「ロシアで毒キノコ中毒死発生」 30年近く前の夏、こんなニュースが新聞の国際面に載った。通常なら安心して食べられるアンズタケが、突然変異を起こし毒を持ったらしい。翌日には「キノコファンに告ぐ」と題して、これを採ったり食べたりしないようにという記事も出た。 詳しくは書かれていなかったが、おそらくチェルノブイリの原発事故による放射能が原因だったはずだ。 その数日後、私たちキノコ探偵団はシベリアまでキノコ狩りに出かけた。団長は日本人の菌類学者で、ねらいはズバリ、松茸だ! 最近はどうだが知らないが、当時は毎週水曜日に旧ソ連製ジェット機イリューシンが新潟~イルクーツク間を飛んでいた。ソ連崩壊からそれほど歳月の経っていない時期、空軍から流れてきたパイロットの操縦技術には一目置くとしても、機体の整備には大きな不安があった。日本海上空でガス欠なんてこともあり得ることだからだ。 キノコ中毒より悲惨な結末を想像しながら、私たちの恐怖を満載したジェット機は飛び立った。巡航体勢に入り前方を眺めると、客席との境はがっしりした壁ではなく、カーテンであることに気づいた! それが客室乗務員によって開け放たれると、客席からコックピットが丸見えになった。ハイテク機なら2人乗務なのに、なんとこの機は搭乗員が5人もいる旧式だった。 こんな飛行機に乗り合わせる機会は滅多にない。さっそくコックピットの近くまで行って前方を眺めていると、「やあ、よく来たな。入ってこの装置を見てみなぁ」と中に招き入れられた。 計器類をいろいろ指し示しながら、その機能を説明してくれるのだが、まったく意味不明。そこで彼らは方針を転換し、「どこから来たのか?」とか、「どこまで行くのか?」などと、今回の旅の話に変わっていった。 「バイカル湖へキノコ狩りに行くんだよ」 「そうか! 今はアンズタケが食べごろだぜ」 どうやら毒キノコ化したことを知らないようだった。 「いや、我々の狙いはアンズタケじゃない。松茸を採るつもりなんだ」 「あんなもん食えるのか?」 菌類学者によると、ロシア人は松茸を踏んで歩いているという。日本人とは嗜好が違うのだ。 だから乱獲されずに残っているはず。大量採取も期待できるらしい。 ひとときキノコ談議をしたあと、日本から持参した4色ボールペンを彼らにプレゼントすると、ものすごく珍しがられて、みんながこっちを向いて使い方を聞いてくる。 パイロットまで操縦桿から手を離し、後ろを振り返って嬉しそうにボールペンをカチカチさせるのには参った! 「おいおい! ちゃんと前を見ろ、前を! 操縦桿から手を話すなッ!」 思わず叫んでしまった。 日本の飛行機では考えられないことだった。丸見えのコックピットの中で行われているこの騒動を、多くの日本人が見ていたはず。 乗客の恐怖はさらに増したに違いなかった。 そんなこんながあって、イルクーツク空港に無事着陸したときは、誰もがひと安心して、一斉に拍手と歓声が沸きあがった。 ▲イルクーツクの町。 ▲イルクーツク郊外の家。もしかしたらダーチャ(ロシア特有の菜園付き別荘)かも。 ▲のどかな風景が広がる。 ▲バイカル湖。 ▲郊外で放牧されている羊たち。 ▲砕氷船で移動する。 ▲日本人抑留者が建設した鉄道 今回のキノコ採取地は、バイカル湖の南西湖畔とその近くに浮かぶオロロン島である。そのため私たちは南岸にベースキャンプを張った。そこから毎日、出撃するわけだ。 初日は湖岸に面した森林探索ということで、とにかく目についたキノコは全部採って来ることになった。 ところが、無我夢中でキノコを探しているうちに、最年長の爺様が行方不明になってしまった。広大な森林地帯は、目印になるものが何もない。皆で闇雲に捜索しても二次遭難を招くだけだ。そこで、山慣れしている私たち数人が爺様の救出に向かった。 しかし、ホイッスルを吹きながら一時間捜しても見つからなかった。もはやこれまでと思い集合地点に戻ると、なんと爺様が得意げにキノコを広げて仲間に講釈しているではないか。 聞けば、探索しているうちに現在地が分らなくなり、たまたま出遭ったロシア人に助けられてここまで送ってもらったとのこと。私たちの心配をよそに、大量のキノコを採ってきていたことに、一同、あきれてしまった。しかし、そんな爺様の奮闘もあって、初日にしては大収穫だった。 そして、みんなが採ってきたキノコをその場で広げ、ロシア人の菌類学者に「食用」「不食」「毒」と分別してもらった。食用キノコについては名札に学名を書いてくれたが、中には団長(菌類学者)が首をかしげるものもあった。同じ学名でも、地域によって風貌が少しずつ違うのかもしれない。 そんなわけで、日露の学者が同定したものだけをキノコ鍋にして食べてみた。味付けは日本から持ちこんだ味噌。シベリアの大森林の中で食うキノコの味は格別だった。 翌日からは、さらに奥深くの森に入ったり、オロロン島に遠征したりと、松茸探しに明け暮れた。日本を出発する前、「シベリアにも松茸はあるけど、ロシア人はそれを食べないから踏んで歩いている」などと聞かされていたので、かなり期待していたのだが、結局、最後まで一本も採れずじまいだった。 それでも別な収穫がひとつあった。それはキノコの発生と磁場とには関係があることを確認できたことだ。以前、このシリーズの「ムキタケ」編で、落雷跡地、変電所、高圧線の近くではキノコが大発生するらしいということを書いたが、今回の探検ではその法則どおり、変電所周囲で巨大なヒラタケを大量収穫できたのである。目的の松茸は確保できなかったが、印象に残るキノコ狩りツアーであった。 数年前、北海道に住む義父から送られてきた樺太産の白マツタケというのを食べた(やはり松茸はあったのだ)。袋にはそれと一緒に、樺太産のチャガというキノコが入っていた。和名はカバノアナタケといい、白樺の幹にできる「木の癌」である。 これを粉末にして煎じ、1日1リットルほど飲むと、人間の癌細胞が消えてしまうと言われている。活性酸素を消去するSODがアガリクスの約30倍も含まれているらしい。そんなことから、巷では覚醒剤並に、100gあたり20,000~50,000円もしているそうだ。 チャガのことは、旧ソ連時代の反体制派作家・ソルジェニーツィンの『癌病棟』にも出てくる。最近では週刊誌やテレビなどでもしばしばPRされているので、ご存知の方も多いはず。 実はこれが北海道でも採れるという。品質的にはロシア産には及ばないようであるが、何しろ高額で取引できるキノコだ。北海道の白樺からチャガが消えてしまう日は、そう遠くはないかもしれない。 一方、ロシアでもこれが儲かることを知り、今まで自由に持ち出せたのに、最近それが禁止されてしまったという。そのうち、シベリアでのキノコ狩りも出来なくなるに違いない。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
ロシアへも行かれたことがあるとは、羨ましい限りです。きっと私は一生行かれないでしょう。
スパイ小説や映画では、何だか怖い国のようですが、役人だった父親が、ロシアの方々と何度か交渉で会っており、そのたびにお酒を飲んだりプレゼントの交換をしたりしていたことがあって、お付き合いすると大らかな面白い人たちだということでした。
その時のプレゼントで、やはり人気があったのがボールペンだったそうで、カレンダーも好まれたらしいです。先方からはゴワゴワのTシャツやレーニンのバッジ、マトリョーシカをいただきました。今でも持っています。
しかし、酔華サンはイロイロと経験されているので、うらやましいものです。
お忙しそうですから、くれぐれもご自愛ください。
もう松茸はいりません。シメジでいいです。
私が会った人たちは、みんないいヤツでした。
でも国家となるとダメですね。
相変らず。。。
B級グルメの食べ過ぎに注意、久しぶりでした。
次回はいつになるか…