増田院長記
○この近況レポートも3日坊主で終わると思ったら、新年元旦以来1日も休まず続いている。これは奇跡ですね!日記といえば、小学生の時の絵日記には閉口した。平凡な日々の移り具合を描ける力なんて全然ないのに書かされる。あれは拷問ですね。それから、読後感想文。これが読書嫌いにする最大の原因。感想文のことを考えたら、どんな本も読むのがつまらなくなる。
毎日のことで、しかも何か新しい、話題の提供となると、「今日はもういいや」と書きたくなくなるところ、踏ん張って書いている。毎日の新聞に連載漫画を載せている漫画家の心境がちょっぴりわかる。まさか、夏休みの絵日記で天気のことばかり書いていたようなわけにいかないからね。
○ゲルマニウムでアレルギー反応の出た患者さん。「ゲルマニウム温浴行ってきましたけど何もありませんでした」との報告。以前、ゲルマニウム温浴に行ったら、温浴中に両手にしびれが生じた。それで当院に来られて、緊急の措置でゲルマニウムのアレルギー反応を治療し、しびれはとれた。その後、食品アレルギーがあることがわかったので、継続的に治療をしてきた。「あの時は夏でしたから、冬のゲルマニウム温浴は気持ちがいいですよ」。
○本日は午後休診。自分たちの給料やスタッフの給料を支払う。駐車場などの必要な支払いも済ませる。その後レストランに行って遅いランチ。オニオングラタンスープ、チョリソー、スパッゲティである。家に帰ってきてから熱い風呂につかりながら、本を読む。
井上ひさしの言ではないが、「ツン読」のなかの一冊「不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か」(長山靖生著、光文社刊)を手に取る。この本は、「読書の勧め」といった趣で、倫理、歴史、数学・科学についての基本図書のガイドがあって、読書欲をそそられる。第4章「正しい歴史」は存在するか、は納得がいく。歴史教育と愛国心教育とは別にしなければいけない。以前山崎正和が言っていたが、歴史教育を国家の統制から切り離す必要がある。政治の正義を歴史の正義に置き換えてはならない。どこの国のどこの民族の歴史にもすばらしい面とマイナスの面がある。
倫理の面では論語を大人が再認識して子どもに聞かせることが、日本人の倫理の再建には不可欠ではないかとの提案には耳を傾かせるものがある。「論語物語」(下村湖人著)をもう一度読み直してみようかな。
第6章「好きなら伸びる」は本当か、において、著者は今の風潮(子どもを一流にしようと親が資産を投入しているさま)に対して危惧を抱いている。著者は、学ぶことは「好きなことを見つける」のと「客観的評価を受ける」のと「嫌いなことでも理解し、水準以上に達する努力をする」というバランスが取れなければ、本当に伸びない、と書く。プロ化を目指す風潮とは別に、一般の人においても「自分の好きなことをやりたい」というフリーター、ニート、パラサイトシングルもいる。ところが、今の社会において自分の好きなことができる職場なんてどこにもない。もし本当にそうしたければ、自分で会社を立ち上げるしかない。いやなことでも率先してやり、仲間や上司の信頼を勝ち得てから、自分の自由な空間が少しずつ広がっていくのである。
○一時期、いや今でもそうなのかもしれないが、「自分探し」が流行ったことがある。しかし、本当の自分なんてあるはずがない。自分とは自分以外との人間、社会、自然との諸関係の総体なのだから、ラッキョウの皮むきのようにしたって、何もでてくるわけではない。せいぜい、前世的な占いに走るしか手はない。
○本日で2月も終り。忙しい月であったが、来月はもっと忙しくなる。つかの間の休息である。
○この近況レポートも3日坊主で終わると思ったら、新年元旦以来1日も休まず続いている。これは奇跡ですね!日記といえば、小学生の時の絵日記には閉口した。平凡な日々の移り具合を描ける力なんて全然ないのに書かされる。あれは拷問ですね。それから、読後感想文。これが読書嫌いにする最大の原因。感想文のことを考えたら、どんな本も読むのがつまらなくなる。
毎日のことで、しかも何か新しい、話題の提供となると、「今日はもういいや」と書きたくなくなるところ、踏ん張って書いている。毎日の新聞に連載漫画を載せている漫画家の心境がちょっぴりわかる。まさか、夏休みの絵日記で天気のことばかり書いていたようなわけにいかないからね。
○ゲルマニウムでアレルギー反応の出た患者さん。「ゲルマニウム温浴行ってきましたけど何もありませんでした」との報告。以前、ゲルマニウム温浴に行ったら、温浴中に両手にしびれが生じた。それで当院に来られて、緊急の措置でゲルマニウムのアレルギー反応を治療し、しびれはとれた。その後、食品アレルギーがあることがわかったので、継続的に治療をしてきた。「あの時は夏でしたから、冬のゲルマニウム温浴は気持ちがいいですよ」。
○本日は午後休診。自分たちの給料やスタッフの給料を支払う。駐車場などの必要な支払いも済ませる。その後レストランに行って遅いランチ。オニオングラタンスープ、チョリソー、スパッゲティである。家に帰ってきてから熱い風呂につかりながら、本を読む。
井上ひさしの言ではないが、「ツン読」のなかの一冊「不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か」(長山靖生著、光文社刊)を手に取る。この本は、「読書の勧め」といった趣で、倫理、歴史、数学・科学についての基本図書のガイドがあって、読書欲をそそられる。第4章「正しい歴史」は存在するか、は納得がいく。歴史教育と愛国心教育とは別にしなければいけない。以前山崎正和が言っていたが、歴史教育を国家の統制から切り離す必要がある。政治の正義を歴史の正義に置き換えてはならない。どこの国のどこの民族の歴史にもすばらしい面とマイナスの面がある。
倫理の面では論語を大人が再認識して子どもに聞かせることが、日本人の倫理の再建には不可欠ではないかとの提案には耳を傾かせるものがある。「論語物語」(下村湖人著)をもう一度読み直してみようかな。
第6章「好きなら伸びる」は本当か、において、著者は今の風潮(子どもを一流にしようと親が資産を投入しているさま)に対して危惧を抱いている。著者は、学ぶことは「好きなことを見つける」のと「客観的評価を受ける」のと「嫌いなことでも理解し、水準以上に達する努力をする」というバランスが取れなければ、本当に伸びない、と書く。プロ化を目指す風潮とは別に、一般の人においても「自分の好きなことをやりたい」というフリーター、ニート、パラサイトシングルもいる。ところが、今の社会において自分の好きなことができる職場なんてどこにもない。もし本当にそうしたければ、自分で会社を立ち上げるしかない。いやなことでも率先してやり、仲間や上司の信頼を勝ち得てから、自分の自由な空間が少しずつ広がっていくのである。
○一時期、いや今でもそうなのかもしれないが、「自分探し」が流行ったことがある。しかし、本当の自分なんてあるはずがない。自分とは自分以外との人間、社会、自然との諸関係の総体なのだから、ラッキョウの皮むきのようにしたって、何もでてくるわけではない。せいぜい、前世的な占いに走るしか手はない。
○本日で2月も終り。忙しい月であったが、来月はもっと忙しくなる。つかの間の休息である。