「横浜市電のレール 銭湯が市に寄贈」 そんな見出しを付けた新聞記事が2月7日(火)の東京新聞に出た。これを見てすぐに私は思った、⦅おお、懐かしい、麦田のさくら湯じゃん⦆と。 ここは、気っ風のいい女将さんがいる銭湯で、閉業する数年前まで、私は何度も利用していた。馴染みになってくると、いろいろなお宝を見せてくれるようになり、なかでも江戸時代のひな人形と、売り出してすぐのレコードプレーヤーが目をひいた。 他にもいろいろと古い物がたくさんあったので、横浜市開港資料館の研究員に連絡したところ、カメラを持って調査に来てくれた。 その結果、どれも大変すばらしいもので、是非、寄贈してほしいということになり、ひな人形は「人形の家」に、レコードプレーヤーは「都市発展記念館」に贈られた。他は、そのうちにということだったらしいが、詳細は不明だ。 その後、女将さんは市電のレールが駐車場に置いてあることを私に教えてくれた。それを確認しに行った時の写真が以下の数枚だ。 それは駐車場の隅っこ、擁壁の下に転がっていた。 これが市電のレールだ 右端。 真ん中。 左端。 これの存在を知った某市会議員が「譲ってくれ」と言ってきたそうだが、女将さんはきっぱりと断った。そして、こう付け加えた。 「あなたになら譲ってもいいわよ」 こんな貴重なものを自分がいただくわけにはいかないので、どこかで活用できないか、少し探ってみた。もしかしたら町内会で引き受けてもらい、バス停の後ろの空き地に立てたらどうかと思って、提案してみたのだがあまり良い返事はなかった。 その空き地も2019年には何やら工事が始まり、2月5日(日)に見に行ったらこんな状態になっていた。 地元消防団の小屋になっていたのである。 あの時に変な保存をしないで良かったのかもしれない。こうして市電保存館に寄贈されたのだから、うまく活用してくれると思う。 女将さんは他にも市電の軌道敷きに使っていた敷石が数十枚あると仰っていたが、それはここにはなく自宅のどこかにあるという話だった。 なんでこんなものを保存しているのか、女将さんに訊いたら、こんな返事が返ってきた。 「市電が廃止になった時、レールや敷石が売られたんだよね。それを私の父親が買ったんだけど、市電マニアとかじゃなくて、交通局に寄付をする意味で購入したらしいよ」 女将さんの父親がどういう方だったのか、ちょっと調べてみたら、地域で様々な役職を担っておられる有名な人だった。これはあとで分かったことなのだが、代官坂の石川徳右衛門さんの遠い親戚だという。やっぱりね。 さて、この「さくら湯」がどこにあったのか、昭和31年の地図で確認しておこう。 黄色で囲ったところが「さくら湯」である。すぐそばを千代崎川が流れていた。今、ここは暗渠になっているが、現地に行ってみると、まさに川の跡だということがよく分かる風景が残っている。 クリックして拡大 さくら湯の横には千代崎川が流れていた(今は暗渠になっている)。昔は銭湯の傍に川がある風景が当たり前に見られたのだが、こうして川も銭湯も消えてしまった現在、地元の人たちでさえ、ここに何があったのか忘れ去られてしまう日が来るのだろうね。 川の対岸は市電の車庫だったのか。だから今、ここに市の施設である麦田地域ケアプラザが建っているんだ。 さくら湯の内部。最後に訪ねた際に撮影した。 そのとき脱衣所でこんなイベントが開催されていた。デイ銭湯だ。 更地になった「さくら湯」跡。 市電のレールが置かれていた擁壁下。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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