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使徒聖パウロの回心 Conversio St. Pauli Ap.

2021-01-25 02:54:41 | 聖人伝
使徒聖パウロの回心 Conversio St. Pauli Ap.          祝日 1月 25日


 神人イエズス・キリストがゴルゴダの丘で十字架に磔けられ、壮烈な最後を遂げて救いの大業を完成し給うたその年の事である。或る蒸し暑い夏の夕べ、二人の従者に手を引かれて、シリアのダマスコ市へとぼとぼと入って来た盲目の青年があった。そのおぼつかない足取りから見れば、決して生まれつきの目くらではなく、歩み慣れない俄か目くらとしか思われないが、それもその筈この青年は、つい二、三時間前までは立派な目あきで、馬上豊かに打ち跨り、その敵を追撃していたのである。それがどうしてこんな不幸な有様になったのであろうか。
 彼は名前をサウロと言って、シシリア州のタルソに生まれ、イスラエルの12族中のベニヤミン族に属する由緒正しいファリサイ人であった。ユダヤ教に並外れて熱心な彼は、ナザレトのイエズスの弟子達を目してモーゼの律法を破壊する冒涜者とし、甚だしくこれを憎み、彼等を懲らすのは天主の聖旨に適う事と信じていた。それ位であったから、ファリサイ人等が聖会最初の殉教者なる聖ステファノを石打の刑に処した時にも、彼サウロは真っ先にそれに賛成したのである。
 その後もサウロはエルサレムの牢獄に投ずる等、至らざるなき迫害を加えたが、なお残れる信者等が難を避ける為にエルサレムからダマスコに向かって逃れたと聞き、ユダヤ教の司祭長の許に行って彼等を捕縛する許可を受け、数人の兵を率いて、その跡を追いかけたのであった。
 所がダマスコ市が彼方に見えるあたりまで来た時である。突然空から稲妻のような強い光が射したかと思うと、同時に
 「サウロよ、サウロよ、何故我を迫害する?」という雷のような声が聞こえた。サウロはその光に眼くらみ、その声に肝を消して、思わずばったり大地に倒れたが、ややあって、
 「主よ、貴方はどなたですか?」と恐る恐る尋ねると、前の声は答えて
 「我は汝の迫害するイエズスである。棘ある鞭に逆らう事は汝の為になるまい」と言う。その時サウロの心には大いなる奇蹟が行われた。というのは、今までキリスト教を迫害するを以て、天主の御旨、モーゼの本意に適う正義の業としていた誤謬が一朝にして明らかになった事である。そこでサウロは謙遜に自分の心得違いを認め。
 「それでは主よ、私は何をしたら宜しいのでございましょう?」とお訊ねし、「起きて町へ行け。汝の為すべき事はそこで告げられるであろう!」という御答えを得たので、直ちに立ち上がったが、どうした事か周囲が真っ暗で何一つ見えない。ここに始めてサウロは自分が盲目になった事を悟り、従者の人々に手を引かれてダマスコ市に入ったが、彼は深い痛悔を以て、この試練をよく耐え忍んだばかりか、三日の間わが罪の償いに少しも飲食物を摂らず、熱い涙の中に祈りを献げ、天主の御摂理に身を任せていたのである。
 話し変わってダマスコ市のキリスト教徒等は、エルサレムの同志からの知らせを受けて早くもサウロの迫害を知り、おさおさ警戒を怠らなかったが、その中にアナニアという主の弟子の一人がいた。或る日(それはサウロがダマスコ市に入ってから丁度三日目のことである)祈りに耽っていると、主が幻影の中に現れ給い、
 「立ちて直ぐに我が示す町に行き、ユダの家にサウロと名乗るタルソ人を訪ねよ。彼は今真心より祈っている」と仰せになったので、アナニアは大いに驚き、
 「主よ、サウロと言えばエルサレムで信者達に激しい迫害を加えたと聞いているのみならず、ここでも私共を悉く捕縛する権利を司祭長から受けて来たという事でございますが」と申し上げると、主は重ねて
 「行け、彼は異邦人、国王、及びイスラエル人等に我が名を伝えしめん為に吾の選んだ者である。故に我は彼に我が名の為いかばかり苦しむべきかを示そうと思う」と宣うた。
 そこでアナニアは深い喜びと感激の中に直ぐさまサウロを訪れ、「兄弟サウロよ、貴方に現れ給うた主イエズスは、貴方の目を癒し、また貴方に聖霊を満たさん為に私をお遣わしになったのです」と言うや否や、サウロの目からは鱗のような、ものが落ち再び視力を快復したので彼の喜びは一方ならず、直ちに立って洗礼を受けた。
 さてサウロは自分の回心の真なる事を証する為、翌日すぐにダマスコ市の小会堂で天主聖子なるイエズスの御事を公に述べ伝え始めたが、主の「彼は我が為に多くの苦しみを忍ばねばならぬであろう」との御預言はその日から適中し、至る所でユダヤ人等の迫害を蒙ることになったのである。
 然し天主から特別の召命を蒙った彼には、特別の聖寵も与えられ、殉教の日まで豊かな功績を積み、大使徒聖パウロと仰がれる身となったのである。

教訓

 サウロが天主の御声を聞いて直ちに之に従ったのは感ずべき謙遜である。我等も同じく聖寵の招きを心に感じた時には、即座に之に従い、その結果決心した事は万難を排しても実行するように努めよう。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-01-26 21:12:53
ファリサイ派とは、差別する相手に対して、絶対的優位に立っていると
思う事で、自分が神か何かのように勘違いしている人を指します。
まさに、パウロとはこの様なタイプの人間でした。
パウロは、自分はイエズスから見出されていると勘違いし、
女性や奴隷に対して差別的な態度を取っていたのです
また、同性愛者にも神から罰を受けてそうなったと、精神性攻撃を
したのです。
奴隷が正当報酬ももらえず、自分のために使えるお金もなく、
奴隷の立場でいることを、パウロはそれが正しいと発言しています。
パウロは、女性には黙っているべきだと発言もしているのです。
この様なパウロの罪を認め、人権をすべての人に返却しましょう。
イエズスはパウロの事など、見出していません。
もしパウロが必要な人であれば、生きている時代が被るから
直接弟子にしていたはずです
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Unknown (カトリック情報)
2021-02-12 00:19:07
パウロはファリサイ派でしたが、改心しました。そして、割礼必要論にさえ反対するようになりました。使徒聖パウロの書簡は、イエズス様の発言の延長線上にあるように見えます。イエズス様の教えとの間に、矛盾が見られません。神様がお設けになった男性と女性の社会や家庭における役割は、おそらく違いますし、 私は現代において奴隷制に反対ですが、聖パウロの時代、どうすればよかったのでしょうか。共和政末期のローマでは総人口の25%が奴隷であったようです。聖パウロの生きた時代も、そのやや後です。そう差はなかったと思われますが、奴隷は奴隷主に反逆し、奴隷主は奴隷を解放しなさい、と説教する方が正しかったでしょうか。 浦川司教は「キリスト教は奴隷解放を勧め、努めたが、完全実現には至らなかった」と教会史の本で見たことがありますが、これについては、現代歴史学者の研究を読んだ方が確実ですね。キリスト教の教えと、古代中世ヨーロッパの奴隷制との関りについては、いつか調べようと思っております。

>また、同性愛者にも神から罰を受けてそうなったと、精神性攻撃をしたのです。

パウロ書簡の中に「神から罰を受けて同性愛になった」と書いている箇所はないようです。
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