助けた亀に連れられて・・・
3/14付エントリ「それでもぼくは生き抜いた」の
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
マカッサルからバンドンへ
の主人公の回顧録。
工藤艦長らが助けた若手士官の中から、戦後英外務省に就職した人物(外交官としての功績により、ナイトに叙せられる)が、恩人の工藤艦長に(も)捧げた。
『ありがとう武士道―第二次大戦中、日本海軍駆逐艦に命を救われた英国外交官の回想』
原書名:MY LUCKY LIFE:In War,Revolution,Peace&Diplomacy
(Falle,Sam) フォール,サム【著】
中山 理【監訳】 先田 賢紀智【訳】
(柏)麗澤大学出版会 (柏)廣池学園事業部〔発売〕 (2009/08/14 出版)
家族と工藤艦長に捧げた、というのが正確ね。
MY LUCKY LIFEがどうして「ありがとう武士道」になるのか?
日本の読者向けには、まあいいんじゃないの。
フォール卿の若いころのハイライトだし。この時助けてもらっていなければ、その後のご活躍はなかったわけだし。
A書店レビュー
インドネシアの収容所5か所で過ごした俘虜生活も、そんなにひどい目には遭わずに済んだというラッキーぶり。
語学の才あり、俘虜生活中に外国語多数を身につける。
紙一重で、日本行きの輸送船に乗せられ海の藻屑となった戦友も少なくない中、悠々生還。
外国語力を買われ、大学を出ていないながら外務省に職を得る、ジャージー島出身の元海軍士官。
大英帝国が、あっちでもこっちでも権益を失ってゆく過程に立ち会う。
けっこう劇的場面多数。
当方(読者)の戦後外交史などの知識不足が露呈され、読むのにつらい部分あるのも事実。
米国中心の知識だなあと痛感。
英国、たいへんだったのね。
第1部 ザ・ロイヤルネーヴィー(少年時代;海軍士官候補生と少尉候補生;英国海軍駆逐艦「エンカウンター」;ジャワ沖海戦;戦争捕虜)
第2部 平和と外交術(就職活動;外務省とイラン;レバノン、ロンドンそしてスエズ)
第3部 イラクの悲劇(刺激的な任務;イギリス大使館とイラクの支配層;イラク旅行;革命の年の始まり;政府の行動と反動;クウェート・シンドローム;革命前夜;革命;革命の後)
第4部 大英帝国(アデンと南アラビア連邦;マレーシアとシンガポール;クウェート;ベトナムでの出来事;ナイジェリア;アルジェリアと欧州委員会)
引退したフォール卿の日本との交流いろいろ:
Reunion for sailor saved by enemy
Friday, 13 June, 2003 BBC
Officer tells of extraordinary rescue
18/12/2008 BBC
English survivor praises Japanese chivalry
December 11, 2008 UPI
youtube.com/Japanese Navy saved lives of British Navy in WW II - 1/2
再現ドラマが安っぽい気がするけど、よしとせざるを得ず?
wiki/工藤俊作 (海軍軍人,くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日))
wiki/Shunsaku Kudō(January 7, 1901 – January 12, 1979)
敵潜水艦がいるかもしれない海域で漂流者を救助することが、いかに大変なことであるか。
日本軍がまだ勝っていて、余裕だったというだけでは説明不能。
艦長と部下の絆がいかに強かったか、錬度がいかに高かったか、などの要因があって、奇跡が実現したのね。
乗り組んでいたHMSプリンス・オブ・ウェールズが沈められてしまったため、次にエクセター (重巡洋艦)に乗っていたらまた日本に沈められてしまったという人もいたそうで。
吉例【翻訳にいちゃもん】
マレーシアに転勤となり、現地に到着してまもなく、本国から風雲急を告げるイエメンに暫時赴くように「要請」され、中東専門家としてひと肌脱ぐことにしたというくだりがある。
「ロード・シャクルトン公使」の政治顧問として、英国が直轄植民地のアデンを失う過程に立ち会ったという。
「ロード・シャクルトン」は南極探検のシャクルトンの子息だという。
あのね、公使じゃなくてね、「無任所大臣のシャクルトン卿」ではないのかね。
既に大臣を歴任している貴族院議員。バロンでしょうが。
男爵(一代貴族)。
wiki/Edward_Shackleton,_Baron_Shackleton
アジアやアフリカで植民地の独立が相次ぐ中で、イギリスがアデンを中心になんとか勢力を確保しようと試みて、失敗したのが南アラビア連邦だった。
Obituary: Lord Shackleton
24 September 1994 The Independent
Lord Shackleton Is Dead at 83; An Ex-Labor M.P. and Minister
September 26, 1994 nytimes
"Edward Arthur Alexander Shackleton was Minister Without Portfolio in 1967 when the Labor Government of Harold Wilson sent him as a troubleshooter to Aden, a strategically important British colony on the Arabian peninsula's southern coast."
北イエメン&南イエメン
1967年11月30日 イギリスから南イエメン人民共和国(南)が独立
アデンといえば、思い出す。
遠藤周作を読む:アデンまで
<工藤艦長の日本側評伝は明日付エントリへ>
どういたしまして...
3/14付エントリ「それでもぼくは生き抜いた」の
四話 工藤艦長に救われた――サム・フォール
マカッサルからバンドンへ
の主人公の回顧録。
工藤艦長らが助けた若手士官の中から、戦後英外務省に就職した人物(外交官としての功績により、ナイトに叙せられる)が、恩人の工藤艦長に(も)捧げた。
『ありがとう武士道―第二次大戦中、日本海軍駆逐艦に命を救われた英国外交官の回想』
原書名:MY LUCKY LIFE:In War,Revolution,Peace&Diplomacy
(Falle,Sam) フォール,サム【著】
中山 理【監訳】 先田 賢紀智【訳】
(柏)麗澤大学出版会 (柏)廣池学園事業部〔発売〕 (2009/08/14 出版)
家族と工藤艦長に捧げた、というのが正確ね。
MY LUCKY LIFEがどうして「ありがとう武士道」になるのか?
日本の読者向けには、まあいいんじゃないの。
フォール卿の若いころのハイライトだし。この時助けてもらっていなければ、その後のご活躍はなかったわけだし。
A書店レビュー
インドネシアの収容所5か所で過ごした俘虜生活も、そんなにひどい目には遭わずに済んだというラッキーぶり。
語学の才あり、俘虜生活中に外国語多数を身につける。
紙一重で、日本行きの輸送船に乗せられ海の藻屑となった戦友も少なくない中、悠々生還。
外国語力を買われ、大学を出ていないながら外務省に職を得る、ジャージー島出身の元海軍士官。
大英帝国が、あっちでもこっちでも権益を失ってゆく過程に立ち会う。
けっこう劇的場面多数。
当方(読者)の戦後外交史などの知識不足が露呈され、読むのにつらい部分あるのも事実。
米国中心の知識だなあと痛感。
英国、たいへんだったのね。
第1部 ザ・ロイヤルネーヴィー(少年時代;海軍士官候補生と少尉候補生;英国海軍駆逐艦「エンカウンター」;ジャワ沖海戦;戦争捕虜)
第2部 平和と外交術(就職活動;外務省とイラン;レバノン、ロンドンそしてスエズ)
第3部 イラクの悲劇(刺激的な任務;イギリス大使館とイラクの支配層;イラク旅行;革命の年の始まり;政府の行動と反動;クウェート・シンドローム;革命前夜;革命;革命の後)
第4部 大英帝国(アデンと南アラビア連邦;マレーシアとシンガポール;クウェート;ベトナムでの出来事;ナイジェリア;アルジェリアと欧州委員会)
引退したフォール卿の日本との交流いろいろ:
Reunion for sailor saved by enemy
Friday, 13 June, 2003 BBC
Officer tells of extraordinary rescue
18/12/2008 BBC
English survivor praises Japanese chivalry
December 11, 2008 UPI
youtube.com/Japanese Navy saved lives of British Navy in WW II - 1/2
再現ドラマが安っぽい気がするけど、よしとせざるを得ず?
wiki/工藤俊作 (海軍軍人,くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日))
wiki/Shunsaku Kudō(January 7, 1901 – January 12, 1979)
敵潜水艦がいるかもしれない海域で漂流者を救助することが、いかに大変なことであるか。
日本軍がまだ勝っていて、余裕だったというだけでは説明不能。
艦長と部下の絆がいかに強かったか、錬度がいかに高かったか、などの要因があって、奇跡が実現したのね。
乗り組んでいたHMSプリンス・オブ・ウェールズが沈められてしまったため、次にエクセター (重巡洋艦)に乗っていたらまた日本に沈められてしまったという人もいたそうで。
吉例【翻訳にいちゃもん】
マレーシアに転勤となり、現地に到着してまもなく、本国から風雲急を告げるイエメンに暫時赴くように「要請」され、中東専門家としてひと肌脱ぐことにしたというくだりがある。
「ロード・シャクルトン公使」の政治顧問として、英国が直轄植民地のアデンを失う過程に立ち会ったという。
「ロード・シャクルトン」は南極探検のシャクルトンの子息だという。
あのね、公使じゃなくてね、「無任所大臣のシャクルトン卿」ではないのかね。
既に大臣を歴任している貴族院議員。バロンでしょうが。
男爵(一代貴族)。
wiki/Edward_Shackleton,_Baron_Shackleton
アジアやアフリカで植民地の独立が相次ぐ中で、イギリスがアデンを中心になんとか勢力を確保しようと試みて、失敗したのが南アラビア連邦だった。
Obituary: Lord Shackleton
24 September 1994 The Independent
Lord Shackleton Is Dead at 83; An Ex-Labor M.P. and Minister
September 26, 1994 nytimes
"Edward Arthur Alexander Shackleton was Minister Without Portfolio in 1967 when the Labor Government of Harold Wilson sent him as a troubleshooter to Aden, a strategically important British colony on the Arabian peninsula's southern coast."
北イエメン&南イエメン
1967年11月30日 イギリスから南イエメン人民共和国(南)が独立
アデンといえば、思い出す。
遠藤周作を読む:アデンまで
<工藤艦長の日本側評伝は明日付エントリへ>
どういたしまして...