先月は中華街や関内にあった銭湯をみてきたが、今日は元町の温泉を取り上げる。ただ、温泉といっても天然だったとは思えない。こういう名前の銭湯だった。 この前はよく通ったのに、まったく入浴していなかったのが残念。いつでも入れると思っていたのがいけなかった。よくある話なんだよね。 昭和60年代頃まで、石川町から元町にかけては、昭和の風情が残る光景があちこちにあった。亀の橋近辺では漁師らしき方が路上で魚を売っていたし、駅横には「東国屋」という懐かしい居酒屋があった。ケースの中に並べられている和風のオカズを取り出し、それを肴に一杯飲むというスタイルなんだよね。 銭湯の入口両サイドには常緑樹が植えられていた。さらに雰囲気を盛り上げていたのが公衆電話。こんなスタイル、今じゃあもう見かけないよね。 銭湯の周辺。青果「平綿商店」というのは、中華街にあったあの店だろうかね。その隣は燃料置き場。昭和30年代の地図を眺めていると、しばしばこういうのに出くわす。石炭とか薪を置いていたのかな。 「伊勢勘洋傘店」なんていい名前だよなぁ。東神奈川にあった市民酒場「美濃勘(みのかん)」を思い出すネーミングだ。美濃の国から横浜に来た方が酒場を始めたように、おそらく伊勢の国からやって来た人が傘屋さんを始めたのだろう。 中華そば「老川」も気になるが、その隣の水先案内人のお宅、ずいぶん広大な敷地だったようだ。 こうして昔の住宅地図を眺めていると時間が経つのを忘れてしまうほど。中央図書館には昭和31年からの地図が揃っているので、コロナ禍のなかではあるが、ゆっくりと閲覧したいものである。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
はいったことはなかったけど、
見るからにいい銭湯でした。