、司教さまに梢談した結果、ウゴを小神学校に入れるのに成功しました。1912年でした。

 まだ13歳なのに、ウゴ・ラッタンツィは、着衣式をうけて、もう正式な神学生です。

 ある日、神学校では、校長の神父さまが、しきりに首をひねっていました。「ウゴ神学生は、いつも1番の成績だというのに。送金してくれていた主任神父さまは転任になったし、家族はあんなに貧しくて、神学校の費用はとてもむりだ」と考えていたからです。しばらくして、「そうだ!」と言って、彼は、ウゴを呼びました。

 事情をウゴに話してから校長の神父さまは、ウゴに改まった調子で言いました。

「ウゴ君、きみと、一つの契約をしようじゃないか」

「はい、神父さま、何でございましょうか。」とウゴ。

「君が、いつもクラスでトップの成績を続けるなら、費用はみんな私がひき受けよう。どうだね」

 素晴らしい幸運をもたらしたこの校長のノガラ神父さまは、のちに司教に叙階され、いつもラッタンツィ神学生の面倒をみてくれたのでした。

 父は父で、つたない文字ではありましたが、それなりに一生懸命便りを書いていました。信仰と愛情でウゴの召し出しを励ましたのです。

 当時は、まもなく第1次世界戦争が始まろうとしていて、生活は、次第に難しくなりかけていました。そしてついに、戦争は勃発したのです。そのとき、中学4年生になっていたウゴ神学生は、兵役につかねばなりませんでした。彼が毎日ミサに与るため、許可を願っていた上官は、ある日のこと、といっても、あれから何年も経っててからのことでしたが、すでに神父になったウゴと再会して、驚いて言ったのでした。

「神父さま、あなたは、もしや、あの昔わたしの部隊にいて、毎朝ミサのために外出許可を頼んでいたあの兵士では……?」

「そのとおりです」と、微笑んで答えた人も、尋ねた人も、共に司祭でした。

 しかし、今はまだ、それどころではありません。

(写真:兵役当時のウゴ神学生(矢印)その前にいる将校は、のちに司祭になった)





ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 8

2023-03-13 17:51:49 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、8

「ああ、なんてことをしてくれたんだ!」ウゴの父は、ものすごい勢いで、あの子の父親の所に、文句を言いに走ろうとしました。

「ああ、お待ちになって!ねえ、いいじゃありませんか、あの子の両親を泣かせたからって.あなた、うちのウゴが治るわけでもないのですから」

 ウゴの母は、夫を宥めて言いました。

 これほどの損害を加えた人を許し、わが子のために祈るとは!ああ、そのとき、彼らは、イエズスのあの「許しなさい」のみことばをどれほどの英雄心で守っていたことでしょう!現代の世界には、考えられないことです。

 これほどの信仰を神が無関心でおられるはずはありませんでした。ウゴは、1年間学校にこそ行けませんでしたが、あれから村の医者の家に住みこんで、完全に治ることができました。いいえ、完全以上だったかもしれません。歳をとっても.眼鏡の必要がなかったはど視力が強かったのですから。

 この事故は、小学校2年のときで、2年生を2度することになりましたが、成績のほうは、ますます抜鮮です。この子の知恵に感嘆のあまり、村の主任神父さまは、ある日、ウゴの家にやって来ました。

「ねえ、どうでしょう。ウゴ君は、小学校の教育は、もう終えたのですが、これで勉強をやめさせるには、あまりにも惜しいお子さんです。この際、思いきって、神学校にでも入れてみたら、どうでしょう。ひとつ考えてみませんか。」と神父さまは、両観に提案しました。

 こんな大きな喜びと悲しみがあるでしょうか。両親は答えました、

「神父さま、ありがとうございます。でも、ごらんのとおり、わたしどもは、こんなに貧乏ですから、どうすればよいのか見当もつきません。このことは、神父さまご自身よくご存知のうえですから、わたしどもは、決して反対はしません。それどころかかえって・・・」と。

 あれから、主任神父さまは、てくてくと、村のすみからすみまで歩いて、話してまわりました。

 神父さまは。何をお話しになったかしりませんが、貧乏な村人たちが、こぞって必要な物品を提供しはじめました。たりない分は、神父さまがなんとか工夫してみました。

(挿絵:勉強にはげむウゴ少年)




ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 7

2023-03-09 20:45:42 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、7

「ありがとう。ところで、今日の学校はどうだったかい?」と父は微笑んでいます。

「ええ、よかったよ、おとうさん。ぼく学校に行けてありがたいなあ!」とウゴ。この慰めの言葉は本当でした。少年は熱心に勉強していたのです。貧しい両親にとって、子どもを村の小学校に通わせることは、並大抵の犠牲ではありません。ウゴは、そのことをよく承知しているのです。

 ウゴは、この犠牲にちゃんと応えたのです。彼は、ただちにクラスどころか学校のトップになり、遊び時間でも親分格です。聖堂でミサ仕えする子どもたち仲間でも、すぐ頭(かしら)になってしまいます。今日も、村中の仲間を集めて、たこ上げ競争を指導しています。

 こんなに調子のよかったウゴにも、思いがけない嵐がやって来ました。

 ある夏の昼さがり、遊んでいた相手の男の子が、突然、「ロバのスイカ」といわれるのを取ってくると、ウゴたたの目の前で、ピチャッ!と叩きつぶしたから、たまりません。スイカは爆発し、水っぽい種がなさけ容赦なくとび散ってゆきました。

「あっ!」と悲鳴をあげて目をおさえるウゴ!泣き叫ぶ声にお母さんがとんで来ましたが、ウゴにはお母さんがもう見えませんでした。

 1年も治療に通った村の医者もお手あげの重症で、彼は、次々と、フェルモ町と、アンコナ市の病院に入院しなければならなかったのです。

(挿絵左:たこ上げ競争)

(挿絵右:ああ!!いたい!)





ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 6

2023-03-06 10:21:32 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、6

 子どもたちは、子どもたちで、成長するにつれて、よく両親を助けました。

 朝は早くから起き出して、野原に焚き木を拾いに行き、垣根に沿って、山菜を集めたりなどしたものです。

 特に子どもたちの気にいっているのは、冒険心をそそる崖のある場所でした。わんぱくざかりのウゴ少年は、崖のふちに生えているエニシダがほしくてなりません。

 黄色い花が薬になるというの大人の問題、少年はこれで、立派な焚き木を作ろうと恩いました。思いきり手を伸ばしてひっぱりますと、根は頑固に抵抗し力あまって、ウゴ少年の体は、ずるずると、がけっぷちへのめり出していきました。

 「危い!」という叫びをのみこんで、目撃者の村人が父を呼びに走りました。

 今、少年の気をちらしたら、まっさかさまに墜落します。〔ウゴ危いぞ!そのまま動くな!〕と無言の叫びをあげ、はらはらして見守っている父のもとに、やがて少年は、意気揚々とやっと取ったエニシダをかついで、戻ってきました。

 家に着いた途端、父の恐ろしい雷とともに、大きなげんこが少年の背中に飛んできたのは勿論です。

「あなた、やめて!」とウゴの前に出た母!ふりおろしたげんこつ、途中で止められず、身代りの母を打ってしまいました。それにしてもウゴは、お父さんが大好きです。「ねえ、おとうさん、その椅子にかけるといいよ、僕がその靴をぬがしてあげるから」。

 夜遅く疲れて帰ったおとうさんの泥だらけの靴の前にひざまずいて、ウンコラショッとひっぱります。

(挿絵左:がけのふちに生えているエニシダがほしくて……ウゴ危い!)

(挿絵右:おとうさんの泥だらけの靴をぬがしてやるウゴ少年)