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「煉獄」浦川和三郎 司教『祝祭日の説教集』

2024-10-24 20:03:57 | 煉獄
浦川和三郎 司教『祝祭日の説教集』
十 一 月 二 日

(一) 煉獄の霊魂の記念

(2)-天国とはいかなるところであるか ー 天国とは苦しみや禍が一つもなく、かえってあらゆる福楽のみち溢れているところであります。

 どなたも御存じの通り、この世は涙の谷でございまして、寒さや暑さや、餓え渇きや、病の苦しさ、貧の辛さなど涙をこぼさねばならぬことが随分多いものである。

 しかるに天国には暑さもなければ寒さもない、餓渇きを覚えることもなければ、貧に悩む気遣い、病に苦しむ憂いもない。我々の足が一たび天国の門をくぐりますとすべての涙は綺麗に拭き取られる。もう泣くにも及ばぬ、嘆く必要もない。かえっていわれぬ幸福を楽しみ、喜びに踊るのである。無上の善にして、最高の美、限りもなく愛すべき天主を眼前に仰ぎ見その天主を我が物として、いつまでもいつまでも楽しむとは、実に何という幸福の至りでございましょうか。

「神がこれを愛し奉る人々に備え給いしこと、目もこれを見ず、耳もこれを聞かず、人の意にも上らざりき」(コリント前二ノ九)と聖パウロもいっているくらいであります。



聖アントニオ・マリア・クラレ司教  St. Antonius Maria Claret

2024-10-24 04:42:13 | 聖人伝
聖アントニオ・マリア・クラレ司教  St. Antonius Maria Claret   記念日 10月 24日


 彼は1807年にスペインで生まれた織工の息子で、1835年に司祭に叙階された。5年後彼は与えられた教区の布教を開始し、カタロニア中の施設をまわり、1849年にもっと大規模に仕事を進めていくために、現在ではクラレティアン宣教会と呼ばれている団体を創立した。同じ年に、女王イサベル2世の要請で、キューバのサンチアゴの大司教に挙げられた。この司教区の人々は、ひどい状態の中にあり、クラレの厳格な改革の方法は、彼の生涯に幾つかの試練を引き起こした。1857年に、女王は自分の宗教顧問とするために彼を呼び戻した。その地位は、説教と出版による宣教活動を進める時間を彼に与えるものであった。彼はまた、エスコリアルに科学実験所を設立し、自然歴史博物館、音楽学校と言語学学校を建て、またバルセロナに宗教図書館を設立した。1868年の革命の時に、彼はイサベル女王と亡命に同行し、もはやスペインに戻ってくることはできなかった。彼は1870年にナルボンヌの近くで死去し、1950年に列聖された。