はい
またまた ラジオで紹介していた1冊
「三島由紀夫」って よくわからないなぁ~ って興味から買ってはみたものの
漢字が多くて・・・ 1年以上放置
気になった言葉は ポストイット貼ってチェック
・・・が、1年以上も経つと やっぱり忘れてる
至極の名言集 佐藤秀明(編) よりお借りして
春(編)
「私が好きなのは、私の尻尾を握ったとたんに、
より以上の節度と礼儀をたもちうるような人である。」
(「話の詩集」昭和41年<1966>7月)
「子供にわずらわされない最上の方法は、子供本位にすることだ。」
子供を大事にしないと、子供は親の仕事の邪魔をするし、
最後には親に致命的打撃を与えることがある。
(「婦人公論」昭和33年<1958>7月)
「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、
政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、
まして食卓の話題なんかになるべきものではない。」
(「毎日新聞」昭和35年<1960>6月)
「原爆の国連管理がやかましくいわれているが、国連を生んだ思想は、
同時に原子爆弾を生まざるをえず、・・・」
(「時事新報」昭和28年<1953>9月)
「・・・人間は、その世界像の広がりに応ずる科学的破壊力を順々に発明してきた・・・
それは必然的に、全世界を終末に導く破壊力を発明させずにはおかない。
かくて水爆弾頭の大陸間誘導弾と、国際連合の思想とは、表裏一体となっているともいえる。」
(「毎日新聞」昭和37年<1962>1月)
「すべての戦争は自衛の戦争の形態をとり、帝国主義戦争、領土侵略戦争、植民地戦争
という外観はできるだけ避けられるようになった。
自衛の戦争という観念自体に、『やむを得ず』という観念が含まれる。
『いやいやながら』という考えが含まれる。いやいやながらという気持ちは複雑であって、
その気の進まなさには、一面好奇心や欲望が隠されている。
われわれは気の進まない行動をするときに、どこまでほんとうに気が進まないのか疑問なのである。」
(「PocketパンチOh!」昭和44年<1969>9月~)
「おそろしいほどの喪失感。・・・・・それが春であり、それが桜であり、
それが日本の詩であるとすれば、私はおそろしい国に生まれて来てしまったものだと思った。」
(「婦人画報」昭和44年<1969>1月~)
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、
富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
(「サンケイ」昭和45年<1970>7月7日)
表紙カバーが二重だった
三島事件・盾の会事件 昭和45年(1970年)11月25日
三島由紀夫 享年45 (割腹自殺)