4月11日のことだが、作治さんと大岡川で花見を挙行してきた。 桜は、ほぼ満開だった。 都橋商店街。 これができたのは1964年なのだが、それ以前は荷揚げ場があったのではないかな。 この建物は川の上に建っているのだ。 横浜市の道路台帳を見ると、都橋商店街は大岡川の上に建っていることが分かる。 川沿いの電柱を見上げると、「松屋裏」というケーブル名を表示した札が貼られている。 この近くに「松屋」があったのだ。 「松屋」といってもアノ「まつや」じゃないよ。昔あったデパートだ。 川に降りていける階段。やっぱり昔は荷揚げ場があったんだ。 船で花見をする人たち。 「みやがわばし」ではなく「みやかははし」。 震災復興橋らしいデザインだね。 ここにもシドモア桜があるのね。以前はなかったと思うのだが。 シドモア桜といえば、こっちの方が有名だけど。というか、もとは外国人墓地の中なんだろうね。 大岡川の右岸は、昔の言葉でいえばトルコ街だ。 昭和50年代の様子。 対岸を見ながら缶ビールで乾杯! 桜の木の下に置いてある白いチェアが気になる。 長者橋まで来た。 こちらの表記は「ちょうじゃはし」だ。本来のルールから言えば「ちょうしゃはし」なんじゃないのかなぁ。 日ノ出桟橋。 これはなんだろう… 気になっていた白いチェア。誰かが置きっぱなしにしているのかな。 桜を見たあとは福富町へ。懐かしい「クライスラー」だ。 この階段を何度登ったことか。最後に行ったのは2007年だったのか… 福富町町内で見た電柱。ずいぶん傾いているけど… ケーブルがすごいことに。 地面には亀裂も。 このあと福富町で打ち上げを行ったのだが、それについては後日。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
横浜市の橋梁担当者から聞いた話ですが…
濁点をつけてはいけないというという暗黙のルールがあったそうです。
それは先輩から後輩へと、代々受け継げられて来たのですが、
最近はそういうこともなくなっているようです。
実際に濁点のついた橋名を見たことがあります。