
3度目の入店。 店内を大きく模様替えしており、少しは使いやすくなった。 入り口は関帝廟側にあり、奥に向かって10席程度のカウンターが続く。 壁際には2人で満杯になってしまうほどの小テーブルが2つ。 これで終わりかと思ったら、市場通り側にも客席が設えてあった。こちらは完全屋外。オープンエアのカウンター席だ。 夏場はこれでも構わないのだろうが、冬はどうなっちゃうんだろうか。店内に冷気が侵入してくるだろうし、第一、市場通り側のお客は防寒着を着用したまま呑むことになるのかな。 まぁ、冬になってから考えればいいか。 ![]() この日食べたのは、羊フライ。2串350円。 串カツのようなゴロンとしたものを想像していたのだが、出てきたのは串焼きの羊肉にコロモをつけて揚げたやつ。焼き鳥のフライみたいなものだ。 う~ん…… やっぱりメニューにも載っている焼きトン、焼き鳥のほうが馴染みがあっていいかな。次回はそっちにしてみるか。 ここは以前、1階が「山下薬局」、2階が三和楼の姉妹店「上海ムーン」だった。 それを考えると、下を売店、上を飲食店、それも羊串焼きではなく、普通の「焼き鳥屋」にしてくれるといいのだが…。 中華街から焼き鳥屋が消えて久しい。 振り返ると、この街には何軒かの焼き鳥店があった。 いろいろな店があったなぁ…。 中華街で焼き鳥といえば、強烈なオーラを発する女将さんが一人で切り盛りする「焼き鳥・一平」を思い出すぜ。 若い頃の私は彼女が怖くて、いつもカウンターの片隅で小さくなっていたけど、今思えば懐かしいなぁ…。もっと行っておけばよかったなぁ…。写真も撮っておけばよかったなぁ… そこは今、手相占いの店になっている。 上海路には「秀よし」という焼き鳥屋もあった。1970年代初めから1990年代初めまで営業していたと思うが、残念ながら2、3回しか入ったことがないので記憶が…ううっ。 そこは今、中華料理の「富貴楼」になっている。 その近くには「唐人鳥」なんていう焼き鳥屋もあった。これは7,8年ほど前だろうか、わりと短期間で消えてしまったが、何回か呑みに行ったものだ。 その後、その場所にはゼリー・プリンの「李白四川」ができ、それが撤退したあと、現在は「ロンマジック」とかいうアクセサリー店が入居している。 こうして見ると、この街は中華料理一色の街ではなかったことが、改めて思い知らされる。中国人も日本人も住む、生活の場だったのだ。 だから焼き鳥屋も薬局も、日本蕎麦屋も洋食屋もパチンコ屋も映画館もあった。 薬局で思い出したけど、上に書いた山下薬局は最近まで営業していたのだが、「重慶飯店別館」前には「中華街薬局」なんていう店もあった。二日酔いの朝などは、ここでユンケルを飲んで体力を回復したっけなぁ。 そこは今、お茶の「緑苑」を経て、足つぼマッサージの「ニライカナイ」が入居すべくリニューアル中である。 話がそれてしまった。要は、「中華街にも焼き鳥屋の復権を!」なのだ。 中華料理は福建! 焼き鳥屋には復権を! ![]() 「ハマる横浜中華街」ランチ情報はコチラ⇒ ![]() |
街並みを復建とは、建て直し回復することですかね。
そうありたいですけど、現実的には無理どすぇ。
でも、街で協定を結び、たとえば大通りは昔風に建て直すとかすればいいのですがね。