置かれた場所で咲く

教育のこと、道徳のこと、音楽のこと、書籍のこと、つれづれ、あれこれ

30通に込めた想い

2007-07-19 23:44:04 | 小学校つれづれ
帰宅時間記録更新!!
只今帰宅しました・・・

明日は終業式です
終わらなかった問題の仕事内容は・・・通信簿?所見?評価?学年通信?会計報告??

・・・いぃえ、どれでもないんです

今学期は奇跡の勢いで手が止まっちゃう諸帳簿の記入も進み、明日の書類も学年分ぜーんぶ仕上がって、何もしなきゃ5時前に上がれたんですが・・・

先が見えた昨日。思いつき。
こんなアイディアが脳裏に。。。


・・・だってだって、書きたかったんだもん
通信簿は保護者向けだし、今年は高学年だしね。
子どもたちに直接伝えたい、全体の前じゃなくて一人ひとりと向き合って伝えたい思い、手紙が一番有効かなって考えたから。

昨日手紙買って、今日全員分書きました
・・・バカだねぇ。この時期、このタイミングで???

写真は9時半現在の画まだ半分もいってなくて、若干泣きそうな図

言葉は浮かんでもね、右手が驚くほど疲労感たっぷりになってくるのよ、実際
想いばっかり溢れるのは、このブログと一緒だね。(・・・全然伝わらない文だったら、どうしよぉ。。)

やらなくてもいいことほど、何だか俄然やる気になります
ヤバイー終わらないーーってテンパってる自分、なんかちょっといい感じだったし
結局全員分書き終わったのは、11時まわってました

正式書類にはかけない、彼らへのメッセージを、どうしても伝えたかったの
こんなところがんばってたよ、こんなに伸びたよって、親からじゃなく、直接
届くといいな、この想い


自分の感情が

2007-07-18 23:47:19 | こころ


少しずつ 少しずつ  変化していることに ふと、気づく

自由に泳ぐことの心地よさと開放感に  ちょっと目眩がする
・・・まぁ、ぶっちゃけ睡眠が…って話もありますがね

今は・・・こんな表現でしか 描けないけれど

たぶん これからも
ひたすら自由に キャンバスを染め上げてゆくんだろうな


夏休みまで あと二日

夏休みがあけたら すぐ運動会だ 

夏休み前に 子どもたちにどんな話をしようかな

どんな話ができるかな




やっと取れました

2007-07-17 23:47:38 | あたしをとりまくもの
家族・知人の安否。

めちゃめちゃ焦った。正直、すぐにでも、現地にとんでいきたかった。

・・・ダメだね、あの場所だからだろうか、すぐ動揺してしまう。
事態の深刻さ、わかってるからか。すぐに連絡を入れた。

とにかく、無事を確かめたかった。

どうして・・・また・・・?

三年前が脳裏に蘇ってきて、一気に現実に戻る。
あの頃は、ただ、ひたすら、あたしにできることをしたかった。

今のあたしは、何が出来るのだろうか。
身動きが取れないのって・・・キツイ。

まずは情報を集めながら、動き方を考えようと思う。

本当に・・・何ができるだろうか・・・。

家族のために。

仲間のために。

あの場所に住む、たくさんの人たちに。




新婚さぁ~ん♪

2007-07-16 19:41:48 | おともだち
4月に籍入れたばっかの新婚友達w・・・が遊びに来たよ宇都宮って・・・結構遠い朝7時半出だってありがと

場所は紅花姫の新居ちゃんと新築祝い持ってきたキミ、偉いどーもうちらの世代って常識逸脱してるよねーって言われがち友達同士でも、その辺はきちっとしなきゃねー(・・・当たり前だー)


シャ●ティーのホールケーキには、プレートに威風堂々と

むらっち  結婚おめでとう”

書いてもらうとき、すごい恥ずかしかった上に「えっ・・・むらっち・・・ですか?」と聞き返されたそうぎゃっ

本人自らケーキに入刀~
Z氏、ぼそっと「・・・なんかすげー、淋しいよね。」

それゆったら終わりぢゃん

美味しくいただいた後は、みんなでランチ
またもや、ヤッチャッタ・・・

・・・お前、これ・・・5年生でもしねーよ。。。
でも、ちょっと面白かったからよし

紅宅に戻って・・・みんなで大富豪
いつもは飲んだときくらいなので、シラフだとノリはまるで修学旅行めちゃめちゃ素が出るし!!計6人、上がったり下がったりで大騒ぎ
振り返れば・・・2時間半?・・・すごすぎない?
そしてミョーな疲労感と、なんだ?この確かな脱力感・・・

締めは紅花宅近くに一昨日オープンしたばかりの、イタリアンジェラート屋さんへ某31でチャレンジ・ザ・トリプルやってるけど、ここでもオープン記念でやってたちょっとカラダに優しそうな、変りダネジェラートもあってトウモロコシとかブルーチーズ入りなんてのも迷うー

その中の「青じそ」
一番下に見える、抹茶色のジェラートがそれ
あたしも迷ったんだけど、注文しなかった
大注目のなか、一口・・・


「・・・ずっ・・・・・・。」
最後まで笑かしてくれました、お兄たまw
でも、ここのジェラートなかなか美味しかったわよまたいこ


どうにもこうにも仕事が片付かなくて、目の調子も悪かったもんで、今日はここまでごめんよーー、みんな
楽しかったぁまた集まろーね





12歳の少女による伝説のスピーチ

2007-07-15 23:45:21 | あたしをとりまくもの
世の中に溢れている、今まで知らなかったことのひとつ。mixiのコミュより。
もう、10年以上も前の話だそうなので、ご存知の方もたくさんいるかと思います。
当時12歳、わたしと同年代です。

自分の人生の一過程として。この記憶を記録に残したいという思いから、転記します。

※超!!長文により、二回に分けて記載します。携帯から見てくれてる方、ごめんね


▼.~セヴァン=スズキ、伝説のスピーチ全文~

セヴァン=スズキという、
当時まだ12歳の少女がリオデジャネイロで行われている国連会議(地球環境サミット)に乗り込んでいき、後に伝説と呼ばれることとなるスピーチを行いました。

素直で純粋な想いに溢れたスピーチは多くの”大人達”の心を揺さぶり、やがて世界中で伝説として語り継がれています。



*・゜゜・*:.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*

こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。エコというのは、 子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。

あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。

太陽のもとにでるのが、私はこわい。
オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。
空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。

そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。

でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。

まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。

でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。

そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は 3千万種類の生物からなる大家族です。

国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。

でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。
物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。

どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。

私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。