増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

Dr.MASUDA、東海道を行く【車椅子の旅2】

2012-03-15 20:22:21 | 近況
斉藤先生と佐藤先生がアメリカのNAETセミナーに行っている間に、増田先生と「車椅子の旅Part2」してきました。
今回は天気に恵まれませんでしたが、3/3だけは天気予報はどうにかのマークになりましたので「この日しかない!」と出かけることにしました。
今回の旅は前回の車椅子の旅と決定的に違うところがあります。

公共交通機関を使いますっ!

今回の車椅子の旅は、歴史大好きオトコの先生のために東海道の蒲原宿から由比宿(一般的に言われている宿場間の距離はたったの3.9キロ)を行くので、蒲原がスタート。
どうしても列車を使わなくてはいけません。
佐藤先生は車椅子で公共交通機関は慣れているし、斉藤先生も、天浜線や首都圏へ増田先生を連れて行っているので慣れているのですが、私はまったくの初心者
に・・・ニガテですがなんとか頑張ろうかと・・・。

朝食の用意をしに増田先生の宿泊部屋へ行くと先生は既に起きていて、毎日新聞の朝刊を自慢げに見せてくれました。
「自分でコンビニいって買ってきたぞ」と言いたかったのです。
最近ひとりでお出かけしなくなってきたのでスタッフたちはちょっぴり心配していたところでしたが、どうやら大丈夫でした(^^)

9時に出発することを予告して、片づけやらクリニックで作業していましたが、30分前行動の増田先生は8時30分に出勤。
ちょっと待っていてもらい、とりあえず9時になってから出発!
・・・のはずでしたが、私が忘れ物をしてしまったことに気づいたので、一旦増田先生をクリニックに置いてけぼりにして、ちゃりんこダッシュで自宅往復する羽目になりました。
だいぶ時間をロスしてしまいましたが、ようやく9:30頃になって、JR東静岡駅へ出発です。

まず、障害者の切符の買い方がわかりません
とりあえず障害者手帳を窓口に出して「新蒲原駅まで」と告げて買います。
障害者と付添い人は半額なのです。
JR東静岡駅の職員さんが新蒲原駅と連絡を取るためにしばらく待ちます。
実は新蒲原駅にはエレベーターがなく、職員さんも1人しかいないため、車椅子対応がむずかしくて時間がかかってしまったのでした。
「駅の階段ぐらいなら車椅子から降りて歩けますから大丈夫です」
と、こちらから告げたためにどうにか話がつき、10:16の列車に乗せてもらいました。
なんだか・・・早速くじけそうです_| ̄|○

新蒲原駅で降りると、ひとりしか居ないのにJR職員さんが迎えに出てきてくれて、しかも車椅子も運んでくれました(^^)アリガトウ!

そこから最初の見学地点である「義経硯水の碑」まで東へ歩きます。

←これは蒲原一族の墓

↑ここは歩道がせまく、近すぎてファインダーに収まりきらず、へんなアングルです。

ここには浄瑠璃姫と義経の悲しい恋の物語が、伝説として残っています。
奥州に向かう源義経はここの湧き水を使って硯水とし、恋しい浄瑠璃姫に手紙を書いた。
浄瑠璃姫は矢矧(三河国)の長者の娘だが、義経のことが忘れられず、蒲原まで追ってきたが病に倒れ、そのまま亡くなってしまったという伝説。
この近くの蒲原中学には浄瑠璃姫の墓もあるのです。
・・・・が、浄瑠璃姫は実在しなかった説が有力であります(^^;
でもいいんです、これも言ったもん勝ちです。

さあ、ここを折り返し地点にして、東海道に行きます。(今見学したところは、ちょっと東海道から外れていたのです)
ちょっと歩いて一里塚跡です。

蒲原宿には、見学したいところはたくさんあるのですが、坂道をずーーっと登らなくてはならなかったり階段をひたすら登らなくてはならなかったりで、増田先生には不向きです。
この一里塚跡のすぐ向い側には「北条新三郎の墓」の標柱が立っているのですが、これも坂道なので、がんばって行こうとする増田先生を止めました。
ここで体力を使われると、次にJRに乗るときにまた階段を上り下りするのでその体力ポイントを残しておくために管理が必要なのです。

しかし
この後、なんとも見た目が美しい「諏訪神社」に来たとき、増田先生はスックと立ち上がりました。


「えーー、登るの?先生っ!大丈夫なんですかっ」という私の心配をよそに、どんどん一人で階段をすすみはじめました。


もー・・・しょうがないなぁ・・・と思いながらもシャッターを切る私。
がんばってます

しかし、あと10段ぐらいを残して、とうとう息が上がってしまいました。
もともと行く前に足が痛かったはずなのです。やっぱりムリはしちゃいけません。
せめて上がどうなっているのか撮影しに行ったら、境内がとってもこぢんまりしていて、私の50ミリレンズでは近すぎてしまってファインダーに収まりきらないのです。

何を撮ったんだか(^^ゞ

一度登ってしまったら、今度は降りなくてはいけないのです。
降りるときはどうするかというと、後ろ向きに降りるのです。
足をふみはずさないように、後ろにまわって見張ります。
手は貸しません。リハビリのために、甘やかさない私です。←オニ でも踊り場では肩を貸しますが。

階段をすべて降りきって、ホッとしたところで
「頑張りましたねぇ・・・」とねぎらいつつも
「先生っ、もうムリしちゃダメですよ。食事するところも階段使うんですからねっ!」
と厳しい言葉を浴びせてしまう私。
そう、今日予定している食事どころは階段で行かねばならないのです。
駅より何より、食事するところの階段が登れなかったら、私が泣きます←オイ

さてさて、蒲原は歩いていて飽きません。
この後すぐに東木戸跡。宿場の江戸よりにある出入り口というわけです。


このあと、大きな水道管のところを通りますが、先生はそこが新日本軽金属の工場の持ち物であることを知ってました。
水力発電を山の上に持っていて、その大きな水道管は発電用なのだそうで、工場の電力はそこでまかなわれているらしいのです。
それがなかなか無知な私に伝わらなくて、けっこうイライラしてましたが、後でちょっと調べたらフツーに有名なことでした(^_^;
「先生、何でも知ってますね」と言ったら「がはは」と笑ってました。

さて、大きな御店であったであろう「木屋」の屋号をもつ材木問屋の「渡辺家」の前にきました。
←この写真は私が東海道歩きしてたときに撮影したときのもの

ここの土蔵には貴重な資料がいっぱいあるのだそうです。雨天ではない土日の日程で、予約すれば見学もできます。
http://kiyaedoshiryoukan.eshizuoka.jp/

安政の大地震の記録も日記に残してあるのです。
増田先生は熱心に外の塀に掲示してある資料を読んでました。


その後、ここの印刷された資料を買ってました。


なまこ壁と塗籠め造りの元商家、「佐野屋」の前で。
実際に人が住んでおられるのでちょっと気が引けましたが・・・失礼します。

旅籠だった建物は今はタバコ屋とおやすみ処になってます。
(写真は過去のもの)
この元旅籠の向かいは本陣跡です
(写真は過去のもの)

次に訪れたのは志田邸といわれる、醤油の醸造をしていたところだそうです。
(写真は過去のもの)
ここの志田家が実家という志田威氏による『「東海道五十七次」の魅力と見所』という本が売られていたので、増田先生も私も買ってしまいました。
「東海道五十七次」の魅力と見所
志田 威
交通新聞社東海支社

私は東海道のガイドブックのほとんどの本を持っているので、「本当は大阪までの五十七次が東海道」というのは知っていたのですが、増田先生はここで初めて聞いたらしく、ひたすら「ほぉー」と感心してました。

志田邸を出て、また由比に向けてチャッチャと歩き、「ここが旧五十嵐医院、ここも階段が大変だから見学はパスですよー」などと説明だけしながらすすみ、蒲原宿の西木戸跡に来て蒲原宿も終わりです。
ここには「茄子屋の辻事件」の説明板があります。この西木戸近くに「茄子屋」という茶屋があって、高松藩の藩士と薩摩藩の藩士の乱闘があったそうな・・・と説明しようとしたら、増田先生は「知ってる!!」のサイン。
「さすがですねぇ」と言ったら、またガハハと笑ってました。

ここから由比宿まで、えっちらおっちらひたすら歩きます。
とっくにお腹が空きました。
「・・・・お腹すいたぁ~」と独り言を言ったら、増田先生の左手が「グー」をしながらサッと挙がりました。
増田先生もお腹すいたようです。

お腹が空くと無口になるし、カメラも出てきません。
次の写真はコレでした。

どこかというと、ここでした↓

由比宿にほど近い道しるべにて(^^)

ここの向かい側は「神沢川酒造場」です。
正雪を造ってます。平日の午前中なんて通ろうものなら、ものすごーーく良いにおいがします。
東海道歩きをしていると、酒造はメチャクチャ多いのですが、一度も買ったことはありません。
答えは簡単です、重くなるからです。
増田先生は「直営店に入っていいよ」のサインをしましたが、入りません。・・・買いたくなってしまうからです(^_^;

このままざーーーっと由比宿の本陣前まで行って、さっさとレストランに入ります。
「海の庭」という、駿河湾が一望できるレストランにしました。

▲食事が来るまで、木屋の土蔵で買った資料に目を通す増田先生

頼んだ食事が来ました!!
・・・写真、ありません!!!

おなか空きすぎて、さっさと食べてしまったので撮影し忘れてしまったのです。
参考に、過去の桜えび膳をアップしておきます。

増田先生の注文したのはこれに近い、ご飯がざるそばになったような感じのメニューです。
席から見える駿河湾ですが、曇りでしたからこんな感じでした。

ごちそうさまでした(^^)


このあと、由比本陣跡に建つ「東海道広重美術館」を見学です。



美術館を出て、また由比の町を見学しながら今度は由比駅まで歩きます。

蒲原や由比は昔ながらの民家だけでも見る価値があるので、本当に退屈しません。
駅までもあっという間でした。

さて、由比駅に着いたら増田先生は車いすから降り(階段なので降りないとホームへ行けません)、自分できっぷを買ってきました。
230円を2枚です。窓口が閉まっていたのです。
東静岡までは障害者手帳を見せればもっと安くいけるはずなのだけど、おかしいなぁと思いながらも階段を歩いて登ります。
えっちらおっちら階段を登っていたら、JRの職員さんがどこで見ていたか、急いできました。
あれ?休憩中だったのに、悪いことしちゃったなぁ~と思いつつ(^_^;
「どこまで行かれますか」と聞かれ「東静岡までです」と伝えると増田先生がいきなり怒り出しました。
「え、ちがうの?どこですか?」と聞くと、どうやら「清水」と云っているようです。
「あ、清水だそうです」と伝えました。職員さん、急いで清水駅と連絡を取ってくれました。

そのあと、列車が来るまでちょっと職員さんと世間話したり、撮影したり。

やっといい顔が出ました(^^)しかし、ピント合ってませんが・・・。

清水に行きたかった理由はというと、エスパルスドリームプラザで映画を観たいからなのだそうです。
「またですかーーっ!」と聞くと、もう増田先生は大笑い。
清水駅に着いてから、歩いて(車いすを押しながら)エスパルスドリームプラザまで行きます。

私は観られる映画は非常に幅が狭いのです。「健全」「安心」「おもしろい」と相場が決まってます。
「PG12指定」なんてのはもうダメです。ようするに子どもでも安全に観られる映画ということになります(^_^;
先生はそんな私の好みをよくわかっているようで
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を選んでくれました。
ものすごく良い映画で、心が温まりました。

映画が終わると外は雨。タクシーで清水駅まで行ってもらい、あとはまたJRで東静岡まで帰ってきました。

私はこの前の晩、夜更かししておでんを煮込んでいて、それを晩ご飯用に鍋で持ってきてました。
「さあ、クリニックに帰っておでんを食べましょう~」と思っていると、先生は「ジョナサンに寄れ」のサイン。
「先生っ!!私は夜なべでおでんを仕込んだんですよっ!!食べてくださいよぅ~~」と仕舞いには泣きが入り、先生も渋々あきらめてクリニックに戻ってくれました。食べ終わって時刻は22時でした。


この「蒲原宿~由比宿」は、車いすでも無理なくいける東海道の旅なので、ここを選びました。
階段ナシ、歩道橋で渡らなければならないところもナシ、大きな川に架かる橋もナシ、急坂ナシです。
ただし、駅は階段なので、そこはちょっと大変でしょうか。(JRの人も大変(^_^;))
増田先生、足が痛いのに本当にお疲れさま。

この日車いすで行ったルートは以下の通りです。
▼地図をクリックしてください


桐井 記

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2012年2月に読んだ本

2012-03-10 14:13:27 | 読書三昧
2012年2月に読んだ本をブクログにアップしました。
以下のURLをクリックしてください。
http://booklog.jp/users/chiromasuda?display=front&category_id=1889451&status=3&rank=0&sort=sort_desc

2月に読んだ本は19冊ですが、ブクログでは17冊となっています。
1冊はいつものように、ブクログでは掲載できないレアな出版物だからです。


富弘美術館2011年秋号
(星野富弘氏の美術館で発行している、全16頁の冊子)


・・・・ブクログを更新しているスタッフ泣かせなのです

さて、ブクログに入っていないもう1冊ですが、以下の本です。
幕臣列伝
綱淵 謙錠
中央公論社


この本は2011年6月に読んだ本に登録済みとなっていたため、「2月に読んだ本」としては登録できませんでした。
http://booklog.jp/users/chiromasuda/archives/1/4120027724
ということで、再読の記録に残しました。

2月は「桐井文庫」から1冊、1月も1冊貸し出しました。さて、どの本かわかりますか?

桐井 記

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