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セルフエデュケート

2007-04-28 23:53:49 | あたし的教育論
「習慣」という常識ほど、怖いものはない。


以前から感じていた。教員という職種の特異性。
特に、人前で話すときの一種独特な雰囲気と違和感、
どうしても感じてしまう軽い嫌悪感に、いつも疑念を持っていた。

今日受けた、国際理解教育講座のワークショップを経て、
ようやく謎が解け始める。


社会の中で、唯一といっていい程特殊な、
一対多数の、選択されない子どもたちを相手にする職業。
集団を動かす最も安直な方法は、相手を威嚇することだろう。
恐怖心から人は動く。相手の望みを懸命に汲み取ろうとする。

小さな子どもほど。
素直な子どもほど。

この愚かな方法は、恐ろしいほど教員自身に染み込んでいくのだろう。
技術として。
習慣として。
常識として。


話を生業とする職の一つである教員の話術の驚くほどの個人差は、
普段の子どもたちへの眼差しの差、緊張感の差ではないか。
自分はどれだけ、意識をして話をしているのか…。


経験が習慣を生み、常識を形造っていく。

良識となるか、愚識となるか…
今の意識経験が5年後の習慣をつくり、10年後の常識を生み出していく。

それは恐ろしいほど、愚直に。