中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

中華街福建路のバー「チェッカーズ」潜入ルポ

2005年12月15日 | 中華街の酒場

 中華街には気になっていながら、なかなか入らないでいる店というものがあります。いや、“入れない”と言った方が正確かもしれません。その代表格が、この「チェッカーズ」でしょう。

 ここの入り口ドアを見たら、ちょっと怯んでしまいますよね。会員制というわけではないのですが、見るからに会員制という感じです。入り口の扉も、1枚目は鉄の格子、2枚目は重厚な木製扉。本当に入りにくいです。
 でも、昼間見ると、マスターが葉巻をくゆらしながら、鳥に餌をやっていたりして、そんなに怖そうな雰囲気はありません。だから、いつでも入れるはずなのですが、なんとなく入りそびれていたのです。


遠くから見ると、よく分かりませんが…


近づくと“チェカス”となっています。本当はチェッカーズでしょ。


 今日は「東林」で忘年会がありました。「チェッカーズ」には、その2次会で行ったのです。重たいドアを押し開けると、そこには昔懐かしいバーがありました。

 まず匂いです。なんて言ったらいいんでしょうか、ワックスの匂い? 石油ストーブの匂い? なんだか懐かしくなる匂いを感じました。たとえば野毛の「R」とか「山荘」で嗅いだのと同じ匂いなのです。これは、まさしく昭和30年代のバーの匂いでしょう。
 そして、この狭さ。10人も座れないほどのカウンターに、暗くてよく見えないテーブル席。女の人はいません。マスターが一人でやっているようでした。


 もちろんジャズレコードがかかっています。それも、思いっきり古いヤツ。これが「ああ、横浜で飲んでいるんだなあ」と思わせる、ひとつの演出となっているのではないでしょうか。

 カウンターの中にはレコードがたくさん並べられていました。マスターに聞くと、かなり集めていたそうです。ただ、野毛の「ちぐさ」とか「パパジョン」には及びませんがね…。
 それでも今日は、コニーフランシスやプラターズなんかもかけてもらいました。レイ・チャールスも流れていたかもしれません。そのあとは、もう覚えていませんが、ビリー・ホリデーとかケニー・バレルもかけたかも…。


 ここのマスターが集めていたのは古いレコードだけではありません。実は、酒も集めているのです。カウンター内の酒棚には、普通の酒しか置いていませんが、奥の方からいろいろと持ってきて解説してくれました。


 これは、30年以上前のサントリーレッドとか。懐かしいビンですよね。なで肩の…。
 こんなのを40本も持っているとか言って、自慢していました。いつか酒を仕入れられなくなったときには、これを使うんだそうです。でも、そんなこと言ってないで、一杯呑ませてよと言うと、小さなグラスに注いでくれました。


 左は年代モノのホワイトホース。30年以上前に買ったそうです。これが何十本もあるとか…。こちらは、商売を辞めたら、毎日、チビチビやるんだと仰っていました。

 そんなマスターですが、もともとはハワイの日系2世で、アメリカ空軍の軍人でした。戦後、日本に来てこの店を出したそうです。

 1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が始まると、この中華街の中には兵隊相手の外人バーがたくさん出現してきました。私の手元に昭和31年の住宅地図があります。そこには、現代の中華街の姿からは信じられないような文字が並んでいます。

 当時はまだ通りに今のような愛称が付いていませんでしたが、たとえば香港路、西門通り、中山路にはバーやクラブがズラリと並んでいるのです。朝鮮戦争のあとはベトナム戦争です。中華街を訪れる米兵の数は相当なものだったに違いありません。

 そんな外人バーのお客は兵隊だけではありませんでした。当時の横浜港には、外国船もたくさん入港していましたから、世界中の船員が街を歩いていたものです。「チェッカース」にも多くの船員が呑みに来ていたといいます。

 その名残が壁にありました。船に備え付けられている赤白の浮き輪や船員のサインなどです。ここには「古きよき時代のヨコハマ」が、まだ息づいているようでした。


 マスターの自慢は柔道です。講道館の証明書を見せてくれましたが、5段か6段だったような記憶があります。酔っ払っちゃっていて、よく覚えていません。もしかしたら7段だったかも。

 東京オリンピックで金メダルを獲ったアントン・ヘーシンクを教えたといいます。そのヘーシンクが「チェッカーズ」に来たときの写真が飾ってありました。それを見ただけでも、彼のデカさが分かります。

 そして、もう一つの宝物は、この三船十段からもらた「書」だそうです。三船といえば空気投げで有名でした。1945(昭和20)年に十段で名人の称を受け、その後は文化功労者となった人物です。こんな人と一緒に練習をしていたんだと、嬉しそうに振り返っていたのが印象的でした。
 
 今日は「東林」での宴会といい、「チェッカーズ」での2次会といい、充実した一日でした。謝謝。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たま)
2019-03-02 19:22:55
貴重な写真をありがとうございます。チェッカーズクラブはこんな感じだったんですね。行ってみたかったです。
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よかった (管理人)
2019-03-03 16:46:18
>たまさん
このお店のことを記事にしておいてよかったです。
店内の写真を、もっと撮影しておけばなぁ・・・と、
今になって思っています。
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Unknown (チョビワルおや路・リターンズ)
2022-09-14 01:32:24
申し訳ありません。
許可なく、貴兄のサイトにある写真をお借りしてしまいましたm
パパさんに撮って貰った写真はいくつかあるのですが、パパさんが写った写真は意外となく貴重です。
あとまさかレッドの写真もあるのは、笑えましたw
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Unknown (管理人)
2022-09-17 12:20:51
>チョビワルおや路・リターンズさん
貴殿のブログも読ませてもらいました。
結構通っていたんですね。
もっと早く入っていればよかったと思っています。
アマゾンクラブも…
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