〜かたることばが歌になる風になる〜

20数年越し 恩師のお宅拝見その一

あの何千人もの死者が出た神戸の震災の時、恩師のお宅は建て直しの最中だった。
神戸とは違うずっと離れた地域にお住まいだった先生のお宅は無事だったが、震源地のまさに中心に住まわれていたご子息夫妻が被災されて、一時期先生の大阪のマンションに避難されていたことも記憶している。
その後ご自宅が完成して、住友林業の住宅雑誌にも載ったほどの素晴らしい豪邸で、私たちはいつか新しいおうちのレッスン室に伺うのを楽しみにしていた。

しかしご自宅が完成した後突然先生が脳出血で倒れられて1年間のリハビリ。右半身麻痺、頭で考えていることが中々思うように言葉にして発せられないと言う、これまでの先生の姿からは想像できない状況の状態になられた。

私が中学生2年生の時、先生は29歳でご子息がお腹にあって出産を控えていた頃門下生となった。
思い出されるのは、高校に受かってL6というレッスン室での、渋いエンジ色のハイネックのダブルの短めの上着にタイトスカートでビシッと決めて、背が高くてスタイルが良く少し近寄りがたい雰囲気の先生が立っておられる姿。ほんとにかっこよく畏怖の念をも持った。

話は前後するが、私の高校受験の少し前、先生の恩師であられる大(おお)先生の初めてのレッスンに、先生も一緒に行って下さった時のこと。
この時の先生と大先生のお二人の会話。どちらも相手の話を聞かないでお互いにずっと一方的に話し続けているのを見た。そんな部類の人の会話はそれまで見たことが無かった私は、少し唖然として眺めていたことが思い出される。

そんな先生がスムーズに喋れなくなるのはどんなにかお辛いことだろうと想像した。

先生とは数年に一度ぐらいはお会いすることもあり、「風」のコンサートにも最後も入れて数回聴きに来て下さった 。
数年前NHKの朝ドラ「カーネーション」の撮影に使われたと言う心斎橋のレストランが閉店するので、先輩の発声でそのお店で先生ご夫妻と門下の数人でお食事をすることになった。その折、実現していないお宅拝見の話題になって、ご主人さまからこの22日お招き頂いてやっと念願が実った。

最寄りの駅にご主人様が車で迎えに来て下さりご自宅まで行く途中、今はデパートも撤退しシャッター商店街になっている、地域のいわゆる銀座街を通る時、当時通っていたバスが人でいっぱいだった話や、先生の門下生の発表会に使われたホールが建て直しされている所、先生の大先生の生家で音楽教室もあった所など、次々と思い出の場所が当時の出来事と一緒に出てきて、車中では同じ年代の4人のおしゃべりの花が咲いた。

ご自宅の周りの住宅は少し様変わりしてはいたが、近くのバス停を降りて歩いてくるレッスンに通ったルートは変わっていない。

外観は外国の洋館風で正面中程にステンドグラスの明かり取り。
玄関を入ると吹き抜けになっていて、階段を上ったところ左側がステンドグラス。





この次は、先生が特に渾身の思いを込めてデザインされたレッスン室の見学へ。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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