カトリック情報 Catholics in Japan

スマホからアクセスの方は、画面やや下までスクロールし、「カテゴリ」からコンテンツを読んで下さい。目次として機能します。

煉獄の霊魂の出現 おわりに 

2021-01-14 02:01:02 | 煉獄
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ

◆8、おわりに

 天国でも、煉獄でも、すべての霊魂は、熱烈に神を愛しています。それにしても神は、この世の中で、もっと愛されることを望んでおられます。そのためにこそ、神はこ聖体の神秘の中で、人間といっしょに生きておられるのです。神は、人々が神のことを考え、神から頂く数多い恵みと愛に感謝の心をあらわし、神の愛に答えることを望んでおられます。

 残念なことに人々は、この神のお望みに答えようとしません。教会の前を通っても、ただの建築物ででもあるかのように、無関心にその前を通りすぎます。

 なぜお聖堂に入って聖体訪問をしないのでしょうか?少なくとも、その前を通るとき、お辞儀ぐらいしないのでしょうか?それは、地上にいる人々は、神のことを漠然としか考えていないからです。

 天国のことを度々考えるように努めねばなりません。神が人間をお召しになるのは、聖徳の道、純粋な愛にです。それで、たびたび次のような祈りをとなえてください。

「わたしの神よ、いつもみ旨がおこなわれますようにわたしが、決して、あなたのみ旨にさからわない恵みをお与えください。

 わたしのイエズスよ、あなたがお望みになることをわたしも望み、あなたがお望みになる同じ理由のために望みます。また、あなたがお望みになるままに、そして、あなたがお望みになるときまで、わたしは望みます」。

 主よ、永遠のやすらぎをかれらにあたえ、とわの光をかれらの上に照らしてください。やすらかに憩いますように。
アーメン。


よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。

煉獄の霊魂の知識

2021-01-13 01:23:34 | 煉獄
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ

◆7、煉獄の霊魂の知識

 煉獄にいる霊魂は、地上に起こることを、また、未来に起こることを悟ることができるでしょうか?それは、神がお許しになる程度においてである。

 神はその正義によって、地上にある民々に罰をくだそうとおきめになるとき、そのことを、いろんな人にお知らせになります。それは、その人たちが、お祈りとぎせいを捧げて、つぐないをするためです。それによって、天罰も戦争も災難、その他をさけることができるのです。

 つぐないが十分におこなわれるときは、天罰がさけられ、あるいは十分でないときは、やわらげられるでしょう。それは、神が天罰を予告なさるとき、容赦なしにそれを下すのではなく、いろんな方法をためしても、それが役立たないときに、はじめて天罰をお下しになるからです。



よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。

臨終のときとそのあと

2021-01-12 02:36:48 | 煉獄
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ

◆6、臨終のときとそのあと

 臨終のとき、また、そのあとで何が起こるのでしょう?簡単に答えてあげましょう。

 わたしは、長い臨終がなく、急に亡くなりました。でも、最後の瞬間は決定的です。悪魔は、死のうとしている人を、どうしても地獄におとそうとして全力をつくします。

 そのために、ある人は非常に苦しみます。神がこのような試練をお許しになるのは、その人に神のみ前でもっと功徳をつませるためです。特に寛大な人はより大きな試練を受けますが、それは、これにうち勝って天国でより大きな喜びをうけるためでず。

 地上で聖母を愛じ、熱心に祈った人は、臨終のときに沢山の恵みをうけます。また、聖ヨゼフや大天使聖ミカエル、その他の聖人に対して信心のあつかった人々も同様に特別に守られるのです。臨終のこの決定的なときに神のみ前に取りついでくださる人をもっているのは、大変ありがたいことです。

 臨終の苦しみも心配もなく、おちついてこの世を去る人々もいます。それぞれの人間のために、神にはご計画があります。神がお許しになる試練も、平和も、その人のために最も善いことです。

 亡くなってから何が起こるかは、どういい表わし得ましょう、経験しない人々には、とても理解することができません。

 霊魂が体から離れると、神に包まれて、考えられないほど、はっきりと、一瞬のうちに自分の全生涯を眺めることができます。その時こそ、霊魂は、自分の宣告を自分で決めます。わたしのように、罪のつぐないを果しおえていないなら、自分みずから直接煉獄の中にとび込むのです。この瞬間、神のことを完全な程度に理解します。

 裁きのとき、いつも大天使聖ミカエルが神の正義の証人として立ち合っています。わたしは、そのとき、自分の守りの天使もみました。裁きに立ち合った聖ミカエルは、煉獄で清めを受けねばならない人を煉獄にみちびきます。

 教会では、1月2日に死者の記念日おこないます。

 この日には、煉獄の霊魂のために特別に沢山の祈りとミサ聖祭がささげられます。そしてこの日、沢山の煉獄の霊魂が天国にのぼるのです。また同じこの日に、煉獄の霊魂は教会の公式の祈りに心をあわせて、その苦しみを捧げます。すぐ天国に行けないにしても、煉獄の霊魂はこの日に、その清めを早める恵みを受けるのです。といっても、みな同じ程度でなく、神がおきめになる程度にです。

 死者の記念日よりも、もっと沢山の煉獄の霊魂が天国にのぼってゆくのは、救い主イエズス・キリストのこ降誕祭の日です。




よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。

煉獄での状態

2021-01-11 06:40:45 | 煉獄
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ

◆5、煉獄での状態

 煉獄では、わたしたちはみな、神のみ旨だけ望みます、これと異なり、地上では人は、いつも自分の望みをもっています。でも、煉獄では、わたしたちは、自分の望みではなく、ただ神だけのみ旨を大切にするのです。

 煉獄にいる霊魂は、神がお許しになるときは互いに話しあうことができます。しかしそれは言葉を使ってではなく、霊魂独特の方法によってです。もちろん、わたしがあなたと話しあうときは、あなたが純粋な霊でないので、言葉を使います。そうしないなら、あなたは、わたしのいいたいことがわからないでしょう。これも神がお許しになることです。

 煉獄には、何百万、何千万人の霊魂がいますが、この大きな数に比較して、その場所は小さいのです。霊魂のためにどんな場所が必要というのでしょう?まい日、何千人もの霊魂が煉獄にやってきます。そしてその大部分は、30年あるいは40年もの間清められなければなりません。

 ある霊魂にとっては、ある程度まで楽な状態にいますが、ある霊魂にとっては、そうでありません。わたしがこんなふうにいうのは、地上にいるあなたたちに理解させるためです。その正確なことを説明しようとしても、あなたたちには理解できないのです。

 ああ、もし、あなたたちが煉獄というものが、どんなに苦しいか、またここで苦しむ者は自分の責任で苦しむのだと考えたらよいのに。

 あなたたちの指導司祭に、このことを教えてあげなさい。それは、かれも以上のことをよく悟ることができてそれを人々に知らせることができるためです。

 神は煉獄の霊魂の祈りをききいれてくださいます。それで、かれらの祈りによって、あなたたちに数えきれないほどの恵みを与えてくださいます。

 あなたたちは、何かの恵みをもっと確実に得たいと望むなら、煉獄の霊魂のために祈りをささげて、そして、お取りつぎを願ってください。とくに聖母マリアを非常に愛した霊魂のために祈ってください。聖母はこのような霊魂をとくべつに天国に導きたいと願っておられます。

 ある霊魂は、本当の煉獄にずっといません。わたしもそうです。わたしは、昼のあいだ、あなたがどこに行っても、おともをして守っています。しかし、夜になってあなたが休むとき、わたしは、本当の煉獄にとじこめられ、大きな苦しみをうけています。

 また、ある霊魂は、自分たちの清めを煉獄においてではなく、罪を犯したところで果しています。また、ご聖体が安置されている祭壇のもとで、清められる者もいます。どこで清めの苦しみをうけているかは、問題ではありません。それにしても、ほんとうの煉獄の中でない場合は、苦しみは少しやわらげられます。

 煉獄にいるのは霊魂だけです。罪の本当の責任者は、体ではありません、霊魂です。なぜなら、体が霊魂にくっついていても、独立にできるものではなく、霊魂に服従しているからです。しかし、霊魂は体を道具として罪を犯したので、体がなくても、体がくっついているかのように、霊魂は清めの苦しみを受けています。




よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。

煉獄の段階 2

2021-01-10 04:14:37 | 煉獄
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ

◆4-2、煉獄の段階

 この段階ではまた、自分の召し出しや修道生活を忠実に守らないで、または、ふさわしく司祭職を果さなかった沢山の司祭と男女の修道者たちが清められています。あるいは、信者の霊魂を信仰の正しい道に導くことができたのに、それを怠った人たちです。わたしもその中のひとりです。

 その上の段階にいる人は、告白によって許しを得なかった小罪のある人、あるいは、大罪を犯してその許しを受けたものの、そのための十分なつぐないを果さなかった人たちです。

 これらの人々のためには、それぞれ異なった段階があります。なかでも、奉献された人たち(司祭や修道者)、また、沢山の恵みを受けた人々にとって、煉獄の苦しみは、他の人よりも激しいのです。

 最後の段階に、いわゆる望みの煉獄があります。この煉獄をさけ得る人は少ないのです。なぜなら、この煉獄をさけるためには、わたしたちの主と天国を熱烈にのぞまねばならないからです。善良で、信心ぶかい多くの人たちは、立派な生活はしていても、天国のことをあまり考えず、したがって、神への熱烈な愛も持っていません。

 このような人たちが亡くなったそのとき、ついに神と一致したいと熱烈に望むようになるのに、清めが完全に果されないうちは、天国に入れないのです。そのために非常な苦しみを感じています。


よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。