自分の中華好きはいつから始まったのか。回らない頭を回して考えると、どうも小学生のころからだったように思う。 中華と言っても国家ではなく、地理、文学、料理などだった。広大な土地に憧れがあったのだろう、アメリカ、ソ連、中国の地図ばかり眺めていた。とくに中国の露天掘りにはビックリしたことを覚えている。 その後、「三国志」や「水滸伝」、「封神演義」などを読みながら、中華料理の世界にハマって行ったのが20代だったかな。一人暮らしのアパートで中国服を着て、中華鍋を振るような生活を続けていた。職場に持って行く手作り弁当のオカズは酢豚、エビチリといった定番だったが、それなりに美味しかったと思う。 そんなころタピオカと出会った。横浜中華街の食材店で買ったタピオカの袋は、写真にも撮っていないし、記憶もあいまいになってきているから、どのくらいの量が入っていたのか、今となってはもう分からないが、これを調理してみようと思ったことは確かだ。 どうやって、何に利用するのか、当時はインターネットなんかないし、教えてくれる人もいなかった。新聞に掲載されたレシピとか、食材店の主人に聞いた情報などを基にして、勘を頼りにやってみるしかなかった。 現在、タピオカというと皆さんが思い浮かべるものは、こんなヤツに違いない。でも、当時、私が買ってきたものは、こんな白い粒々のヤツね。もしかしたら業務用のタピオカだったかもしれない。 これを一晩、水につけておき、翌日、鍋で全量を煮たのである。結果はもうお分かりだと思うが、あの小さな粒がとんでもなく膨らみ、大量に出来上がってしまったのだ。 当初は牛乳に混ぜて食べようと思っていたタピオカが、まるで炊飯器の中のご飯のよう。一粒の大きさは米よりも遥かに大きい。それらが鍋の中で笑っているようだった。 これだけ大量にできてしまったヤツをどうやって食べるか。毎朝のタピオカ牛乳では全く減らない。夜は炒めて酒のつまみにしたり、カレーライスのご飯代わりにしたりと、大変な目に遭ってしまったのだった。 乾燥タピオカを買ってきて自分で作ろうと思っているあなた、茹でるときは分量に注意してね。 ということで、最近のタピオカブームを写真に撮ってきた。 横浜中華街で大ブームの タピオカミルクティーたち 最近の横浜中華街では、タピオカミルクティーをはじめとする、タピオカなんちゃら~っていうのが流行っている。これらを提供している店の数は、どのくらいあるのだろうか。そのうちの一部を並べてみた。 当ブログは横浜中華街でのランチを中心に綴ってきているのだが、食後のデザートでタピオカココナツミルクを食べているのは、ほとんど2007年~2010年頃に限られている。 なぜあの時期だったのか。よく分からないが、たぶん杏仁豆腐は業務用の寒天みたいなヤツばかりだったので、それを避けていたのかもしれない。 いま思うと、ランチでタピオカミルクを出していたのは、新しく中華街で店を開いた小型店に多かったような気がする。 近ごろは多くの店でフワトロの自家製杏仁豆腐やマンゴープリンなどを出すようになり、自分はタピオカココナツミルクを食べなくなっているのかな。 ということで、過去のタピオカココナツミルクをどうぞ♪ 杜記紹興酒荘(2007年4月17日)【閉店】 新福記(2007年5月24日)【閉店】 仙鶴楼(2007年11月10日)【閉店】 焼肉 菜(2007年11月20日)【閉店】 市場通り 菜香(2008年4月3日)【閉店】 始皇帝(2009年12月12日)【閉店】 金燕閣(2010年12月2日)【閉店】 翁順楼(2010年12月5日)【閉店】 全部、閉店だった……。(涙) ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
前回は焼き小籠包(生煎包)かな。
さて、次は何だろう?
最近は歩きながらスープを飲んでいる人も見かけます。
ぶつかったら大変! 避けながら歩きましょう。
同じような店、同じようなモノばかり…
真似のできない美味しいものをお願いしたいです。
タピオカ、すごい人気ですよね。
まずくは無いけど、ブ-ムになる程
美味しいとは思えないんです。
若い人はあのプチプチした食感が新しいのかなぁ~?
タピオカ、私は好きじゃありません。
それより生和菓子、生ケーキ、生ビールです♪
本日散策していたら徳記が妙なことになっていました。
路上のA看板には「桂宮のシェフが自分の店を持ちました」と書いてあることから店と名前を売ったことは明白なのですが、店の看板では創業70年を謳いイチオシメニューは豚足麺という…
さすがに自家製麺ではなくなっていると思うのですが。(ウミガメ食堂ができたあとの奇珍も麺を買ってますよね)
そうらしいですね。
徳記は商標登録をしていなかったとか。
だから店名は自由に使えるという話を聞きました。